作家のライフハック

ビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のライフハックを中心とした生活ブログです

原稿を書く@10:30というコンテクストをタスクリストにつけてみましょう

タスクシュート式にはいろんな「ルール」があって、それらに沿うことで自動的にシステマティックな行動管理ができる、ということになっているのですが、「やればよさげだけど大変すぎる・・・」という話がついてまわります。

やればよさげだとイメージされていることには誤解が多く、大変なことにも誤解が多いのですが、それを一つ一つ説いて回るのはブログ記事ではそれこそ大変なので、思いつきをときどきこうして投下しております。

その1つに、GTDでもおなじみの「コンテクスト」。

ただしタスクシュートでは「セクション」がきわめて重要なコンテクストであり、他のコンテクストはおまけです。

GTDにおけるコンテクストは、「その場、またはその状況でできることをリストをアップする」機能が重視されていますが、タスクシュートでは「その時にやる意味」を強く問います。

たとえば同じ「原稿を書く」というタスク1つとっても

  • 「原稿を書く」@5:50
  • 「原稿を書く」@10:30
  • 「原稿を書く」@21:00

この3つはまったく違った意味を持つということです。

ちなみにここでさっそく誤解が起こりますが、タスクシュートでこういうような表記があった時に意味するのは10時半ちょうどに原稿を書き出すという意味ではなくて、10時半ごろに書けたらいいな……という程度の意味です。

それでも、朝の5時台に書こうとしているのと、朝の10時台と、夜の21時頃とでは、同じ行為の意味が大幅に変わってくるのです。

それは、想像できますよね?

そして、その時ならできるのか?

つらくても何とかやれるのか?

ちょっととても無理です、なのか。

無理なことはしないこと。

それがタスクシュートの基本原則です。

勝間和代さんの影響で音声入力一辺倒の日を作ってみています

katsumakazuyo.hatenablog.com

 

これよりも強い印象を受けたのが、書斎にずらっと並んだディスプレイだったような気がするんですが、記事を見つける時間が惜しいのでこっちを貼っておきます、すみません。

何しろ勝間さんの記事のアップがあまりに速いので、どこに何があったのかをおえなくなっています。

音声入力は、ちょこちょこと使ってきているんですが、結局なんとなくタッチタイプしてしまっているんですね自分は。

しかしITワールドになってからというもの、入力方式には静かに革命が起こり続け、その革命に乗り移れるかどうかが、生産量を左右し続けてきている気がしているので、音声入力には早めに移行しようと思っているうちに年を取り始め、何かいいわけがましくなってきた自分がいます。とは言え勝間さんのほうが私より年上なんだから、やっぱりもっとがんばろうかな、という気もしつつ、これもタッチタイプしているという。

タッチタイプをさっさと学んだ人が、1995年〜2005年くらいまでに席巻し、その後フリックに乗り移れた人が明らかにその後の10年を主流に活躍し、いま音声入力がきている気がします。

フリックに移行するのは必須だったと思いますが、どうもそういう気になれないままに、タッチタイプですませようとして来た方の気持ちはよくわかります。音声入力も似たようなものかなと。

そのうちきっと、思考内容をそのまま文章化するというところまで来るでしょうし、そこでも「便利だけど違和感が・・・」と言っているうちに、あっという間に若い人がみんなそっちに行ってしまって、タッチタイプする人などは「ショイン(ごめんなさいショインに恨みはないです)を使ってがんばる人」みたいになってしまうんだろうな、と思うと淋しいですよね。

ので少し音声入力をがんばろうというわけです。本来こういうのは「がんばるもの」ではないのですが、がんばらないと移行しないんですね。脳はどこかで保守化するものだろうと思います。

ニンニク食べすぎてものすごくつらいことがあるって知ってました?

ニンニク 腹痛 で検索してみましょう。

けっこういろいろヒットします。

今回、けっこうつらい目にあって、けっこう反省させられました。

知らないって、怖いですね。

だいたい、「食べすぎてはいけない」くらいのことは聞きますが、食べすぎるとここまでお腹痛くなったり、ひどい目に遭うなんて、知らなかったですね。

それにそんなに食べすぎてないと思ったし。

実は私は、過去にも、奇怪な腹痛に一時的に見舞われて、脂汗流したりしていたことがあったのですが、案外ニンニク食べていたせいだったかもしれません。

奇怪な腹痛に悩むことがあったら、あれこれ調べてみてもいいと思います。

 

【追記】

 たしかにそうでした。

今回は、正露丸を飲んで1時間半ほど眠ったら、痛みは取れました。

ただその日一日中、若干腹部に違和感が残りました。

タンブラー買って正解でした

 

サーモス 真空断熱タンブラー 340ml ステンレス JDE-340

サーモス 真空断熱タンブラー 340ml ステンレス JDE-340

 

 

これは、アマゾンベストセラーだそうなんで、ついつい買ってしまったのですが、とてもよかったです。

この時期であればやっぱり、最後までぬるくならないコーヒーというのが、まるで魔法のよう。

しかもたしかに持っても熱くないし、もちろん冷えもしないし、結露もしない。

食洗機でも洗えます。

商品説明にあるとおりですが。

レンジでチン、はできないようですが。

こういうのはまさに、心理学で言うところの「人間は意外にちょっとした幸せで幸福感が増大する」というのの典型のように思えます。

値段も手頃ですし。一般的なマグカップと別に変わりない。おすすめです。

マンガ家の福満さんはいっつも不安がっている

 

終わった漫画家(1) (ヤングマガジンコミックス)

終わった漫画家(1) (ヤングマガジンコミックス)

 

 

新作が出ていて、相変わらず主人公が笑わせてくれます。

とにかく福満さんの乗り移ったような登場人物は、すぐ不安になります。特に男の人はそう。

なにかというと不安がり、失職する不安、売れなくなる不安、老後の不安、経済的不安、病気になってるんじゃないかという不安。

私も保証のないフリーランスなので気持ちがわからなくはないですが、それにしてもこれだけ売れていて、こんなに不安がることもないんじゃないかと思いますが、そういうわけにもいかないのでしょう。

不安というのは、精神分析的な世界だと、たぶんおおむね正常な「心の反応」で、フロイトに言わせればそもそも「正常人」とは「神経症者」のことだそうなので、不安だということは「気は確かだ」ということになるんでしょうが、それにしてもここまで不安にさいなまれていたら、大変なんだろうけど、慣れてしまえばそうでもないのかもしれません。

なんにせよ、福満さんの創作の源泉はほぼ間違いなく不安に端を発しているので、福満ファンの私としては、不安で描けなくならない程度には不安であり続け、元気にどんどん作品を出していって欲しいと願わずにはいられません。

自分はどうも人間関係が苦手だと思ったときに考えておきたいこと

 のきばトークを受けてのご感想なのですが、補足してみたいと思います。

まず次の引用から。

こういう退行をとくに生み出しやすい母親のタイプと言えば、自然でまじり気のない愛情表現を通じて、子どもに、自分は子どもを1人の人間として愛しているのだということをはっきりわからせてやることのできない母親である。

子どもを自分の言いなりにしたがる独占欲の強い母親とか子供に無関心な母親などは、どちらもこのカテゴリに入る。

何と言っても最悪なのは、子供にたいする独占欲の強さと無関心とを一身に集めたような印象を与えてしまう母親だろう。

 

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

 

 まずここで「なぜ母親ばかりが問題になるのか?父親はどうなのか?」という疑問が発せられるかもしれませんが、それに対しては「子どもは今のところみな母親から生まれるから」としか答えようがありません。これは生後0〜7日目とかいった段階において重要な話だからです。

今後、父親から子供が生まれる、あるいはAIから生まれるといった段階に移行すれば、当然この論文には補足が必要となります。

さて「子供にたいする独占欲の強さと無関心とを一身に集めた」というのは、いかにも矛盾しています。しかし、実際にはこういうケースはあり得るし、また、こうしたケースの原形のようなパターンが、事態を一気に難しくするのです。

そういうのはたとえば「あなたは好きな人と結婚していいのよ。私がいいと思った人なら」といったように、完全に自主性を重んじるようなことをいいつつ、いっさいの自由を許さないという言い方に現れてきます。

これをもっと極端にいえば、「あなたは好きにしていいのよ。私が好きなやり方なら!」ということになります。

非常に巧みな人であれば、こういう針の穴を通すような条件に対しても、うまいことくぐり抜けてしまいますが、子供にそんなまねはできません。そこで子供がやることとしては、単純化なのです。そして単純化とは、人間関係における退行になります。

つまり、考えなくてはならないことがあまりに複雑なため、思考を停止し、単純化が基本戦略になってしまうのです。「僕はこんご、お母さんの好きだということを、自分の好きだということとイコールにみなそう」というような自己操作がそれです。

これに我慢がならなくなると、正反対の単純な戦略をとろうとします。「僕は今後、お母さんの好きだということは、全部無視することにした!」というように。

フェアバーンは、「子供にたいする独占欲の強さと無関心」という表現でこのことを述べています。男の子とを男の子らしく(時には女の子すらも男の子らしく)育てようとするとき、教育方針としてはあまりに早すぎるアンビバレントを押しつけたりするわけです。

たとえば、一人息子を甘やかして骨抜きにしてしまうようなことだけは決してすまいと心に誓っているといった、そういう人一倍教育熱心な母親などがそのよい例である。

教育熱心だけど、とてもドライ。教育熱心ということは、「ああなって欲しい、こうなって欲しい」という情熱を子供に注いでいるという意味において、母子の一体感がとても強く働いているのですが、その一方で「ベタベタした、依存心の強い子にしたくない」という気持ちが強く働くために、子供をはねつけたがってしまう。

こんなアンビバレントを、生後一週間足らずのうちに態度としてでも示されたら、子供としては何が何だかわけがわからず、「それ以前」に帰りたくなってしまいますが、それ以前の時期なんてないわけです。

私たちは、幼いころほど万能です。いちばん万能だったのは、母の胎内にいたときです。そこにおいて「私の問題」などというものはあり得ず、食事も排泄もなにもかもが思いのままです。

生まれて間もなくにしたって、似たようなものでしょうが、そうは言っても「うち」と「外」では大きな違いがすでに始まってしまいます。やがてその違いはどんどん複雑になっていき、好きなようにしていいのよ、でも、おっぱい噛まないでね、とか、好きにしていいのよ、でもうんちはトイレでね、とかいった、「複雑な要求」が突きつけられていきます。

それがやがて「好きにしていいのよ。でも勉強だけに関心を持ってね」といったことになってしまう。その途中のどこかで、あるいはどこでも、私たちはいったいなにをしていいのか、何を望んでいいのか、わけがわからなくなってしまい、考えるのはやめて、物事を単純化したいという誘惑に強く引きつけられるのです。

この種の難しさに人生のあまりに早い段階から直面した人は、その後の人生においても、特に人間関係で悩むリスクが大きい。一番最初の人間関係であったところの母子関係があれほど複雑だった(私が全部世話をしてあげるから、速く一人前になってね)のですから、他人とはいったいどんな風に関係すればいいのか。他人には何を望むことができるのか。何をしようとしていいのか。どこからが依存とみなされるのか。

その悩みを解決することができないままに、さも解決したかのような態度を取るというのが、1つの単純な戦略となります。すなわち、「私は誰もとも関係しようという気はないからね。私とあなたが(どんな関係にもせよ)関係しているのはただ、そっちから望んだ結果なんですからね。いつでも関係解消には応じますから」という「戦略」です。

こうして一見したところとても孤独に強い、ただ、どんな関係を結んでもどこか淋しいという心理的態度の基礎が築かれるわけです。どんな人間関係であっても関係の解消を念頭に置くのであれば孤独に強くならねばならないし、その人の結ぶ関係は、どこかさびしいものにならざるを得ないわけです。

いちおう以前にも似たような話を書いています。

nokiba.hatenablog.jp

 

#のきばトーク 新春スペシャルお送りしました

www.youtube.com

 

正月早々なのですが、のきばトークをやりました。

トーク中でも申し上げましたが、端的に言えば「正月ってヒマですよね?」という話です。

テレビでも見て過ごすくらいしか、やることなくないですか?

コマを回したりはねつきしたり、しませんよね?

特にライフハッカーな人は、一歩間違うと、いつもとまったく同じように過ごすことになってしまうのではないでしょうか、と。

ここはやっぱりライフハッカー用の新春番組を用意せねばと思って、放送した次第です。

最大で同時視聴者6名でしたが、そんなことは気にしないのです。

歌番組やK-1やウィンナワルツばかり聴いている人向けの番組しか、テレビでは放送されないんですから。

今日もいつもどおり大橋悦夫さんとスカイプミーティングします

特別な日とか、特別なことというのは、それほど好きではありません。

もっとも娘はそういうのが大好きで、妻も好きな方なので、そっちの手伝いはします。だから仕事がいつもより多い。

ブログもいちおういま書いていますし、原稿も書く分については書きます。

今日は日曜日です。

朝は少し遅めに起き、シャワーを浴びてから散歩に出かけ、朝食準備をしながら家族を起こし、そのあと妻とおしゃべりし、少々口論してから、娘の宿題を手伝いつつ、日記を読み、原稿を書き、いまブログを書いています。

今後、妻の大掃除やら、年越しそば作りを手伝って、もしかしたら娘のブログを手伝い、そのあと大橋さんとスカイプミーティングに突入。

それから日記をまとめて少しは読み返しますね。そこが年末らしいか。

これがつまり日曜日のルーチンなのです。

こういうふうに書くと「淡々として悩みもなさそうで」とか何とかいわれますが、悩みはたくさんありますよ。腰も肩も痛いしね。

なぜけっこう多くの人が、自分と他人はちがう。佐々木は他の人と良くも悪くもちがう。というように思いがちなのか。私は他のほとんどの人と同じだと思います。多少趣味にズレがありますが、それは多少です。多少は人とちがわないと、むしろ異常でしょう。私はかなり平均的なそこら辺にいるおじさんで、しばらくすれば、そこら辺にいるおじいさんになるでしょう。

運良く長生きできれば。

葉加瀬太郎さんのコンサートに行ってきたよ

いや、行っている場合ではないんです、まったく。

しかしながら、葉加瀬太郎のコンサートと言えば、言えばというほどなにも知らないんですが、抽選でやっと東京国際フォーラムの満員の参加者の中には入れるという代物で、ずっと前から予約していたわけですから、行かないのもなんだろうと。

娘(8)がファンなんですよね。

とは言え勉強になりました。

演出。徹底的な演出です。

http://www.wowow.co.jp/detail/111883

物販もうまいモノです。はかセンスとかはかシェイカーとか、要するに、後ろから見ていると会場がジュリアナ東京化するための小道具なんですが。(もうちょっと上品かな?)

私は本当のところジュリアナ東京なんて知らないも同然ですが。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

もちろんバイオリンはすごいです。それは私でも分かります。でも私にやっぱり響いたのは、その演出と、曲を聞かせる文脈作りでした。

途中なんかけっこう物販のための時間を、そうだと断って入れていましたし、それ自体でお客さんは喜んでましたしね。ファンばっかり、抽選でやっと会場入りできたファンばっかりとはいえ。

もっとびっくりだったのは、途中、葉加瀬太郎さんのテレビ出演したシーンの「いいとこ取り」をスクリーンに映し出して見せていたところ。これは本当にびっくりでした。生の葉加瀬さんが壇上にいるのに、5000人からのお客さんは動画を見ているという。

私はセミナーで、どんなに私に好意を抱いてくださっている方しかいなかったとしても、自分の移っている動画をみんなと一緒に見ているという時間は・・・無理ですね。想像するのもつらいです。

5000人が本人といっしょに本人の映っている動画を見てまあ満足していたりドッと笑ったりする。やっぱり何と言うか、ちょっとちがいます。

 

VIOLINISM III(通常盤)

VIOLINISM III(通常盤)

 

 

今年いちばんの、と言われれば

 

僕だけがいない街(9) (角川コミックス・エース)

僕だけがいない街(9) (角川コミックス・エース)

 

 これでしたかね。

何と言うか、すごく続きが気になり続けたんですね。続きが気になるということには、ある種の不快感が必須だと思います。最後まで必ずしもスッキリしなかったからよけい印象に残りました。

設定にはかなりあり得ない条件が含まれていましたし、漫画だからということでそれを呑み込んだとして、その後も相当に深刻な展開。

私はこういうものにあっさり呑み込まれるくらいの自我の弱さがあるので、非常にたのしめます。共感しているわけでもない主人公に強烈に感情移入してしまうんです。

完全に八方ふさがりになったところでは、かなりハラハラしました。えん罪というのは、監禁と並んで、いやなものです。

今年は傑作をいくつも読むことができました。中でも最高傑作かというとどうだろうと言わざるを得ませんけれど、もっともインパクトに残っているのはこれなのでした。

書籍企画は誰が作るのか?

このような質問をときどきいただきます。

この質問をなさる人は鋭くて、少なからぬ人は私が、つまり著者が書籍企画を作るものと思い込んでいたりするのですが、それは間違いです。

私の本を、正確に分類したことはないですが、企画から私がプロデュースしたのは、10%もないでしょう。

残りの9割は、出版社さん、もしくは編集さんのプロデュースということになります。

という話が意外に議論を巻き起こすのです。小さな、ですが。つまり、「著者は自分の書きたいものを書くべきだ」という理想というか、信念が、著者以外の方に意外と流布している、とでもいいましょうか。

この件については実は簡単な解決作があって、「自分の作りたい本を作る」のでしたら、次のどちらかを選ぶのが現実的で、非常に満足感も高くなるでしょう。

  • 編集者になる
  • KDPを出す

くわしくは説明しませんが、出版社に努めて編集さんになれば、自分の好きな本を出せます。それでは書けないではないかと思われるでしょうが、自分で書きたいですか?

しかしKDPなら、作りたい本を「書く」ことから全部やれます。

お正月に『風雲児たち』!見てきっと絶対損がないのでぜひ

www6.nhk.or.jp

こちらの原作はぼくが幼稚園のころから愛読していて、まだ完結していない漫画です。何とかご存命のうちに完結させて欲しいと切に願うものです。

中でも特に、転換点になったと思われる第5巻あたりを中心にまとめているのが、最近刊行された次の作品。

 

風雲児たち?蘭学革命篇?

風雲児たち?蘭学革命篇?

 

 

この作品は、『解体新書』が世に刊行されるまでのいわゆる「人間ドラマ」を描いているのですが、参考にしたと思われる小説にたとえば次のような作品があります。

 

冬の鷹 (新潮文庫)

冬の鷹 (新潮文庫)

 

小説より先にマンガを読んだ方がたぶんイメージがしやすくていいと思います。解体新書を訳したのは、前野良沢、杉田玄白などのめんめんなのですが、コミックになっていると日本史の一問一答のようなものとちがって、大変わかりやすいのです。

次の4ページからの引用は、あるオランダ語が「スポンジ」を示すものと理解するまでの悪戦苦闘です。蘭日辞典がなくて、オランダ語の文法もいっさいわからない上に、オランダ人に尋ねることもできないわけですから、医学書一冊訳すという無謀なことに挑戦するとなると、こういうふうになるわけです。

 

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こんな連想ゲームみたいなことをやっていても、いつしか一冊全部を邦訳するというゴール地点にたどり着けるというわけで、少しずつやるというのはとても大事ですね。

ちなみに、『風雲児たち』はいちおう幕末までは完結しており、現在幕末編に入っていて、しかしまだ「寺田屋事件」のあたりをコンコンと書かれています。

 

風雲児たち全20巻 完結セット (SPコミックス)

風雲児たち全20巻 完結セット (SPコミックス)

 

 

ちなみに新撰組で有名な「池田屋事件」の方まで行くにはまだけっこう時間がかかりそうで、せめてそこまでは読みたい!

 

 ▼ちなみにウィキペディアにもまとまっていますが、個人的には「「風雲児たち」長屋」のほうが好きです。

風雲児たち - Wikipedia

「風雲児たち」長屋

 

小飼弾さんも書評書いています。

404 Blog Not Found:書評 - 風雲児による風雲児たち

うちあわせのカフェは?

メンタルハックを作家のライフハックに変更しました。

作家生活といえば、「カフェでうちあわせ」の風景が思い浮かびます。

もちろんそればっかりやっているわけではないのですが、そればっかりやっている人みたいな雰囲気があります。

あの「カフェ」を誰が決めるのかといえば、それは編集さんだったり私だったりするのですが、これがけっこうなやむのです。

私は最近になってといってももう5年になりますが、埼玉から神奈川に引っ越してきたため、うちあわせ場所も池袋付近から品川〜横浜付近になりました。

でも品川も横浜もさっぱりなので、カフェ探しに苦労します。

もちろんたくさんありますが、あまりに喧噪だったり、席が空いていなかったりすると困るので、悩むのです。

できれば席がいつでも空いていて、しかも比較的すいていて、しずかだけどうちあわせくらいはできて、コーヒーがおいしければ完璧ですが、誰だってそういうところに行きたいわけですからそんなところがあれば、すいてなんかいないのです。

横浜駅ではオスロコーヒーが、コーヒーのおいしさと雰囲気ではいいと思っていますが、いつでも混んでいたりします。

www.sotetsu-joinus.com

ここなら、うちあわせでなくてもいきたいくらいなのですが、最近は公私ともしっちゃかめっちゃかになりつつあり、カフェなんかに行っている場合でもないのです。

そんな中で明日にも、新刊が発売されます。すでに並んでいる書店さんもあるようですが、見かけたらよろしくお願いできたらありがたいです。

この本のうちあわせは、横浜駅のオスロコーヒーでやりました。 

仕事の渋滞は「心理学」で解決できる

仕事の渋滞は「心理学」で解決できる

 

 

【睡眠】睡眠時間は中央値も気にしたい

私自身これはあまり気にしたこともなかったのですが、考えてみればなるほどでした。

睡眠時間といえば、7時間とか8時間、または3時間といった長さの話に注目が集まりやすいのです。

しかし、夜はつらく感じないのに、朝になるとやたらとつらく感じる、といった方が実際には問題で、まったく朝がつらくないほど「寝ていられる」人はいまどきどのくらいいるのでしょうか。

となるから「長さ」が問題になるわけで、たしかに現代の日本人の睡眠時間や非常に短くなっているので、この問題はなんとかしないとならないのですが、「朝がつらい」の長さだけの問題ではない。それもみんな知っているわけです。

そこで「睡眠の質」とか「深さ」といった問題になるのですが、質や深さは測りにくい上に、深めたり質をよくする方法には決定的な何かが欠けているようです。

もちろんこれらはこれらで、改善できるに越したことはないのですが。

しかしもう1つ、意外と見過ごしていたと思ったのが、何時に起きることになるのかという問題。「中央値」というのはココでクローズアップされるポイントなのです。

 

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なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?

なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?

 

 

 

私自身でいえば、だいたい夜は10時前には寝てしまって、6時前に起きるので、中央値はほぼ、午前2時となります。

言うまでもなく、これが遅れれば遅れるほど、「朝がつらい」ことになります。早起きが必要であれば。

睡眠時間が短くて大丈夫な上に、中央値が前のほうにあるならば、その人は「非常に朝が強い」ということになります。

これは単に習慣だけで決まるものと私は思っていたのですが、どうもそうではないようで、そのようなことがいろいろ書いてあって面白い本なのです。

早起きが必要な人はちょっと考えてみる必要があります。単に、早く寝るだけではなくて、いつ寝るかによって、起きやすい時間帯が決まってくるし、起きた時間に起きる意味がなければ、二度寝してしまうでしょう。二度寝は、中央値を狂わせてしまうのです。

つまり起きたい時間にぴったり合った中央値を探ることが、単に睡眠時間を長くしたり短くしたりするのと同じくらいには大事だということです。