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佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

「習慣化しましょう」では、なにも言っていない

やりたいことを習慣化するためにはどうすればいいか、というテーマについて語っていた時に、佐々木さんが「今日はこれだけ覚えて帰ってください」と言っていた言葉がありました。

同じことを繰り返すのではない。繰り返す同じことを見つけ出す

分かるようで分からない、モヤモヤする言葉です。

この言葉に至るまでに、「習慣とは技術のことである」という説明がありました。それを受けて僕の解釈は以下のとおりです。

習慣とは同じことを繰り返すことではない。繰り返す同じことを見つけ出して、継続させるようにする技術のことである

syakohon.com

言葉にするとどうしてもわかりにくいかもしれません。

でも習慣化とは技術習得なのです。

難しいことや、なかなかできないことがあるからといって、すぐ「習慣化しましょう」と言えばいいというものではなく、それで納得してしまうのもいけません。

技術とは、行為の手順を記憶すること。

私は娘を誕生からずっと見てきて、このことを思い知ったのです。

人間には、習慣として最初からできることなどなにもない。何一つない。

寝返り一つ、生まれつき自分でうてるわけではない。

寝返りとは、習得した技術なのです。

咀嚼も嚥下もなにもかもです。娘はいま6歳になりますが、それでもなお、基本的な行動のいくつかは、できはするけどたどたどしい。人が「かわいい」と感じるのはそういうところなんですけどね。

だからどんなことでも、およそ「習慣化」、つまり人が好む「無意識のうちにできる」というレベルに達するまでには、そうとうに「巧く」なっているはずなのです。

「巧い」ということは、ポイントはしっかり押さえられつつも、余分な力、余計な動きを加えていないということ。

その行為を為すならば、必ず、前回行ったように、くり返されるべきポイントだけは実行し、しかも他のことはしない。

すなわち「くり返されるべき同じこと」を見いだすということが、技術習得の目指す先にあるということになります。

しかしどんな行為でも、シートベルトをしめるといったことであっても、人は、それを最初にやるときには、「巧く」やれない。

車に乗れば無意識にしめられるようになった「シートベルトをしめる達人」(いまではたいていの人はそうですが)ならぬ「素人」だと、自意識を使う必要があるし、余分な力をかけている。だからやり忘れたり「面倒だ」と負担に思ったりもする。

 

 

正しい答えを出しつつ、そのことを説明するには、さらにリソースが必要だ

最近の教育心理学に登場した概念だと思うが「ジェスチャー・スピーチ・ミスマッチ」というものがあって「それは全くそうのはずだ!」と思っていたら、最近娘がこれを頻出させるようになって、とてもうれしい。

詳しくは以下のサイトで確認できますが、全部英語です。

Hearing Gesture: How Our Hands Help Us Think | Goldin-Meadow Laboratory | The University of Chicago

これは説明している内容と、身振りでやっていることが不一致であるような現象を指す。子供がよくやるやつである。

たとえばむすめが5歳前後の頃に「2時50分」を報告させようとするとよく「3時50分」と答えたりしていた。が、時計を見て「まだ3時になっていないこと」を自分のジェスチャーで同時に示していたりする。なのに「まだ3時じゃないのに?」などというと「もう3時になっているから」と「説明を始める」のである。

この種のことは、子供にはよく起こる。自分で答えたことの「正しさ」をうまく説明できなかったり、時にはまちがいを必死に説明しながら正解を出していたりするのだ。

さらに重要なことは、これら二つの相反する認知リソースが共存しているだけでなく、同時に活性し、機能している、つまり共起している点である。長さに基づく判断という優勢な反応を支える認知リソース(不正解)は、その強度の高さゆえか意識の上にのぼり言語的なアウトプットを生み出す。一方、言語的アウトプットを奪われた、一対一対応を支える認知リソース(正解)は、その場から退いてしまうのではなく、身体を通してそのアウトプットを生み出していると考えることができるだろう。

 

教養としての認知科学
教養としての認知科学 鈴木 宏昭

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 この教育的側面は大事だろうが私の興味はそこにない。私の興味は、大人における複数の認知リソースの共存についてである。

ある種の問題解決を迫られつつも、私たちはうまくその問題を解決できずに立ち置かれる、という事態はままある。しかしそのとき必ずしも「解法を知らない」とは限らないのだ。

すでに解決策を知っている可能性を、ジェスチャー・スピーチ・ミスマッチは科学的に暗示してくれている。ただ、それを言語化したり、その前に意識の上らせるためにも、もう多少の余裕が必要なだけという状況があるのである。

外が嫌いだからひきこもっているわけではなく、人が苦手だっただけという「発見」

漫画「10年引きこもってた人が外に出たようです。」1話目|石田 和人|note

 

私はひきこもりではないのですが、驚くほど共感できる内容です。

ぜひ読んでみてください。

このブログエントリのタイトルのように書いてしまうと、なんともありがちな、と思われるでしょう。でも絵が入ると臨場感が迫ってくるのです。

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絵というのは全く素晴らしい。私はこれを文で伝えようとするから無理がある。

ところでここのコマを、ただなんとなく引用しているわけではありません。

この人は「外の世界(自然物)」と触れることには動機づけが得られているのです。

縮めて言ってしまうなら「やる気」がある。

「やる気」とは、気力を放出するだけの意味がある、と脳が計算している特定の環境についての解釈を必要とするのです。

だから全く同じ川が流れていて、全く同じ木木が立っていて、全く同じ空気であっても、解釈次第では嫌悪または恐怖の対象でしかなくなってしまう。

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外は楽しいのです。人がいなければ(社会性を連想しないですむなら)。

しかし、人がいるからこそ楽しい、という人もまたいるわけです。

自然は楽しいのです。人がいないなら。

でも人間だって自然物です。考えようによっては。

ある種の人の「脳」にとっては、「人間がたくさんいてあれだ・・・」と解釈されている環境においては、気力を放出するだけの意義がない。なぜならかつて「頑張って気力を使ってきた」ものの、ろくな結果が得られなかったから、だと思われます。

「やる気」をだすには、気力を放出するだけの意味がある、と脳が計算している特定の環境についての解釈を必要とするのです。 

 

短時間で「完全集中」するメソッド

新刊告知です。

 

 

短時間で「完全集中」するメソッド
短時間で「完全集中」するメソッド 佐々木正悟

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単行本: 208ページ

出版社: 大和書房

発売日: 2016/8/24

 

収録内容

集中したい。あるいは他人を集中させたい。

そのように言う人は多いですが、集中しているというのはどういう状態か。

脳内の働きはどうなっていて、内省した際に、何をどう感じていたら集中できていると言えるか。

そんなことまで考えたことがないという人は多いものです。

本書は、どういう状態を持って集中というべきかについて考えながら、で、実際にはどうしたら集中できるのかを、筆者なりに検討している本です。

 

本書のベースとなる考え方・研究

Attention and effort 【英文】

 

著者について

著者は、イヤなことはどうしてイヤなのか。やりたいことはどうしてやりたいのかなどについて、心理学的に「解明して欲しい」とずっと願ってきました。

イヤなことがイヤでなくなれば、たとえば大嫌いな上司を好きになれれば、会社に行くのがとてもラクになるでしょう。

そもそも、会社に行くのがレストランに行くような気持ちでできたら、こんなに幸せなことはないだろうに、と毎日思い悩みながら派遣社員をしていました。

そんな「心の秘密」を知るためにカンザスシティの大学で心理学を勉強するようになったのが、2000年です。

結局、そこまで都合のいい心理操作はちょっと無理だとあきらめたのが2004年だったのですが、それでも、どうしてイヤでイヤで仕方がないものを大好きにできないのか、その心理的制約のようなもののからくりは、おぼろげながら理解できた気がします。

帰国してからはずっと、イヤなこと(家事や仕事)と「心理」との関係を、少しでも不合理でなくするためにはどうしたらいいかを、中心テーマに置いています。

サマーハックご参加の方へのプレゼント

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すでに残席「4」となってしまいましたが、お知らせです。

上記日程で、「ライフハッカーの飲み会」を行います。

なるべくいろんなゲストをお招きしておりますので、気になる方は以下のサイトからご確認の上、ご検討ください。

 

8月20日 サマーハック2016の特別ゲスト全員公開!どえらいことになってきた!! 

 

なお、参加者全員に、私の新刊と、岡野純さんの最新コミックを無料プレゼントいたします。

 

 

▼佐々木の新刊

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短時間で「完全集中」するメソッド 佐々木正悟

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▼岡野純さんの最新コミック

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▼第1巻はこちら

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「押しつけない」のが難しいのは認知コストがかかるから

いまでは政治について考えるとき、「多数派の専制」は一般に社会が警戒すべき害悪のひとつとされている。

(中略)

社会それ自体が専制的になっているとき──すなわち、集団としての社会が個々の人間を抑圧するとき──その抑圧の手段は、政府の役人が行う活動のみに限られるものではない、というのである。

(中略)

社会が干渉すべきでないものごとについての命令であったりすれば、社会による抑圧はたいていの政治的な圧迫よりもはるかに恐ろしいものになる。というのも、通常、それは政治的な圧迫のように極端な刑罰をちらつかせたりしないが、日常生活の細部により深く浸透し、人間の魂そのものを奴隷化して、そこから逃れる手立てをほとんどなくしてしまうからである。

(中略)

役人の専制から身を守るだけでは十分ではない。多数派の思想や感情による抑圧にたいしても防御が必要だ。すなわち、多数派が、法律上の刑罰によらなくても、考え方や生き方が異なるひとびとに、自分たちの考え方や生き方を行動の規範として押しつけるような社会の傾向にたいして防御が必要である。

(中略)

一般論としては誰も反対しそうにないが、じっさいの問題として、どこに限界を設けるべきか──個人の独立と社会による統制をいかにうまく調整するか──となると、それはほとんど未解決のまま残されている課題である。

 

自由論 (光文社古典新訳文庫)
自由論 (光文社古典新訳文庫) ミル 斉藤 悦則

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引用がかなり長くなったが、この本が書かれたのは1800年代の中頃なのだ。

今でさえ同じ課題が難題なのは、「夫婦別姓」とか「渋谷区パートナーシップ証明書」、といったキーワードから容易に類推できる。 

多数派が、法律上の刑罰によらなくても、考え方や生き方が異なるひとびとに、自分たちの考え方や生き方を行動の規範として押しつけるような社会の傾向」というようなものは、今後もおそらくずっと存在し続けるはずだが、心理学的には「システム1」による直感を働かせる方が、「システム2」を動かすよりもずっと認知コストがかからず、したがってすばやく容易にできるから、ということになる。

 

バイアスとは、ある特定の状況で決まって起きる系統的エラーのことである。これから見ていくように、システム1は本来の質問を易しい質問に置き換えて答えようとするきらいがあるうえ、論理や統計はほとんどわかっていない。システム1のもう一つの欠陥は、スイッチオフできないことである。

(中略)

ところがシステム2は怠け者という性格を備えており、どうしても必要な努力以上のことはやりたがらない。そこで、システム2が自分で選んだと信じている考えや行動も、じつはシステム1の提案そのままだったということが、往々にして起きる。

 

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) ダニエル・カーネマン 村井章子

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たとえば、あくまでもたとえ話であるが、「夫婦別姓を承認する法律を立法するべきであるか?」という問題について考えるのは、特にそれに心理的抵抗を少しでも感じる人にとっては、難しい。少なくとも「システム2」を発動する必要がある。

それで自分への質問を、答えやすいものに置き換えてしまうのである。

たとえば「一般論として、夫婦は仲良くした方がいいか?」といったように。

そしてこれなら「システム1」でも簡単に答えられる。特に自分が「多数派」に属している人にとっての「システム1」なら、この問いには容易に答えられる。

Kindle Unlimited にログインしたら必ず読むべき少女コミック3作

 


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オルフェウスの窓(1) 池田理代子

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とりあえず、これです。

とりあえずこれは、しかしとても長いです。

冒頭で挫折すると、この話のメインはぜんぜんわからないことになります。

一見ピアノ弾きの美少年の学園ドラマですが(実際そうなのですが)実はロシア革命の話だったりします。

ほとんど長編小説です。というか、ある意味ではそれ以上です。

 

イズァローン伝説 (1) アッハ・イシュカの庭
イズァローン伝説 (1) アッハ・イシュカの庭 竹宮惠子

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一言で言うと、RPGです。

RPGを最高度のマンガにすると、こうなります。

竹宮恵子さんは、少なくとも手塚治虫さんほど著名ではありませんが、あらゆるジャンルを漫画以外の何ものでもないものに仕上げてしまう能力では、手塚治虫さんに充分匹敵するというインパクトです。

どういうわけかたくさんの作品がUnlimitedで読めますので、しかもなぜかあまりそのことが話題になってない気がしますので、ぜひチェックしてみて下さい。

 

私を月まで連れてって! (1)
私を月まで連れてって! (1) 竹宮惠子

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同じく竹宮恵子さんの作品。

これは竹宮流の「ドラえもん」です。

かつ、ラブコメです。

これと上の『イズァローン伝説』を読むと、この人の守備範囲の広さの一端が垣間見られます。

『地球へ』もこの人の作品だったりします。(ちきゅうへ、とか読んだ人はぜひ探して読んでみてください。これもUnlimitedになっています)。

これで歴史マンガまで手がけていたりするんです。

Kindle Unlimited はなるほど評価が分かれるだろうサービスだった

まず、個人的にはありがたいサービスですから、登録しましたし、しばらく継続もします。

このサービス、聞いた感じでは「すべてのKindle化された商品を、月額1000円未満で読み放題」と読まれるから、明らかにそうでないことへの不満がぬぐい去れないのでしょう。

正確な比喩はあり得ませんが、個人的には「月極会員制の電子図書館」といった印象を受けました。(10冊という限定にはますます図書館らしさがあります)。

図書館には「あんなに本がある」上に「どの本も無料で読める」ということで、本好きには天国のようですが「しかしこういう本は決まってない」というジャンルがあります。

たとえば「直近のベストセラー」は必ずしもない。コミックもかなり限定的にしかそろってない。そして意外に「真面目な本」でも、ありきたりな本以外にはなかったりする。

さらに図書館から大辞典類、非常に本格的な古典といった本を取り除くと、ちょうどAmazonのUnlimitedのような品揃えになります。

これでは評価が分かれるはずです。ようするに、自分が欠かさず買うジャンルがたまたまそろっていれば絶対にお得だけれども、そうでない人には、あんまりお得とは言えないわけです。(私には、たまたま欠かさず買うジャンルがよくそろっているんですが)。

ベン図をかいてみると(実際には書かないのですが)一番大きな円として「紙の本」があり、その内側に「Kindle化された本」があって、さらにその内側に「Unlimited」があって、それが「定額制」というのは正しいようなのですが、それが「唯一の選択肢」というのが不便です。

まだできないことなのですが、たとえば「光文社新書はすべて選べてそれは月額300円」とかなら、だいぶわかりやすいとは言えるのですが。もちろん、その場合にはいろんな「コース選択」が必要になります。

そして、「フルコース」は、ほぼすべてのKindleが月極で読めるとしなければ(最新刊はのぞくにせよ)、やっぱり少しおかしいでしょう。その場合、値段はもっとずっと高くてもいいと思います。

このようにすれば、ある最新刊が出たとき、自分のコースに入ってくるなら待ち、そうでなくて、しかもどうしても欲しければそれは買う。ただしそれは、他の「読み放題コースには入ってくるだろう」といったあたりをつけ、コースを増やすなり、「フルコース」にするなりを検討することもできるわけです。

心得とは、24時間続くPDCAであるから

「夫に死んでほしい妻」という記事を流し読みした。

穏やかでないタイトルながら、「離婚は大変だから死んでほしいと思う」という下りには、いまいち首肯しがたい。そこまで思うくらいなら離婚したほうが手っ取り早いと思うが。

ところでこの記事には最後に「ライフハック」があった。「妻に死を願われるようにならないためにも!」と、引きの強い展開になっているわけだ。

「ねぎらうことを忘れない!」

タイトルのインプレッションに比べ、このライフハックはマイルドすぎると言わざるを得ない。(とはいえ、ハックがないよりはあったほうがいいというのが私の基本姿勢ではある)。

しかし私がこの記事を最後まで読み通し、どうしても納得がいかなかったのはこの続きがなかったことなのである。

「ねぎらうことを忘れない!」

「●●を忘れない!」というのであれば、「もっともだがその方法は?!」と例外なく確認されねばならない。

人は、忘れるのである。

妻をなぜねぎらわないのか。プライドのせいだ。云々と記事にはあったが、私はそうは思わない。そういうこともありうるかもしれないが、もっと話はシンプルだと思う。

人は、忘れるのである。

何だって、忘れるのだ。

忘れてはいけないことだって、忘れるのだ。

だからこそ、私はいつもいつも、四六時中考えているのである。

適切なトリガーがないときに、人はどうすれば、なすべきことのことを思い出すことが可能なのか?

Omnifocusなどには、「ある特定の場所に入ったら、●●せよ」とリマインドしてくれるとかで、話題になった機能がある。

「妻に会ったら、ねぎらえ!」と表示させるリマインドが、記事のような話については必要である。

これは、人としてどうかといった話にすればいいというものではない。

コーヒーを飲むときには、砂糖は半分にすることを「常に」思い出すのは、容易ではない。

道義的か否かにかかわらず、私たちはかなり多くの「心得事項」を抱えて生きているが、適切なとリーガには事欠いている。

私は今のところこれへの解としては「日記とレビューを徹底するに限る」と思っている。が、もっとベターな解がほしいのだ。

24時間態勢

これは東京都の施策らしく、詐欺に対抗していろいろ知恵を絞っている方には頭が下がる。こういう問題が、タスク管理においてもまた難しいと感じている。

私たちの生活を便利にするのはなんといっても適切な「未来記憶のサポート」だ。タスク管理はそのための仕組みである。

もしあなたが詐欺にひっかからないとしたら、または、まずひっかからないという自信があるのなら、それは脳が適切な警報を、まさに詐欺の電話を受けたときに発するからである。

しかし、加齢や、極端なストレス環境は、そういう警報のスイッチを入らなくさせてしまう。そうなると、どんな人でも簡単に詐欺にひっかかってしまう。というよりも、そういう脳であれば「ひっかからない」という発想がなくなるのだから「どんな人でも」という言葉自体に意味がなくなる。

難しいのは「詐欺の電話を受ける」というのは、予定ではない。割り込みである。郵便ポストの前を通りがかったら、という条件によって実行するタスクは実行が難しいのだが、その理由は、その時間と場所を必ずしも特定できず、したがって適切なアラートを発するきっかけを特定できないことにあるのだが、詐欺の電話はそれよりも悪い。

というのも、郵便ポストなら、いつごろその前を通りがかりそうかをある程度予測することができるが、詐欺の電話は予測できる類のものではない。しかも、詐欺師はなるべくアラームが鳴らないように努力する。ポストなら、そんなことはしない。

電話掛かると最初に『この電話は振込詐欺防止の為録音されています』のアナウンスのいいところは、電話という抽象化された行動のすべてについて、予めリマインダーを、自分が何もしなくても、何も思い出せなくても、受信したのとほぼ同じ効果を発揮できるところにある。

タスクシュートにもかなり似たところがある。私たちは仕事から脱線しがちだが、脱線は、いつ、どの仕事を前にして起こるかを特定できない。しかしタスクシュートを厳密に使用すれば、あらゆる脱線についてモニタリングが可能になる。しかもそれは、脱線が起こった時だけに発動する。

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脳が覚えようとしないのは「失敗するやり方」であって、「失敗した経験」ではない

まとめていただいて恐縮なのですが、ちょっと補足させていただきます。

正しいとか間違っているというよりも、話のテーマが違うところまで伸びていってしまったので。

人間がなにかしらの技術を習得するときというのは、小脳が失敗を間引くことにより、成功体験だけがのこり、どんどん上達していくんだそうだ。自転車で何回もバランスを崩し、うまくバランスを取れた瞬間の経験だけが残り、最終的には、逆に転ぶ方がむずかしくなる

小脳が失敗を間引くことで人は技術を習得する - Togetterまとめ

 

 もちろんこの「小脳の話」1つとっても、実際にはこんなに単純ではなく、小脳以外の可塑性についても今は研究が進んでいますね。それは承知していますが、あくまでも入門の教科書レベルの知見についてここでは言及されています。

それにしても、脳の話はおくとして、技術習得における急速なレベルアップには、自分で驚くと思いませんか? 私は泳げるようになったり、タッチタイプできるようになったり、ドンキーコングでゴリラを墜落させたときの驚きは、未だに忘れられないのです。

脳は成功と失敗を区別しているということ。しかも、自分が意識できないくらい、深いレベルで。これってとても不思議なことのように思う

小脳が失敗を間引くことで人は技術を習得する - Togetterまとめ

まずここなのですが、もちろん不思議に思われるかもしれませんが、それほど不思議はないという気もします。私たちは、自分の行為が「成功した!」とか「失敗した!」と「感じる」と思いますが、それは「脳」がそうしているからでしょう。むしろ「脳」が「成功と失敗を区別」していなかったら、どうして成功したとか失敗したと感じられるでしょうか?

しかも、失敗は忘れてしまうというのだ。失敗した経験の方がよく覚えている気がするけど、実はそうではないらしい

小脳が失敗を間引くことで人は技術を習得する - Togetterまとめ

ここは、わかりにくかったかもしれません。

「失敗を忘れる」というのは「失敗の経験」を忘れるのではなく「失敗するやり方」を「記憶に残さない」のです。「失敗した経験の方がよく覚えている」というのは、そうかも知れません。それは感情が動くからです。

自転車に乗って転んで、痛い思いをした。という経験は、記憶に残るかもしれません。でも、「転び方・転ぶような乗り方」は記憶には残らない。「転ばない乗り方」のほうを記憶に残すわけです。ただ、「転ばない乗り方」を習得してもなお、転ぶということはあります。その「経験」は記憶に残りやすいかもしれません。

技能操作と経験は、別のことです。泳げるようになっても、海水の底が冷たくて、足をつって溺れそうになることはあるでしょう。そういう経験は、忘れません。でも、足の釣り方や、溺れる泳ぎ方は、マスターしないというか、マスターできないものです。

そうか。うまくいった経験というのは、身体的な経験値として記憶されるのかも。つまり自転車に乗れるくらい当たり前のことになってしまう。だから意識で思い出せない。失敗はまだ身体的ではないから、いつまでも記憶にとどまっているのだ。成功して、体に落とし込まれるまで。

小脳が失敗を間引くことで人は技術を習得する - Togetterまとめ

というわけですからこれは「技能習得」とは別の話となります。ここから先は、すべて「小脳的な技術習得」よりも先の方へいっています。

ただ、「うまくいった経験が身体的」なものかどうかは、きっと内容によりけりでしょう。意識で思い出せないのは、必ずしも「成功したから当たり前」だからではありません。地区大会で決勝本塁打を放ち、甲子園出場という大成功をおさめた選手は、そのことをおそらく忘れないと思いますが、それを忘れないのは感情が大きく動いたからで、身体化されたかどうかとはまた別の話です。

「失敗する乗り方」もまた「身体的」ですが、記憶にはとどまらないのです。そして「失敗する乗り方」もほとんど「意識」はできない。意識にのぼるのは「失敗して転んだこと」や「失敗して転びそうになってドキッとした」経験のほうです。

失敗であっても成功であっても、私たちはその大半を意識はできない。意識にのぼるのは、かなり限られたことであり、そうでないと困ります。

 

ブログを書くことの1つのメリット

ブロガーで生きるというのはいかにも難しく、いわゆる「小遣い稼ぎ」すらそう簡単にいくものではない。

それならブログを書くのはいったいなぜなんだろう。

ということを考えているせいか、「これかも!?」という発見があると、ブログを書く理由にならないかと考えてしまう。これは一種の確証バイアスだという気もする。

 

確証バイアス(かくしょうバイアス、英: Confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと[1]。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている[2]。

 

確証バイアス - Wikipedia

脱線するが、ハンマーを持つと釘に見えるとか、カラーバス効果でアイディア発想とかも、一種の確証バイアスである気がする。

気を取り直してブログを書くことのメリットの1つとして、完成の予感を実現させる、ということがあるかも知れない。

どうも、文章や絵を「アウトプットする」ことの難しさの1つは、予感できるレベルの高さと、実際のアウトプットとの間に、不可解な乖離があることのようなのだ。

作文・作画技術の未熟、ということは、確かにある。

しかしそれだけではうまく説明できないような、主観的な乖離に悩まされる。

さて図4−2を見ていただきたい。これは馬の絵である。描いた人たちは幼稚園児ではない、大学生である。そして彼らは「おもしろい馬を描いてください」と言われたわけではなく、「できるだけ写実的に馬の絵を描いてください」と言われていた。

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これは認知心理学の話であり、つまり「人間の記憶していると思っているその内容のあやふやさ」のことを突いている。

しかし、と私は思う。私の頭の中にある「馬」も、やはりもっとずっと「写実的」だ。あるいは「写実的だ」と思っている。思い込んでいる。もちろん、絵を描けばこの図4-2よりひどいものになるだろう。それでも、頭の中には「写実的な馬」があるような気がするのである。

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つまりなにが言いたいのかというと、絵を描くことによって出てくるのが「アイディアメモ」なのである。アウトプットできるレベルというのは、実際、そんなものである。

が、頭の中にあるもの、あると思い込んでいるもののレベルは、たいていそれよりはるかに立派なものだ。「おもしろい馬の絵」ではなく「写実的な馬」があるのである。

なぜ「アウトプットしてみる」ことが大事かというと、自分の未熟さを思い知るためではなくて、完成に近づけることには意味があると思うからだ。もともと完成品が頭の中にないというならともかく、あるような気がする以上、それを取りだしてみたらいい気分だろうし、1つ残らず脳内にとどまったままであったら、もったいないと思う。

この発想のきっかけになったのが、福満さんのマンガのこのシーンだ。

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この「馬の絵」の話、「トトロの顔」の話、そしてアイディアとブログの関係は、基本的に同じことを言っている、と私は思う。完成形が頭の中にあることを私たちは知っている。だから完成形を出してみせたいのだ。

ブログはなるべく「完成に近づけたい」と思う。なぜなら他の人も見るからだ。そういうことをやろうとすることが、メリットの1つだ。

自分の幸せと自分の遺伝子の目標

シゴタノ!で大橋さんが「恩師」ではなく「本師」ということを書かれています。

私にはそこまでピンポイントでこれ!と言える本は、思い浮かびませんが、明らかに自分の考えにかなり根底から揺さぶりをかけた本はいくつかあって、『利己的な遺伝子』は間違いなくそういう本の1つです。

 

 

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この本を読みおえたとき、私はかなり気分が悪くなったのをよく覚えています。それくらい「おまえの個人的な願望などに、本質的な意味は何もないのだ」ということを突きつけられた気がしました。

それまでもニヒリズムの哲学には、大学時代が1990年代ということもあって、慣れているといえば慣れている気でいましたが、哲学は「しょせんは科学とはみなしていなかった」ということもあって、いわばうまく身をかわせていたのでしょう。

でも「遺伝子学」は、私には非常に科学的に感じられたので、これは全く衝撃的だったわけです。

そして、結局ドーキンスは正しそうだということを、1年、1年と生きるほど、説得さされています。特に子どもを持って以来、そういう気がしてきました。なるほど自分など「ただの乗物」なのかもしれない。ムスメが生き延びられるなら、自分など焼肉になっても、いざとなればかまわないような気がしてしまいます。(まあ、自分は腹の据わった人間ではないため、そういう時には無様そうですが)。

なにより、以前はそういう「思想」に気分が悪くなったのに、最近は、少なくとも考えるだけならむしろ、気分が良くなる自分がいるのです。

なるほどそうなってくると、父母の、そして祖父母の「生来持っていた願望」というのはいったい何だったんだろうというのが少しは気になります。

(このような流れから、私は「遺伝子視点」には保守寄りの感情と相性がいいと思うので、以前よりは自分の「右傾化」に警戒するようになっています)。

という「本師」の思想に左右されてみて、たとえば次のような本は、良書だと私には思えます。というのも、個人的な幸・不幸というモノは、「乗物視点」だとどうしても不条理以外の何ものでもないことがしばしばあるわけですが、「遺伝子視点」ならまた違う希望が見えてくるからです。そしてそれに感情移入することだって、あながちできない相談ではないからです。

 

さて、本書の大部分は、私が「もう少しゆとりがあるとき」より、さらにもう少しゆとりがあるが、けっして幸せな気分ではないときに書いたものである。
ヒトの脳にはクセがある: 動物行動学的人間論 (新潮選書)
ヒトの脳にはクセがある: 動物行動学的人間論 (新潮選書) 小林 朋道

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日記でPDCAできる

日記でPDCAできるといってもそんなのは当たり前だと思う人もあるだろう。

どうやればいいんだ、という人もあるだろう。

詳しくは、つぎの日記をパパッとでも読めば、おそらくわかる。

comic.pixiv.net

ただ、けっこう大変そうである。もちろん人にもよるが。

要するに、「問題」というものが深刻であるなら、「カイゼン」がそんなに簡単であるはずがないのである。

深刻な問題となってくると、日記に書くだけでもイヤだろう。それを絵で描くとなると・・・。最も仕事でないなら絵でまで描くことはないが。

この「1人交換日記」から私が学んだのは、PDCAがうまくいかないという「異論」やご質問をいただくのも、もっともであるということだった。私も前から、なかなかうまくいかないモノだと思ってはいたが、そもそも問題をカイゼンするということ自体が、そんなに簡単にはいかないに決まっているのである。

ただ、日記でPDCAは有効な手段だとは思うし、なによりも、一気にやろうとしないことである。なぜタスクは分割してやるべきか。それは負荷を軽くしないと、耐えきれなくなることも少なくないからだ。

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ブログ論。いつかのためのメモはいつまとめるのか?

何のためにブログを書くのか、といった話はいつまでも周遊をつづけそうだが、「いつか考えたいこと」をいつまでも放置しないため、という目的にはだいたい役に立つはずだ。

哲学的な話から、作ってみたいレシピまで。人は「後でこれについて考えよう。検討しよう。行動しよう」というモノについてメモを書く。メモは行動起こすためのトリガーにすることが多い。

が、そのトリガーは、使われないことも多い。「いつかやりたいこと」は「死後にやりたいこと」になりかねない。

しかし、ブログを書くという習慣があれば、仮に習慣がなくても態勢があれば、「後で考える」機会を一日に一度は持つことができる。

一見、考えをまとめるというのは簡単なことのようだが、考えることがある程度習慣になっている人にはよくわかるとおり、これは難しい。それほど時間がとれないことも多いし、わざわざ時間を取って考えをまとめたところで、それが仕事に生きるとも限らない。

たとえばなぜ平清盛は平氏政権をしっかり樹立できなかったか、というのはある意味、検討したいと思う人もいるだろうが、たいていはそんなことを考え抜かない。

そんなことを考え抜くヒマはないし、考え抜いたところで、ビジネスにはならない。一歩間違うとだれも聞いてすらくれない。自分は歴史家ではないからだ。

このように、いつか考えたいことは、死後に考えたいことになってしまう。その歯止めとしてブログが役に立ちうるのである。