佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟の公式ブログです。なるべくならお役立ち情報を出していきたいと思っています。

「やりたいことがわからない」と「やりたいことばかりである」とはよく似ている

認知的不協和という理論があります。

通常は、オカルトな宗教にはまる人たちはなぜ、教祖様が予言した「世界の終わる日」が過ぎてもなお、その宗教にはまり続けているのか。その「信徒の心理」を説明するために使われます。

これとは一見かなりかけ離れている

  • 私たちはなぜ、ずっと前からやりたいと思っていた筋トレに取り組まず、どうでも良いテレビ番組を見てしまうのか

ということが、よく似ていると思ってきました。

どちらも、心の底には何らかの不満足を残しています。

教祖様の予言通りには、なっていないと、信徒の人は気づいているでしょう。

自分が本当は筋トレをすべきだったと、テレビを見ながら思う人も少なくはないでしょう。

このような問題になるとつい

  • ほんとうにやりたいこと

という言葉を使いがちです。この言葉はどうしても

  • 「私」という存在には本質的一貫性がある

というニュアンスがつきまといます。

本質的に一貫した私!

これこそが、どこを探しても決して見つからないもののはずです。

  • 「私」はいつも流動的

だということさえ忘れなければ、筋トレを「やりたかった」としてもいまは「テレビが見た」くて、当然だと考えられるはずです。

  • 本来一貫しているはずのものが、なぜか変化してしまった

のではなく

  • 本来変化し続けているものに、なんとかして疑似一貫性を与えたい

と考えれば良いのです。

こう考えれば

  • 「私」はいつでも筋トレがしたくなる

ということはあり得ないので

  • 筋トレを嫌いになったときの「私」にでも筋トレをさせるにはどうしたら良いか?

にくわえ、

  • 筋トレを嫌いになったときの「私」にでも筋トレをさせるのは良いことなのか?

というふたつの問をつねにたて続けねばならないと了解されるでしょう。

そしてこのふたつの問も、流動的な「私」は常に忘れ続けるので、絶えず「手紙」を手渡し続けてやる必要があることも了解されるはずです。

その手紙がメモであり、その手紙をわたし続ける仕組みをタスク管理というのでしょう。

ちなみにこの「手紙」を読むことで、その手紙の意味するところは理解できるのが、「私」の疑似一貫性であり、通常は「記憶」と呼ばれているものの力です。

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倉園佳三さんのブログ記事の下に、私の「コメント」を追記するようにしております。

心理学的な内容をコメントしていますが、それに限っているわけではありません。

いつも心理学的にいくばかりでは、かってよくないこともあります。

 

たとえば「不安のせいで先送りする」という現象があります。

これなど、「人はなぜ不安になるのか」というアプローチがひんぱんになされますが、むしろ必要なのは「不安でいることを止めるアプローチ」なのです。

そんなことができるのか?

 

先送り対策というのは多くの場合

  • どうやって「できるかどうかの」不安を取り除くか
  • 不安を取り除く工夫
  • 良い未来を想像する

といった方針になりがちですが、原因に目を向けて、それをとりぞのそいたりツールを使ったりすれば論理的、というわけにはいきませんし、ライフハック的でもありません。

仕事に何かしらの不安を覚え、それを紛らわすべくマンガを読んだりしないように、マンガを片付けておく。

それは有効な手立てでしょうか? 私はマンガを探し出すだけだと思います。

そもそも肝心の「仕事への不安」は、マンガが手元にないからといって、まったくなくなっていませんし、減ってもいません。

まず、不安を消す。なぜなら不安はグッドバイブス流にいえば「イリュージョンだから消せる」のです。

イリュージョンとはなんでしょう。

イリュージョン=幻想とは、本当は頭の中にあるものを、頭の外の現実だと思い込む、誤解です。

この思い込みが解けると、頭の外に「不安」はないことがわかります。すると、不安そのものが消滅するのです。

そんなのはウソだ、非現実的だと思う人があったら、睡眠中の夢のことを思い出してください。

あれはイリュージョンです。なぜなら、夢が幻想だというのではなく、夢を現実だと思い込んでいるところが、幻想なのです。

実際、目が覚めて、現実を認識すると、その瞬間に夢は跡形もなく消えてしまいます。それまでどれほど現実的だったとしても、ゴジラも高層ビルも消えてなくなるのです。

不安など、一瞬で消えます。すると仕事に取り組むのは容易になります。

不安を消す工夫はいらないのです。不安を消せば良いのです。

12月に開催したりゲストで呼ばれるイベントをまとめます

GTDセミナー

lifehackbar.doorkeeper.jp

一番近いのが、今週土曜日に迫っているGTDセミナーです。

このセミナーではなんと言っても

「洗い出す時間を取って欲しい」ということがあります。

他のタスク管理系でもよくご相談いただくのですがそもそも、

「自分が絶対にやるべきことをリスト化できてない」(し、その時間もない)

ということが少なくないようです。

まずこれをなんとかする必要があって、その前にその時間を確保しないと、ということでやることにしました。

 

大阪でグッドバイブスセミナー

nokiba.doorkeeper.jp

次はこちら。ついに大阪進出!

こちらはなんと言ってもご要望が多かった「東京以外でもやって欲しい!」にお応えしたいというところです。

今のところまだ「グッドバイブス」の意味というのが正確に伝わっている気がしません。

これは私から見ると「あらゆるライフハッカーに必要な考え方」です。

たとえば次のような感じを抱いている方にぜひ来ていただきたい。

  1. 仕事は確実に効率化しているが、それでもあまりにも多忙でツラい
  2. 逆に仕事をトコトン効率化したが、自分がやりたいことは何もしていないように思う(ちょっと寂しい)
  3. 効率化はともかく仕事に行きたくない。だからといって仕事を辞めるのは不安だ。何をしていいかもわからない
  4. ライフハックも知っているし仕事もやっているが、理由のよくわからない不安感に苦しめられている
  5. もう少しライフハックを結果につなげたい

私の考えでは1〜5の問題を「さらなるライフハック」によって解決を図るより「グッドバイブス」の方が10倍も効きます。

 

東京ライフハック研究会

kokucheese.com

こちらは主催のBECK(北真也)さんに依頼されました。

いつもありがとうございます。

ここでも私の他倉園佳三さんとお話しさせていただきます。

私のテーマは、

発達障害(グレーゾーン)の方とライフハックの良い関係について

です。

この件は、意外に思われるかもしれないけれどやはり、グッドバイブスへとつながっていくので、この機会がベストなのです。

まだお席かなりございます。

 

グッドバイブス忘年会

www.facebook.com

こちらは、どなたでもご自由にご参加いただけます。

もちろん私のほか、倉園佳三さんも参加します。

特に何か「レクチャー」や「ワークショップ」が用意されているわけではないですが、疑問に思うところや詳しく聞きたいことなどがありましたら、ぜひどうぞ!

手帳が有効か、手帳術が有効か、それとも手帳伝道師になるべきなのか?

治癒とはある生き方のことなのだ。

心の治療は生き方を与える。 そしてその生き方はひとつではない。

 

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

 

 

インチキ療法、という言葉の意味を再考させられる本でした。

私たちはつい「インチキ療法」というものを

  • 効きもしない薬をべらぼうな金額で売りつける犯罪者

のように思いがちですが、 この定義だけではいろいろな無理が生じます。

  • それなら明らかにどう見てもインチキにしか見えない薬でも、効けばOKか?

という問にどう答えましょう?

「そういうことはあり得ない!」とどれほど強く思っても、効くと思って飲めば真水でも病気を治すということが、現実に起こってしまうのです。

というわけで「ライフハックの薬効」について考えることになったのですが、今回はわかりやすいように「手帳」について考えます。

年末といえばどっさり手帳がLOFTなどに登場します。

手帳が仕事なり生活なりを助けるかといえば、助けになる人は多く居るでしょう。

とくに、

  • これまで予定管理を完全に頭でやってきたが、人に怒られてばかりいる

という人には効果があるはずです。

これを「手帳に救われる人」としましょう。

また、手帳をそれなりに役立ててきたが、特に役立つのは大好きなデザインの手帳を使うことや、特別なやり方がとても自分にフィットしているから、というタイプの人もいるはずです。

これを「手帳術に救われる人」としましょう。

ここで冒頭の引用を思い出し、それをもじってみます。

  • 手帳とは、ある生き方のことなのだ。
  • 新しい手帳は、新しい生き方を与える。

無理があるようにも見えますが、しかし現にこうやっている人はそれなりにいらっしゃるのです。

『野の医者は笑う』からもう少し拝借しましょう。

心の病いや傷つきとは、生き方の不調にほかならない。

私たちはこの世界の中でうまく生きていけないとき、心を病む。

・・・そういう危機のときに、心の治療は、人に新しい生き方をもたらす。  

その生き方はそれぞれだ。

 

仕事をしていて、やる気がなくなったり、燃え尽きそうになったり、残業続きで仕事が回らなくなります。仕事の不調です。

そうしたときに、新しい手帳を買うことがあるでしょう。

これは新しい仕事のやり方を、提示してくれるように見えます。もちろん、手帳の数は膨大であり、使い方は人それぞれです。

大事なのは、生き方がひとつでないように、仕事のやり方もひとつではないことです。

それは誰だってわかっていることではありますが、私たちは非常に不思議なことに、黙っていると毎回、まったく同じようなやり方・生き方を繰り返すようになるのです。

けれども、朝起きてみたら、目の前にまったく見たこともないような手帳があったとしたら?

あるいは、まったく新しい手帳術を試したところ、それまでの仕事がまったく新鮮に見えるようになったなら?

あるいはいっそのこと、仕事なんか辞めて、「このすごい手帳術で人生が変わりました!」とYoutubeで叫んでみたら、それが新しい仕事になった!としたら?

それらは「(この)手帳(術)のおかげ」ではないと思われるかもしれませんが、本人にしてみれば紛れもなく「(この)手帳(術)のおかげ」なのです。

そして同じようなことはきっと、他の人にも起こりうることです。

タスクシュートはユーザーのタスク実行力を強化する

歯ブラシやクシがいつも置いてあるところに置いてないと困るし、あるはずのトイレットペーパーがなくなっていたら困るのだ。

ましてや自分が飲むはずになっていた牛乳がなくなっている…・・・なんていうことだ、オレの朝はめちゃめちゃじゃないか。

ふだんから威張りくさっている父親なら、この歯ブラシやクシがない時点でカンカンになって怒り出すだろう。

トイレで怒り、冷蔵庫を開けて怒り出す。家族に当たり散らしながら、駅へ着くと電車が出たばかりであることを知る。

そして、それでまた腹を立てることになる。

こういう風景をみてもわかるように、私たちの暮らしが、いかに決まり切った配列や順序に支えられてあるか、そしてその配列が違うといかにパニックになってしまうか。

 

自閉症―これまでの見解に異議あり! (ちくま新書)

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 タスクシュートユーザーは、こういうことには強い。

ということは、タスクシュートが強化しているのは、ユーザーの意識していない行動の記憶、ということになる。

私たちは、普段はこういう自分の行動を、ほぼ意識しない。

GTDだったら、これよりもっと「気になること」などを優先したほうがいいと言うだろう。

それにも一理ありそうだ。

ただ、気になっていないことのなかに、もっと気にすべきことが隠れていることが少なくない。

少し変えるだけで、もっと本人が快適になるだけでなく、家族と仲良く暮らせるかもしれない。

そうしたら、もっと自分の仕事が素早く終わるかもしれないのだ。

なぜタスク管理にアウトライナーが欲しくなるのか?

タスク管理とは、記憶術の一種だからである。

たぶんこれが答えになるのだと思います。

記憶術と言えば

良い国作ろう鎌倉幕府

あたりが有名ですが、記憶術を使うのはなんと言っても「記憶力」を「使わずになんとかしたい」からでしょう。

記憶力と言えば「受験」です。

人が最初に記憶術を多用するのもきっと「受験(または定期試験)」の時でしょう。

「メモ」とは記憶術のために用いられるもっとも汎用性の高いツールです。

考えてみると「計算用紙」とは「記憶術のメモ」です。

語呂合わせも記憶術ですが、「年表」を書いたりする記憶術もあります。

これら「記憶術のためのメモ」をトコトン集めて本にでもまとめたら「記憶術フェチ」や「メモフェチ」がきっと手に取ってしまいそうです。ここにライフハックの源流があります。

タスク管理というのは、

  • やることを記憶力でまかないきれなくなった人のための記憶術

なのです。

計画ノートに「計算用紙」を含めることができるとは思えません。計算用紙という「記憶術のためのメモ」は、受験計画をまとめたノートとはまったく別の用途のメモなのです。

しかし、強引にひとつにまとめるとすれば、

  • 受験計画のノート

には

  • 模擬試験を保管したもの

が含まれているかもしれず、そこに「計算用紙」が入っている可能性はじゅうぶんに、あります。

この受験計画のノートがタスク管理であるとすれば、そこにたとえば「ブログのネタ」(計算問題とそのための余白)を入れるか入れないか、という問題が必ず発生するのです。

「入れない」というのが一般的でしょう。

計画表と受験参考書は分けておくのです。

しかし、「入れたい」と思うことも多いでしょう。

計画表の中に受験勉強用の資料もあれば、計画を実行する中で勉強も済ませられるので、一元的滑走路を進んでいるような安心感があります。

ただ、これを紙のノートでやるとなると、何もかもが一カ所に集まった巨大なノートやバインダーを持ち歩くことになるので、まったく現実的ではありません。

デジタルであれば、タスク管理にアウトライナーを「綴じ込む」ことは容易です。少なくとも物理的なボリュームに苦しめられるという問題はありません。

問題になっているのは「記憶術」です。思い出したいタイミングで、思い出すべき内容が記録されていたり、容易に呼び出せるツールです。

ブログを書くべき時間になったら、ブログを書くために必要にして十分な情報が即座に現れて欲しい。

鎌倉幕府成立年を問われたら、たちまち必要にして十分な情報が脳内に現れて欲しいのと、これは同じです。

綴じ込んだり、展開したり、リンクを張ったりするのはすべて、

  • そのときどきに最適な情報

というものが、ひんぱんに入れ替わるからなのです。

 

タスクシュートという記憶術

カレンダー覚えが「一般的な記憶力の範囲」をはるかに超えるという理解も苦笑である。

なぜなら「カレンダー」と呼ばれる物自体が、人類の生み出した偉大な「記憶術」の一形態であったわけで、そういう「カレンダー」という存在そのものすら著者は一度たりとも考察していないのである。

 

自閉症―これまでの見解に異議あり! (ちくま新書)

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著者のこの指摘は大変スリリングで、またとても辛辣でもあるのだが、これは「自閉症児の中には日付と曜日など、特定の規則性を有した情報に対する、抜群の記憶力を有する子がいる」といった「通説」を批判しているものです。

著者の村瀬さんはこう言っているのです。

(自閉症児には)「一般的な記憶力の範囲」をはるかに超える(子もいる)などと平気で言うけれど、ではその一般的な人々が、一般的な記憶力の中で、たとえば去年の何月何日に沖縄へいったが、その日は何曜日だった、と正確に宛てることができたりする「すごい記憶想記」のケースについて、きちんとロジカルかつ科学的に説明できるのか?

村瀬学さんは言い切ります。「「自閉症の謎」などない」。カレンダーについて言えばカレンダー自体がすごいのであって、カレンダーを用いた「記憶術」(これを「記憶力」と分けるべきだとも村瀬さんは指摘します)にそれほど驚くべき点などないのだ。

私はこれにまったく同意します。私の仕事分野で言えば、タスク管理がこれとよく似ています。そもそもタスク管理とカレンダーは似ています。

タスク管理術とは、「記憶術」の一種です。「記憶力」に若干の弱さがある、もしくは「驚異の記憶力」を発揮する気がサラサラない人々によって発案されたのがタスク管理、と言えなくもありません。

これまでのところめぼしい発案は、私の見たところたった2種類しかありません。GTDとタスクシュートです。こう考えると私がタスクシュートに「こだわる」のは、他にほとんど選択の余地がないせいでもあります。

「記憶力」が頼りにならないから「記憶術」が考案されるのです。タスクシュートはそういう意味ではまさに「驚異の記憶術」です。

何しろやったことは片っ端から何でもかんでも「記録する」ので、「記憶力」の個人差など吹っ飛ばしてしまいます。

よくよく考えてみると、もしもカレンダーがなかったら、私たちは今日が何日で、夏がいつ来るか、三日後に何をするかといったことについて、まったく管理できなくなるはずです。まさに「驚異の記憶力」を誰かが発揮してくれるのに祈るほかない。

タスクシュートは私自身のカレンダーです。これを見れば、月曜日と火曜日がどう違うのか、一目でわかります。

もちろん、「記憶力」に頼ったとしても、月曜日と火曜日の違いがまったくわからなくなるわけではないですが、タスクシュートがあるのとないのとでは、カレンダーがあるのとないのほどの違いがあります。

カレンダーがなければ、今日が何曜日かわかる人は、誰もいなくなるでしょう。

 

絶対にやることであれば、タスクリストに追加しておいた方が、タスクを片付けやすくなる

タイトルが長くなりましたが、そのまんまです。

たとえば私が「トイレ」とか「お風呂」をタスクリストに入れておくのは、それは必ず終わらせることができるという意味もあるのです。

行くまいとしても、行ってしまうのがトイレだから。

「やるかやらないかわからないが、ぜひともやるべき!」というタスクだけのリストだと、(おうおうにしてそういうリストが多いものですが)、最悪の場合ひとつもやることができず、気分が悪い。

たしかアンナ・フロイト(フロイトの娘さん)の言葉だったと思いますが

超自我は、自我に敵対するときにのみ明確な姿を取る

という言葉があります。

つまり心の内なる批判者であり、しかも「理想」を示すよりも「批判するのみ」というやっかいでいやらしい存在なのです。

あれです。「そんなんじゃだめじゃ!」とは言うけれど、「じゃあどうしたらいいです?」と聞くと、「そんなん、自分で考えろ!」としか言ってくれない上司みたいなものです。

自分が何をしてはいけないかはよくわかっているが、何をしたらいいのかはちょっとわからない。

という人が、「理想のタスクリスト」を作ることほど悲しいことはありません。それより「やるに決まっていることリスト」を作る方が、きっと気分が良くなります。

簡単にオールチェック入れられるのです。なるほどこんなに物事を進めるのは簡単なのか、と思うところにひとつだけ、やりたかったことを潜ませておく。それくらいがちょうどいい。それがタスクシュート式です。

間違ってもできそうもないことや、ずっとやれなかったことだけのリストを作ったりしないことです。

それを目にしたときだけ「先送りはいけません!」と超自我らしき内なる声がするでしょう。「では何をしたらいい?」と尋ねても「そんなん、自分で考えろ!」と言われるのがオチです。

情報整理が得意な人の脳

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ウィスコンシンカード分類課題 という面白い研究があります。

トランプと似ていながら、やたらといろんな形が描かれたカラフルなカードを、被験者は分類させられます。

被験者は、どういう基準で分類すればいいのかわかりません

検査者は分類の規則を被験者に教えてくれないのです。

ただし、1回ごとのカード分類の正解・不正解は教えられます

たとえば最初は色で分類していると「正解」と言われます。

しばらくの間、分類規則は一定なのですが、とつぜん分類規則が変わるので、いつまでも「正しく」分類していると、あるタイミングから検査者が突然「不正解」というのです。

こうなったら、被験者はまた新しい分類規則(カードの中に書かれている形など)にしたがって分類し直さなければなりません。

 

という退屈と言えば退屈な課題から、興味深いことがわかります。この課題において、

新しい分類基準に変わったところから、課題を非常に困難に感じる被験者

が出現するのです。前頭前野に損傷を受けている被験者の場合、どうしても最初の分類基準に引きずられてしまい、新しい分類基準に従って分類していくのが困難なようなのです。

ようするに、新しい条件下で失敗になったり成功になったりする基準を、教えてもらえるわけではないので、自分で試行錯誤した結果、何が失敗で、何が正解なのかを覚えておいて、新しい分類基準を自ら見つけ出し、それも記憶する必要があります。

脳の一部を損傷している被験者にとって、それが難しいのです。

この課題はもちろん、前頭前野の損傷の意味をあぶり出すための課題ですが、私がこれを読んだときすぐひらめいたのが

Evernoteのノート整理を得意とする人と不得意とする人を分けているような課題だ

と感じたのです。

Evernoteのノートを分類するのも、何が正解で不正解かは、自分で決めるしかありません。教えてもらうようなものではないでしょう。

その分類基準はけっきょく、どう分類したらうまくいったか、あるいは失敗だったかを、記憶しておく必要があるはずです。

その種の記憶が弱いと、

今後は「アイデア」と「ネタ」を分けるようにする!

という自分の新しい分類基準を設けても、翌日にはそのことを忘れるので、うまく分類できなくなると考えられます。

ライフログの活用法。ニュースログと結びつける

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毎日ニュース記事をひとつだけ、Evernoteに残しておいています。

こうすることで、「そう言えばこんなことがあったな。その日の私は何をしていた?」と思うことがあるからです。

たとえば、先月末ごろに「首里城全焼」というニュースが入りました。まだ記憶に新しいですが、すでに話題は「桜を見る会」や「ヤフーLINE」へと移行しつつある気がします。

しかし一日の中の最大のニュースは、記憶に一定の痕跡を残します。

その痕跡を逆にたどり、「そう言えば自分はその日、ブログでこういう記事を書いた」とか「そう言えばこの日、グッドバイブスのブログはこれだった」という記事を読むと、だんだんその日にしたことを思い出せてくるから不思議なものです。

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そのうえで、食べたもの、訪れた場所(これはいちいちEvernoteに残してなくてもたぶんGoogleマップでものぞけばGoogleがきちんと保存してくれています)、そしてその日の服装でも写真に残って着れば完璧です。

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 いつ頃、どんなものを食べて、何を着込めば、快適に過ごせて仕事に集中できるかも、なんとなく見えてきます。

たすくま・タスクシュートでやれば、もっと徹底的にやることもできますが、ごく簡単に記事を記録したり、服装と食事の写真を撮っておくだけでも、それなりにできます。

わりと大事なのは、その日その日、記事をいちいち目を通したり、自分でクリップでいいから、手動でやることかもしれません。

特に記事などは、毎日読むからその日のことを思い出せる、という効用を得ることができます。

ライフログを緻密に取っている多くの人に朗報です

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ライフログは取ってないにしろ、お子さんの誕生日の写真や動画は、わんさか取っているという人が多いと思います。

私はひとつ、数年前に大きな発見をしました。

4歳になる娘の誕生日に、2歳の時の誕生日の様子を動画で見せたところ、感動して泣いたのです。娘が。

個人的に、これはけっこう驚きでした。わずか4歳という年齢で、自分が祝われているというような、そういうことで感動して泣く、ということがあるのかと。

私は子供のことなんて、何もわかってないとつくづく思いました。自分はそういうことでは泣きません。しかし、そういうこともあるのかということには、たしかに感激しました。

そんなこともあり、ライフログをせっせと残しております。ほとんど娘中心です。

 

あなたの知らないApple Watch: これまで語られなかった小さな使い方

あなたの知らないApple Watch: これまで語られなかった小さな使い方

 

 

時間節約術のひとつ。キャンセルしない

どうしても、という事情があるとは思うのですが、キャンセルというのは、けっこう時間を使うし精神的な消耗もあります。

セミナー開催しているとどうしてもよくわかってしまうのですが、キャンセルしない人と、する人の二種類がいるというのは、事実です。

この

キャンセルする人

にたいして、どのようにすればキャンセルしないようになれるかということを伝えるのは、私の仕事のひとつだと認識しています。

キャンセルは、キャンセルポリシーその他のこともありますが、明らかに心理的な負担になるし、時間を使う上でも、「調整」という困難を乗り越えなければできません。

キャンセルさえしなければ、お金の心配も、相手への心証への忖度も、何もかもが不要になります。

この「不要」ということが大事です。不要なことを実行せずに済むというのは、時間という「使わずにおくことができない」ものを「節約」するためには欠かせないのです。

時間はなくならないのだから、キャンセルなんて「不要」なのです。キャンセルしてまでやることを切り替えても、おそらく得られるものはほとんど変わらず、その代わりにいくらかのものを必ず失うことになります。

それでもどうしてもという状況はあるでしょう。この間の台風はいい例です。

その見極めは、キャンセルポリシーその他において、仮に100%取るぞ!といっている相手でも、もしかすると躊躇するかもしれないと思えるかどうかが、境目だろうと思います。

タスク管理は未達事項を気にしなければうまくいく

未達とはつまり「やってないこと」です。

タスク管理で何より大切なのは、

  • いま何をやっているか

ですが、次に大切なのは

  • 何をやったか

です。

いちばんどうでもいいのが

  • これからやること

です。

未達が多いとか、締め切りに遅れそうだとかいうのは、タスク管理をどうこうしたからといって、本当はどうにもならないことなのです。

一番大事なことを、ただいまから、集中してやればいいのです。

未達を全部片付けたからと言って幸せになれるとか、大学に受かるとか、人が褒めてくれるなどという決まりはありません。

それに未達はいつまでもあるはずです。未達のことがなくなるときは、死ぬときです。

未達がたくさんあるということは、生きているということなのです。

未達は、いつまでもあるのです。なくなることは、ありません。

未達を気にしているのは、まったく不幸なことです。未達を気にするのを今すぐただちに止め、やるべきことをやればいいわけです。

有料のウェブマガジンCHANGESをリニューアル中です

2020年を迎える前に、新執筆陣を迎えたり、新連載をスタートすることによって、CHANGESリニューアル中です。

言いたいことやまやまのやままさんにはすでに、新連載を着々と更新中です。

全連載の第1話はすべて無料で読めますので、ぜひどうぞ!

changes.jp

 

そして、今月、五藤晴菜さんの新連載がスタートしました。

テーマはiPadOS。私がイラストをもとに自分のiPadを使っていろいろ学習中。そのプロセスを記事にしていきます。

 

changes.jp

 

さらに、works4Life ののみこさんを新連載の執筆陣に加わっていただきました! テーマはもちろんGTDです。

共催のGTDセミナーも12月7日に実施します。よろしければ年内最後の「書き出しタイム」にご参加ください!

www.works4life.jp

 

さらにさらに、最初期の執筆陣の岡野純さんが新連載をスタートします!

 私自身も新連載を計画中です!

これから新しくなるCHANGESこれからもどうぞよろしくです!

野の医者は笑う:心の治療とは何か?

 

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

 

ブログタイトルを書籍タイトルと一緒にするというのは、個人的には避けたかったのだが、迷いに迷ってこうしてしまった。

もうこれ以上迷うのは時間と労力の無駄だと思えてきたのだ。

本書はとてつもなく面白い、とは昨日書いたことだ。筆者は大変な能力の人だと思う。

本書の魅力は多岐にわたりすぎるくらい多岐にわたるし、しかも私は「臨床心理学」というものがオタク的に好きなため、でも臨床心理士になれそうもないため、こういう本はめっぽう楽しめる。

ということを抜きにしても本書は間違いなく面白い本である。

その面白さを支えている大事な要素としてミステリー仕立てのふうを装っている、小説風のそれでもルポなのである。

だけではなく、きちんとした学問的な分析が加わっている。しかも一定以上の説得力がある。

つまり必要なものは全部入っていて、ミステリーなのだ。

ミステリーというのは不思議なもので、「謎」がオカルトであってはならないから、小説の中身は写実的であるほうがいいようだが、面白い作品はたいていそうではない。

たとえば森博嗣の作中人物は名前からして奇妙だし、ありそうもない雰囲気がある。何か特有の薄気味悪さに嘘くささがつきまとっている。

現実なのに、それと同じような嘘くささとちょっと気味の悪い世界が、「野の医者」の世界にはみえる。つまりスピリチュアルとヒーリングと占いと、それからポップ心理学の世界。

臨床心理士であるのに(つまりこの作中では「探偵」である)、作者は「野の医者」の世界に分け入って、最初は冒険のつもりで、だんだんミイラ取りがミイラになっていくのだ。

ファンタジーの世界にとりつかれて戻ってこられなくなるような魅惑と気味の悪い世界。舞台は沖縄だが、ほとんど現実感がない。ヒーラーばかりが登場する。

しかし作者は実際のところ、断じて正気を失わない。失っているように見せるけれど、実際には失っていない。そして、少しずつヒーラーの大物、元締め、黒幕へと迫っていく。最後の最後の大物は「X氏」などと書かれていた。

後半は疾風。これもミステリーの特徴だ。どんでん返しが続く。大物に会ってもそれほど「スピリチュアルのミラクル」は現れることなく肩すかしを食わされるが、一方で河合隼雄だの箱庭療法だのが登場するにいたり、ますます「ヒーリング」と「臨床心理」を区別する線があやふやになってくる。

そうこうするうちに、読者は作者に感情移入してしまうので、だんだん読者としては「ミラクル」に期待してしまうのだ。

しかしミラクルが起こるということは、スピリチュアルの勝利である!

ところがその結果、作者は臨床心理士として大学に就職がかなうという話であって、それは埼玉県の新座にある大学と来ている。じつに大きな、皮肉な、そして退屈なミラクルである。

こうやって沖縄ヒーラーという「虚構」と「現実」を行きつ戻りつしながら、さらに読み進めるほど、謎に肉薄していく感じがせまってくる。「ヒーリング」とはなんなのだろう? インチキなのだろうか? 臨床心理は「正統派」であって、スピリチュアルは集金マシンなのだろうか?

お金を取る方はどう考えているのか? お金を払う人はだまされているのか?

物語も終盤になって、「経済力をつけること自体が癒やしになる」といったような話を、当然のように語る大物まで登場してくる。作者だってそうではないかと。だって、大学で臨床心理の教鞭をとるという経済的基盤を持つと、ストレスから解放されたでしょう?

だが少なくとも作者は「だまされない」。ミステリーで探偵が殺されてしまったり、現実に戻ってこられなくなってしまったら、物語は成り立たない。少なくとも読者はそこに期待する。

でもそれは、また戻ってしまうが、結局なんだかんだいっても臨床心理が正統であって、「前世療法」は・・・、というものなのだろうか。

この本を最後まで読むころには、もうその結論だけ持ち帰って「現実に戻る」ことは、ふつうの読者に無理になっている。ヒーラーに癒やされる人も、現実には存在する。

それはたまたまかもしれない。ヒーラーだって奇蹟は起こすものの「身内」との関係は必ずしも理想的なものになっていない。(身内は難しい、という言葉が出てくる)。所詮は経済、お金かもしれない。

しかし、作者の生活もまた、「経済に癒やされる」のだし、作者の家族関係も「理想そのもの」というわけではなさそうなことが、冒頭に描かれていた。スピリチュアルは「たまたま」で、臨床心理は「再現性がある」のか?

結局、心の治療とは何か?

この謎は、どう解き明かされるのだろう?