佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

先日楽天カフェに行ってみました

渋谷駅周辺で電源を探しているなら「楽天カフェ」をおすすめする5つの理由

こちらの記事を読んで、ちょっと電源を探してもいたので。

数回いってみて、混雑時とそうでない時間帯との差がかなり大きいです。ただ、総席数がかなりあるので、よほどの時間でなければ、座ることはできそうです。

時間制限もあるので、半日居座って作業、というわけにはいきませんが、常識的には問題ない時間、すごせます。

楽天なので「エディ」が使えますが、スイカは使えません。

場所は、方向音痴の私でも簡単に見つけられましたので、渋谷駅から近いですし、おそらくだれでもたどり着けるところです。

かなり作業をみっちりやる感じにあふれているところなので、どちらかというと「渋谷でデート」には向きません。二人そろってライフハックなカップルなら問題ないかもしれませんが、一人で電源使って作業するにはいいところです。

楽天カフェ

食べログ楽天カフェ

タスク管理で「やりたいことを全部やる」は可能か?

業務時間中は自己流のベタベタ付箋タスク管理術でやりくりできているのだが、その前後がボロボロ。出社前も帰宅後も、「あれも書かなきゃこれも書かなきゃ」となりつつ「筋トレもしなきゃ」「おもしろい飲食店情報を」「本を読んで自己啓発」「今日のニュースを」「ブログチェックを」「ウルトラマンジード観ないと」その他めいっぱい、ただひたすらに追われている感覚に陥って、最終的には「なんと私はダメな人間なんだろう」で終わり、枕を涙で濡らすのだ。

yamama48.hatenablog.com

 

セミナーご参加いただきまして、大変ありがとうございました!

改めてお礼申し上げます。

実際にお目にかかってみて、改めて思ったのは、「やまやま」さんはやっぱり私なんかよりずっとやりたいことも多く能力も勢力もお持ちなのです。jがいてよかったよ、と感じたものです。

「いつかやりたいこと」は「カタログリスト」に避難させて、「カタログの全部を買える人はない」という一般論で落ち着ける私のような人間は、それが人間的な欠落だと言われれば、それも事実なのです。

「カタログを全部買っちゃうぞ!」と言って、それを可能にするビル・ゲイツのような人だっているのです。「自分がゲイツになれないなんて、誰が決めた!」と言われれば、それもそうです。私はなれないと思うのに苦労がないのです。

しかし、現代の、いろんな意味で自由な社会において「やりたいことは死ぬ前に全部やるのだ」という主義の人を否定することはできません。タスクシュートは「バートレット引用句辞典」とはちがう形でものの道理を説いてくれるツールで、「それは無理」と腑に落とすことができますが、それとはまたちがった道もあるのではないかと、時折夢想します。

タスクシュートで、ものの道理を無視してカタログを全部実行できないか?

あるいは、とうてい実行できないカタログを何かもっとちがう形にできないか。

そんなことを悩みつつ、「自己流のベタベタ付箋タスク管理術でやりくりできている」というのは実際どんなものであるか、興味があります。これを可能にしてしまうというところにも、私とのタイプの違いを感じさせられますね。

夢を叶えるタスク管理マニアにご参加いただきありがとうございました!

セミナーから帰宅の中この記事を書いています。

本日は猛暑の中、人口密集気味の原宿セミナーにご参加いただき、大変ありがとうございました!

あいかわらずjMatsuzakiが非常に独自な「やりたいことをやる」路線をタスク管理していて、率直に元気づけられますね。

私が喋ったことはいつもの通り、デイリータスク中心路線です。どうかプロジェクト管理路線でうまくいかない人に、この発想を試していただきたいと思います。

また、このことはブログでも書いていこうと思いますが、優先順位をどうするかという話になったとき、優先順位の相対性を忘れないでいただければと思います。

書くから、そしてしばしば実行するから、相対的に優先度が決まるのです。最初から物事の優先度が絶対的に決定されているわけではないのです。

いろんなものを食べるうちに、食べたものの中のどれよりどれがおいしいとなるのです。それに、甘いものを食べると、しょっぱいものがおいしくなるのです。するとまた、甘いものが欲しくなるのです。価値は、並べることで変わるし、並べ方でも変わってしまいます。

最後に、「いいたいことやまやま」さんがご参会してくださりました。とてもうれしいハプニングでした。

私は時に「何のためにブログを書いているんだろう?」と思ってしまいますが、ブログを読むことはとても好きです。だから優れたブロガーさんに会えるのもとても楽しいです。そう思ったら、やっぱりブログを書き続けようと思えました。

yamama48.hatenablog.com

宇宙バンパイアーとのとても奇妙な出会い

 

宇宙ヴァンパイアー (新潮文庫)

宇宙ヴァンパイアー (新潮文庫)

 

これはコリン・ウィルソンという、ウィルソニアンとも言うべき人々の間では絶大に知られているけれど、今となっては限りなく無名に等しくなっている人の、おそらく最高傑作とされているB級映画の題材みたいな小説である。

このような紹介文にはわけのわからなさを禁じ得ないだろうけど、小説を読んでみて、しかもこれを面白いと感じてしまったら、この紹介文以上に簡潔に紹介するのが、そんなに簡単でないことがわかってもらえると思う。

この小説を、なぜか村上春樹さんが推薦している。だからこんな形で復刊しているのだが、だからといってそんなにこの小説を高く評価しているわけでもないらしい。「ストーリーは弱いけど、なぜかいい加減な思想がその脆弱性を補っているという変な組み合わせの小説ですよね」などという評価だったりする。

この小説というか「スペース・バンパイア」というものには実のところ、3度、変な出会い方をしている。

1度目は小学6年の頃に、担任の先生が同級生を「スペース・バンパイア」などを見に行ったということで叱りつけていたのである。つまりそれは当時「エロ映画」でしかなかったのだ。少なくとも当時の担任の先生にしてみれば。まあ、見に行った同級生も当時にしては早熟なヤツで、「エロ映画」を見に行ったんだろうと思う。

2度目は私がすっかりコリン・ウィルソンにハマっていた頃に、妹が古書店から買ってきたのだ。これはまっとうな出会い方で、まさにこれはウィルソンの小説としては最高傑作だと思った。そのときふと、「あれ、これはスペースバンパイアというんじゃないか。するとあの小学6年だったときの映画って、これだったのか!」と思ってさっそく映画を見て、非常に後悔した。

村上春樹さんが「これがひどい映画でね(笑)まあ、とんでもない映画で。」と述べているが、本当にそれ以外まったくなんともいいようがない映画なのである。原作のストーリーを無視しているわけではないが、原作はどこかへすっ飛んでしまっているとしか思えない。

で、3度目が今回。せっかく復刊してあるんだからと言うことですぐ買ったのだけど、しばらく読む気がしなかった。ハマっていた頃ならともかく、今はもう、なんか読まなければよかったようなことになるのが、イヤだったのである。

が、読みなおして、やっぱり自分にはこの人の作品というか作風というか文体がとても合っているのだと確認した。たしかに以前に比べると、自分が歳をとったせいで、アラが見えてしまうが、そんなことはわりとどうでもよかったりもするのだ。結局、面白いのである。

こういうことを、ブログにも書いておこうと思ったので今回、書いてみた。つまり、私たちが「忘れる」というのにはいろんな意味があるものだ。コリン・ウィルソンの「宇宙バンパイア」を忘れたということはなかったが、それを面白がれる自分というものを、我ながらうっかり忘れていたのである。

ブログはメモのように書いたらいい

先日、成果と変化を同時に求めない、というようなことを書いておいたところ、妙に反応が大きくて驚きました。ブログには、こういう驚きがあります。

たぶん、一定の反対があるだろうなとはなんとなく予感していましたけど。

nokiba.hatenablog.jp

本は、たしかに「変化する前に一気呵成に書く」というわけにはなかなかいかないので、変化せずに本を書き上げる、だと違和感をもたれるのは分かりますが、メモならそうでもないでしょう。

人がメモするのはまず間違いなく「変化する前に成果を確保する」ためだろうと思います。

この場合変化するということは、メモする内容を忘れるか、あるいはメモしなくていいような気分になってしまうことをいいます。

本を一気呵成に書く人は、おそらく同じような気持ちで本を書くのだろうと思います。私にはそれはできないから、一定期間自分をホールドするようにしているわけですが。

でもブログは、本よりはメモに近いものだと私は思います。ブログすら、本のようにしてしまうと、「このネタで書こうとしていた昨日の自分は一体何を考えていたんだ!?」ということになってしまって、いつまでもアップできなくなるわけです。

本を一冊書き上げるために心がけていること

自分としては極力避けたい心得的な話ですが、先日のタスクカフェで少し気になることがあったので、自分へのフィードバックも兼ねて書きます。

自分は、本を一冊書き上げるまでは、極力「変化しない」ことを心がけます。

非常に単純なことをいえば、最初の一文を書くときに目指していることと、最後の一文を書く頃に目指していることが正反対になっていたら、困ると思うからです。

もちろん人間生き物ですから、100日以上なんの変化もせずに生きるということはあり得ません。それじゃ死んでしまいます。

けれども、成果を出すためには変化を避ける必要があると、よく思うのです。

留学中、論文を書ける人とかけない人との違いによく想いをはせました。

論文を書けないという人はとにかく、変化を求めます。成長ということもそうですが、なにかをするならば、変化が得られないと、損だという感覚を持っている感じなのです。

けれども論文というのはそうでなくても、「どんどん新しい知見に刺激を受けつつ」進めるものであるため、「常に進化」しているような人(そんな個体は原理上この世にありえないと思いますが)は、いつまで経っても1ページもかけなかったりするものなのです。

なにか、絶え間なく変化を求めつつ成果を求めるというか、成果を出すということは変化をともなうという掟のようなものをにおわせる人がありますが、それはあったとしても特異なケースだと思います。

プロジェクトを進めるために必要なのはライフハックかモチベーションか

ライフハックも、モチベーションも、あればあるほどいい。といってしまえばそれまでですが、両者のいずれを重視するかについては、実はずいぶん開きがあります。

私なんかもしばしば両方混ぜたようなことを言っているので少し反省中なのですが、私は基本「ライフハックを重視したい」ほうです。

モチベーション志向の人を批判するつもりはさらさらありません。モチベーションでいけるなら、それは理想的だと思います。

WorkFlowyのようなアウトライナーを使って、プロジェクトのゴールを予めきちんと決め、そこから分解されて出たタスクを、割り振った日時に沿ってなんとしても進めるというのが、一見理想的に見えます。

でもそんなことは不可能です。そんなに予定どおりに行くことはあり得ませんし、日によって調子が悪い日は先送りにしたくなります。そんないかにも起こりそうなことが起こるつど、罪悪感にさいなまれてしまうというようなやり方は、自然でも合理的でもありません。

ただし、それが「できる」人もいるのです。そういう人は物事を「工夫」や「仕組み化」や「ライフハック」でそうしているのではなくて、高い志と情熱とで乗り切っていくのです。私はそういうタイプではありませんから、最初からそういうやり方を模索しないのです。

私の見たところ「いつもワクワクと楽しく仕事をどんどんやっていく!」ということが「本当にやれているように見える人」は、ほとんどライフハックを提供してくれない。そういう人が発信する情報は、情報というよりは箴言であり心構えであり心のもちようであり、あるいは矜恃であったり志操性であったり、ドリームキラーに対する批判なのです。

一方で、シゴタノ!の大橋悦夫さんのような人が提供する情報は、工夫系が非常に多い。「心得」みたいなことを書くこともありますが、そこにも極力「工夫系」がからむようになっています。

cyblog.jp

大橋さんの記事には常々、いつもの独特のトーンがあります。仕事を進めるに際してモチベーションが「ほとんど発揮されない」場合に、どんな手を打っておけるかということへの心配が感じられるのです。ライフハックや知的生産の記事を書く人であっても、こういう心配がここまで偏在しているというのは、実は希です。

モチベーションが高い人は、そういった工夫を、実はさほど必要としてないのではないか。彼らにしてみれば「仕事はしますよ。だって仕事ですから」でいいはずなんでしょう。そういう「継続への意志」のようなものがたいていはかなりハッキリ感じられます。しかしということは、「どうにもならないときにはどうしますか?」への解答はあまり見あたらないということになります。

タスク管理では誰しもが悩む

しかし、実際の仕事の現場では、「明日まで待てないほど、緊急な仕事はない」ということもない。というリアルな現実があるわけです。

そして、それらのタスクは、バッファを超えて降ってくることも、しばしなのです。

 

hokoxjouhou.blog105.fc2.com

(本記事中の引用は以下もすべて「情報管理LOG」さんです)

これは、どうしても発生する問題です。特に過酷な現実に直面しているなら、タスクリストもログもいずれも過酷になっていくので、悩んだり苦しんだりせずにすませるというのは不可能です。

私は「やりたいことをやれない」ということと「やらなければいけないことができない」という状況は、分けなければならないと思います。その上で考えますと、後者の「やらなければ済まないことすらできない」はいかにも過酷です。

有限な時間の中に納めるには、「何か」をカットしなくてはなりません。でも、カットされた部分は、どこに???

どこにも行きようがありません。「絶対にやらなければいけないこと」は「カットすることはできない」のです。なぜならそれは必ず「ログ」になるからです。「絶対にやらなければいけないこと」というのは原理的に「ログ」にならずには済まされないはずです。「やる」のですから。

「カットできる」のはあくまでも「やらずに済むこと」に限ります。

リストはそう容易に削除できない

まさにそうです。だから「クローズドリストの苦しさ」のみならず、あらゆるタスク管理、あらゆるタスクリストの苦しさも同じです。現実がそこまで過酷で苦しいのに、タスクリストに苦しみが反映されていないというのはおかしいでしょう。

絶対にやらなければいけないことだけでリストを構成して、それでも24時間を越えてしまうとき、タスクリストから必然的に、絶対にやる必要のあることまでをも削らなくてはなりません。でそうでなければ「絶対にやる必要のあることをしない」という選択を選ぶことになります。

タスクを断ったり、後回しにしたり、リストから削除したり、ということが全て可能かというと、なかなかできない現実とのギャップに皆悩むのです。 

この悩みこそ、必要な悩みです。こうならないのであれば、悩む必要などありません。どれ1つ削ることができないもののなかでなにかを削るか、できないにもかかわらず何らかのタスクを先に送る。こういったことこそが、「決断」の名に値するものです。

 私はタスクシュートが、クローズリスト以上のものだと思うのは、常にそのギリギリの決断を迫るリストを作りだすからです。現実がそこまで過酷でないならば、そこまでの決断を迫ってはきませんが、本当にどれひとつ削り得ない内容で、さらになにかを削りたいというほど厳しいときには、リストが驚くほど選び抜かれたラインナップになっていきます。

24時間の中に最低でも26時間が入らなければならないとき、睡眠時間は4時間半で、これ以上睡眠時間の削りようなどなく、どの仕事も絶対にやらなければならず、食事も間食もギリギリまで短くしているのに、それでも入りきらないというリストになったとき、急に「これは後だ!」ということが見えるのです。

こういうリストにしてみなければ、絶対に気がつかないような発見をするのです。

こんな発見をするには、悩んだり苦しんだりしないというわけにはいかない。リストアップされているから不安にならないなどということはなく、むしろリストそのものが不安や、ときには恐怖を与えてきます。それはリストがクローズだということとはあまり関係なく、現実が恐怖をもたらしているのです。

それでもタスクリストを作ることには意味があるのです。株が暴落しているとしたらそれはおそろしいことですが、損切りするなら速いほうがいいし、即決を確実にサポートしてくれるのがタスクシュートだからです。

 

なぜ、仕事が予定どおりに終わらないのか? ~「時間ない病」の特効薬!タスクシュート時間術

なぜ、仕事が予定どおりに終わらないのか? ~「時間ない病」の特効薬!タスクシュート時間術

 

 

小説を読む効用

小説でも映画などでも同じですが、人は別に効能を求めてフィクションに接するわけではありません。

が、結果としてにせよ、日常生活に必要な効用が得られることも少なくなくて、これがなかったら人はかなり苦労することになるだろうとは簡単に想像できます。

そういう意味では人間というのはやっぱりかなり奇妙な生き物です。他の動物では考えられないことでしょう。

どんなにライフハックしても「改善」に努めても、日常生活というのはやっぱりなかなかどうしても一筋縄ではいかず、ため息をつくより他どうしようもないことに満ちあふれているものです。その理由は実に様々でしょうが。

最近『宇宙バンパイアー』という本を小説を読んでみて、「小説の効用」というものを久しぶりに強く思い出しました。タイトルからすぐ分かるとおり、かなり「ばかげた」物語なのですが、読んでみると「そんなに」ばかげてはない本でもあるのです。だいたいコリン・ウィルソンという人はそういう人なのです。

「効用」を得るには、そういう本がちょうどいい気がします。小説を読むからには現実のリアリティから意義から相対化してくれないと、早い話が「現実なんかどうでもいい!」というくらいにならないと、どうしようもありません。ありもしない話に「引き込まれる」というのは、そういうことのはずです。

でも結局戻ってきます。小説には終わりがあるし、小説の登場人物と一緒に死んだりするわけにはいかないので。

この戻ってきたとき、あまりにも現実の問題に真剣に取り組みすぎていたからうまくいかなかったような気がするなら、「効用」が充分にあったということになります。

ちなみにそういう効用なら映画のほうがいいのでは、と思われるかもしれませんし、半分賛成です。が、「宇宙バンパイアー」についていえば、それは当たってません。「映画版」もあるのですが、映画のほうは「そんなにばかげてしまっている」のです。 

宇宙ヴァンパイアー (新潮文庫)

宇宙ヴァンパイアー (新潮文庫)

 

 

第49回のきばトーク無料公開中です

昨日、いつも通り倉下忠憲さんとのきばトークをお送りしました。

テーマは、未来志向と過去志向とセルフイメージについて。

何が何だかよく分からないテーマかと思いますが、「ほぼ日手帳」って、ありますね。

あれは、手帳、なのか、日記、なのか。どちらに見えますか?

基本的には日付だけが印字されているノートでしかないものが、この世の中にはたくさん売られています。

あれは何か?と問われたとき、見方が二通りあるんです。

「あれは手帳ですね。予定とかを忘れないために書いておきます」という人と

「あれは日記ですね。会った人とかのことを忘れないために書いておきます」という人があります。

どちらも「忘れないため」に書くのですが、忘れたくないことの方向性が違います。

自然と未来方向のことを気にする人と、自然と過去方向のことが気になる人といるわけです。

これが、タスクリストとライフログにも当てはまり、セルフイメージにも関係しているんじゃないかという私の憶測があるんですね。気になる人には動画を見て欲しいと思いますが、私の結論だけ言うと、未来志向だけでいく人はよほど自信家でないと難しい、と思うのです。

youtu.be

夢を叶えるためのタスク管理がいったん満席となりましたが、キャンセルなどもあり

nokiba.hatenablog.jp

 

こちらの記事でも告知いたしましたが、今月16日開催予定のタスク管理セミナーが、おかげさまでいったん満席となりました。

が、キャンセルなどもございまして、現在残席3となっております。

おそらくすぐ満席になってしまいそうなので、ご検討いただいている方はどうぞお早めに。

冒頭の記事でも書いたように、このセミナーは私のように、セルフイメージが低い〜中くらいという人間がタスク管理するケースと、jMatsuzakiさんのように、かなりセルフイメージ高めの人がタスク管理するケースの、両方を網羅する目的で設けたものです。

セルフイメージなどというものは、それは低めよりは高めの方が良さそうなものではありますが、「高めよう」と言ってもなかなかそうできるものではないので、低くてもできるタスク管理というものには、一定の意義を認められると思うのです。

同時に高ければ高で苦しいこともあります。

そういう視点からタスク管理をとらえてみると、仕事や生活上のプロジェクトを進めるきっかけが得られると思います。

やる気クエストの次回作について岡野純さんとうちあわせしました

コミカル!で連載中の『やる気クエスト』がまもなく完結するということで、次回作について渋谷で打ち合わせてきたわけです。

www.mag2.com

 

やる気クエスト(1) (純コミックス)

やる気クエスト(1) (純コミックス)

 

 

いつも議題に上がることではありますが、やはり次回こそ「推理もの」にしたいということでは一致したわけです。ライフハックと探偵ものは、親和性が高そう。以前、どこかのライフハックセミナーでも「結局ライフハックというのは探偵へのあこがれなんだ。手帳とか、ガジェットとか」と言っていた方がありまして、これはそうだと思って以来のことなのです。

しかし、探偵ものは難しそうだ。二人ともそんなものを書いたことはないし。何か書くコツがあるんだろうけど、今のところどうしていいのか分からない。(コツがあるというのは、推理ものを書いている人はみな多作なので、あれには量産できる要素があるんだろうと思っているわけですが)。

そこから、「先送り本」をネタにするとか、心理カウンセラーを主人公にするとか、話があっちこっちに行くわけですが、なんとか話がまとまりました。もう少し危うい人を主人公にした、またしても異世界性をからませて。とは言っても、『やる気クエスト』ほどファンタジーではない方向で。

 

先送りせずにすぐやる人に変わる方法 (中経の文庫 さ 17-1)

先送りせずにすぐやる人に変わる方法 (中経の文庫 さ 17-1)

 

お話ししていると純さんはなんと言っても「モチベーション」で漫画を描いているという感じでした。で、モチベーションは読者からの反応が大きくものを言うらしいので、たとえば「やる気クエスト」のご感想などいただけるとうれしいです。

#やる気クエスト

で。

twitter.com

 

やる気クエスト(2) (純コミックス)

やる気クエスト(2) (純コミックス)

 

 

 

やる気クエスト(3) (純コミックス)

やる気クエスト(3) (純コミックス)

 

 

 

やる気クエスト(4) (純コミックス)

やる気クエスト(4) (純コミックス)

 

 

進まないプロジェクトは「優先されやすく」しておく

優先順位を考え直す、という決意表明がありますが、まずそのログを残すとどうなるか、という問題が本来はあります。

次のような問いに答えます。

  • なぜ今、優先順位を考え直そうと思ったのか?
  • 今の季節、年月日、時間帯は?
  • 優先順位を検討し直す必要性はどのくらいあるか?
  • なにを「やってしまった」から優先順位を考え直したいのか?

私の知る範囲内では、優先順位を考えたくなるほとんどのケースでは、やりたいことややるべきことが多すぎて手が回ってないことが気になっているのに、それとは全然違うことに時間を費やしてしまっているということです。

仕事が立て込んできていて、夏を前に早朝から運動しようとしているのに、実際には夜中にゲームしている、などです。

だから、「今の自分にとってなにが本当に必要かを、徹底的に考え直す」ということが必要に思われるわけですが、おそらくその時間がない。

「夜中」に「ゲーム」を、「本来優先すべきこと」に「優先して」興じてしまうのは、優先されやすい状態にあるからです。優先順位というのは、何らかの意味で、過去の自分がそのときの気分に応じて下した判断ですが、現在の判断はそのときの状況に応じて、過去の判断とは異なるものになるということです。

そして現在の判断は、優先されやすいものに向かう。そこにゲームが置いてあればゲームをするでしょう。そこに、ダイエット器具があったらまた少しちがうかもしれない。

私は、「そこ」に一日のタスクリストがあります。しかし、それでもなにかに脱線したくなったら、タスクリストの中に「今すぐ脱線する」ということにしてしまえばいい。そうすることで自分は計画に従おうと、衝動に従おうと、比較的「理想的な自我」に従おうと、「ダメな自分」に従おうと、とにかくどうであれ、タスクリストを優先することだけはできます。

そしてそのログに、「過去の自分」「衝動的な自分」「理想自我」「脱線する自分」のカオスが残っていきます。それが自分の影みたいなものです。

そこまでいったら、このブログでも一度書いた「リフティング方式」でタスクリストに「進まないプロジェクト」をおいておきます。それは、絶対に手がけられるとは限りませんが、「優先されやすい」ものになります。

nokiba.hatenablog.jp

ゲームがそこに置いてあったからといって、必ずゲームをするとは限らないでしょう。しかし、やれる余裕があって、やりたい気分の時には、やる予定になくてもやってしまう。

出会いやすいものを人は選ぶでしょう、それは。

タスク管理とセルフイメージの低さにはどんな関係があるのか?

こんな記事を読ませていただき、考えました。

yamama48.hatenablog.com

 

記事中、次のような一説がぱっと目に飛び込んできます。なお引用中の太字は佐々木によるものです。

Googleカレンダーのタスクリスト、TaskChuteはとうの昔に挫折した。いまは結局、付箋を使った地球に優しくないタスク整理法と、Togglでの時間管理の併用で落ち着いている。

しかし問題は「どんなツールで管理するか」ではなく、「管理すべきタスクの多さと消化率の低さ」なのだ。

放っておくと、タスクはどんどん増えていく。焦燥感が募るばかりだ。増えるばかりのタスクに優先度をつけていないから、結局あっちもこっちも手を出して、どれも終わらない。達成感ゼロどころかマイナス。ああ、私はなんてダメな人間なんだろう!

少なくともTaskchuteであれば、こうはならない「はず」なのです。なぜなら、タスクが増えない「はず」だからです。タスクシュートで扱う「タスク」とは、原則としては「100%やることだけ」です。つまり

 

  • やるべきだが実際にはやれないこと→リストから削除する
  • やったほうがいいが実際には時間が取れないこと→リストから削除する
  • やれるとおもったけれどやれなかったこと→リストから削除する

という運用上の原則があるからです。こうして残るものはつまり「やったことのリストと同じ」になる。ここが非常に重要なのです。

ログ=プランであるとはこういうことです。やったことはこれからやること。これからやることはやったこと。これをぐるぐるぐるぐる回していくことにより「自分」というもののリアルが鮮明に浮かび上がってくるのです。

でもそれじゃあ「自分が変われない。成長できない」という声が聞こえてきそうですが、これも原則論として、「タスク管理は成長や自己改革のためのものではなく、それらは別途、何らかのトレーニングプログラムやインスティチュートなどにゆだねるべき」だろうと思います。

フィットネスジムに通うことや、英語の勉強をするということを「タスク管理のスケジュール」に組み込むことならば可能ですが、それはそういうことを「やる」人が、やっていることのログにつけていくから将来もやることになるわけです。私は毎週水曜はテニスに行っていますが、水曜の都合が悪かったら金曜に回す。それはタスク管理されていることです。

なら「やりたくて最初にやることはどうなるのか?」となりますが、それを「単発タスク」という形でリストに追記します。しかしやれなかったら基本的には即座に削除です。

ここで冒頭に引用させていただいたブログエントリになりますが、タスクがどんどん増えていくということは、少なくともタスクシュートにおいては原理的にあり得ないことなのですが、それが起こるとすれば、エントリにもあるように「現状に強い不満」があるからだろうと考えられます。

GTDなどにも、「いつかやりたいことリスト」などといって、この種の問題に対応したかのようなリストがいちおうあります。私もこれは「タスクシュート」ではありませんが、「カタログ」と名付けて、今すぐできないことを今すぐ買えないものになぞらえて、とりあえず記録としては保存しておくことにしています。

しかし、いつかやりたいことリストだろうとカタログだろうと、現状の不満を根本的に解決することにはならないでしょう。カタログにあるものをことごとく買えば、人生の不満がなくなるというものではないという気がします。

ブログエントリにもありましたが、

(世界地図を提示されると実にまずい、歴史の話はもっとまずい。政治も経済も非常にまずいし英語NG、読書も嫌いです!うんこ!)

この文章はリズムがあって面白いです。しかし本当のところ、ご本人も、こうしたことはどうでもいいといったら語弊があるかもしれませんが、本当に不満なのはそういうことではないのだろうという気がします。デイリーのタスクリストの朝一番に「世界地図の国名を暗記する」というタスクを追加したところで、たぶんやらないでしょう。ほとんどの人は、地理の先生でもなければ、そんなことはどうでもいいと思っているのです。

 

借力[CHAKURIKI] バカ世界地図

バカ世界地図 -全世界のバカが考えた脳内ワールドマップ-

バカ世界地図 -全世界のバカが考えた脳内ワールドマップ-

 

昨日このブログで書いたことは、結局、タスクシュートとしてはこの「現状への不満」をどう扱うべきかと考えたものでした。私が思うに、不満が募るのは「自分がダメだから」というよりも、「自分時間がないから」なのです。

ひとり時間(ひとりの時に自分らしく自分のことを忘れる時間)が足りないのか、親密時間(二人以上の時に自分自身を意識させられすぎる)が足りないのか、集中時間(トリンプさんのがんばるタイムのような時間)が足りないのかは分かりませんが、これらの時間が不足してくると、人は現状に強い不満を抱くようになります。

その改善を、「自己改革」でやりきろうとするのですが、「自己改革」はそもそも「自分時間」がなければできない。そういうジレンマがあります。

nokiba.hatenablog.jp

 

時間管理はなぜ必要か?

昨日つらつらと考えたことなのですが、自分が今、時間管理をやめられないとすればどうしてなんだろうか?

まず言えることは、記憶のキャパを超えているからです。覚えておかなければいけない予定と締め切りだけでも、記憶だけでは無理ですね。

もう一つは、「自分の時間」というものが今の時代、あるいは私の性格からか、失われやすいからです。

これはよく聞く表現ですが「なかなか自分の時間が取れない」といいます。人間、なにもしていない時間というものはないので、言い換えれば時間は常に流れているので、ある時間が自分の時間でないならば、それは誰かの時間になってしまっているのです。

ここのところをもう少し細かく見ていくと、「自分の時間」には3種類あって、と言うか私が区別してみたところでは、次のように分かれています。

  • 1人だけの自分時間=ひとりじかん
  • 2人以上の自分時間=親密時間
  • 仕事中の自分時間=集中時間

上2つはプライベート。下のが仕事中。いずれにせよ「自分時間」を増やしていきたいという思いはたぶん万人共通で、そのために時間管理が必要になると思うのです。

意識してコントロールしていかないと、特に仕事中の集中時間は全く得にくく、その反対の時間、私はそれを「寸断時間」と呼びたいのですが、ばっかりになっていきます。時間管理的な言葉で言えば「使途不明時間」です。そういう時間は何をしていたかがあとから思い出しにくいのです。

ちなみにですが「ひとりじかん」の反対は私の勝手な造語で恐縮ですが「ぼっち時間」で、「親密時間」の反対は「孤立時間」です。このあたりは時間管理と言うよりライフログで気づくべきケースで、基準は「一人だ」ということが苦痛になっていないか。理想的には「一人」が忘れ去られていて、しかし一人であるというところです。

二人以上なのに一人というのはどういうことかというと、私はいきませんが、ライブなどのいく人にはおなじみではないかと。「場の一体感に溶け込む」とかいいますね。でも人間が実際に溶けるわけではないですね。一人なんだけど、周りに知人は誰もいないかもしれないけれど、孤立してはいない、といった感じです。

逆に、家族と二人でいるのに、その相手からは「仕事しろ」とか「結婚しろ」とかいうプレッシャーが暗黙にせよ迫ってきて、「二人以上」なのに「孤立している」ということもあります。そういうのは「孤立時間」と私は思っているのです。

「ひとり」(趣味に没頭)「親密」(家族と楽しく過ごすなど)「集中」(仕事)の配分や比率という問題もありますが、この3つはいずれも「自分時間」であり、これを失いたくない。特に気づかぬうちに失うということが怖いので、時間管理するわけです。