佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

小説を読む効用

小説でも映画などでも同じですが、人は別に効能を求めてフィクションに接するわけではありません。

が、結果としてにせよ、日常生活に必要な効用が得られることも少なくなくて、これがなかったら人はかなり苦労することになるだろうとは簡単に想像できます。

そういう意味では人間というのはやっぱりかなり奇妙な生き物です。他の動物では考えられないことでしょう。

どんなにライフハックしても「改善」に努めても、日常生活というのはやっぱりなかなかどうしても一筋縄ではいかず、ため息をつくより他どうしようもないことに満ちあふれているものです。その理由は実に様々でしょうが。

最近『宇宙バンパイアー』という本を小説を読んでみて、「小説の効用」というものを久しぶりに強く思い出しました。タイトルからすぐ分かるとおり、かなり「ばかげた」物語なのですが、読んでみると「そんなに」ばかげてはない本でもあるのです。だいたいコリン・ウィルソンという人はそういう人なのです。

「効用」を得るには、そういう本がちょうどいい気がします。小説を読むからには現実のリアリティから意義から相対化してくれないと、早い話が「現実なんかどうでもいい!」というくらいにならないと、どうしようもありません。ありもしない話に「引き込まれる」というのは、そういうことのはずです。

でも結局戻ってきます。小説には終わりがあるし、小説の登場人物と一緒に死んだりするわけにはいかないので。

この戻ってきたとき、あまりにも現実の問題に真剣に取り組みすぎていたからうまくいかなかったような気がするなら、「効用」が充分にあったということになります。

ちなみにそういう効用なら映画のほうがいいのでは、と思われるかもしれませんし、半分賛成です。が、「宇宙バンパイアー」についていえば、それは当たってません。「映画版」もあるのですが、映画のほうは「そんなにばかげてしまっている」のです。 

宇宙ヴァンパイアー (新潮文庫)

宇宙ヴァンパイアー (新潮文庫)

 

 

第49回のきばトーク無料公開中です

昨日、いつも通り倉下忠憲さんとのきばトークをお送りしました。

テーマは、未来志向と過去志向とセルフイメージについて。

何が何だかよく分からないテーマかと思いますが、「ほぼ日手帳」って、ありますね。

あれは、手帳、なのか、日記、なのか。どちらに見えますか?

基本的には日付だけが印字されているノートでしかないものが、この世の中にはたくさん売られています。

あれは何か?と問われたとき、見方が二通りあるんです。

「あれは手帳ですね。予定とかを忘れないために書いておきます」という人と

「あれは日記ですね。会った人とかのことを忘れないために書いておきます」という人があります。

どちらも「忘れないため」に書くのですが、忘れたくないことの方向性が違います。

自然と未来方向のことを気にする人と、自然と過去方向のことが気になる人といるわけです。

これが、タスクリストとライフログにも当てはまり、セルフイメージにも関係しているんじゃないかという私の憶測があるんですね。気になる人には動画を見て欲しいと思いますが、私の結論だけ言うと、未来志向だけでいく人はよほど自信家でないと難しい、と思うのです。

youtu.be

夢を叶えるためのタスク管理がいったん満席となりましたが、キャンセルなどもあり

nokiba.hatenablog.jp

 

こちらの記事でも告知いたしましたが、今月16日開催予定のタスク管理セミナーが、おかげさまでいったん満席となりました。

が、キャンセルなどもございまして、現在残席3となっております。

おそらくすぐ満席になってしまいそうなので、ご検討いただいている方はどうぞお早めに。

冒頭の記事でも書いたように、このセミナーは私のように、セルフイメージが低い〜中くらいという人間がタスク管理するケースと、jMatsuzakiさんのように、かなりセルフイメージ高めの人がタスク管理するケースの、両方を網羅する目的で設けたものです。

セルフイメージなどというものは、それは低めよりは高めの方が良さそうなものではありますが、「高めよう」と言ってもなかなかそうできるものではないので、低くてもできるタスク管理というものには、一定の意義を認められると思うのです。

同時に高ければ高で苦しいこともあります。

そういう視点からタスク管理をとらえてみると、仕事や生活上のプロジェクトを進めるきっかけが得られると思います。

やる気クエストの次回作について岡野純さんとうちあわせしました

コミカル!で連載中の『やる気クエスト』がまもなく完結するということで、次回作について渋谷で打ち合わせてきたわけです。

www.mag2.com

 

やる気クエスト(1) (純コミックス)

やる気クエスト(1) (純コミックス)

 

 

いつも議題に上がることではありますが、やはり次回こそ「推理もの」にしたいということでは一致したわけです。ライフハックと探偵ものは、親和性が高そう。以前、どこかのライフハックセミナーでも「結局ライフハックというのは探偵へのあこがれなんだ。手帳とか、ガジェットとか」と言っていた方がありまして、これはそうだと思って以来のことなのです。

しかし、探偵ものは難しそうだ。二人ともそんなものを書いたことはないし。何か書くコツがあるんだろうけど、今のところどうしていいのか分からない。(コツがあるというのは、推理ものを書いている人はみな多作なので、あれには量産できる要素があるんだろうと思っているわけですが)。

そこから、「先送り本」をネタにするとか、心理カウンセラーを主人公にするとか、話があっちこっちに行くわけですが、なんとか話がまとまりました。もう少し危うい人を主人公にした、またしても異世界性をからませて。とは言っても、『やる気クエスト』ほどファンタジーではない方向で。

 

先送りせずにすぐやる人に変わる方法 (中経の文庫 さ 17-1)

先送りせずにすぐやる人に変わる方法 (中経の文庫 さ 17-1)

 

お話ししていると純さんはなんと言っても「モチベーション」で漫画を描いているという感じでした。で、モチベーションは読者からの反応が大きくものを言うらしいので、たとえば「やる気クエスト」のご感想などいただけるとうれしいです。

#やる気クエスト

で。

twitter.com

 

やる気クエスト(2) (純コミックス)

やる気クエスト(2) (純コミックス)

 

 

 

やる気クエスト(3) (純コミックス)

やる気クエスト(3) (純コミックス)

 

 

 

やる気クエスト(4) (純コミックス)

やる気クエスト(4) (純コミックス)

 

 

進まないプロジェクトは「優先されやすく」しておく

優先順位を考え直す、という決意表明がありますが、まずそのログを残すとどうなるか、という問題が本来はあります。

次のような問いに答えます。

  • なぜ今、優先順位を考え直そうと思ったのか?
  • 今の季節、年月日、時間帯は?
  • 優先順位を検討し直す必要性はどのくらいあるか?
  • なにを「やってしまった」から優先順位を考え直したいのか?

私の知る範囲内では、優先順位を考えたくなるほとんどのケースでは、やりたいことややるべきことが多すぎて手が回ってないことが気になっているのに、それとは全然違うことに時間を費やしてしまっているということです。

仕事が立て込んできていて、夏を前に早朝から運動しようとしているのに、実際には夜中にゲームしている、などです。

だから、「今の自分にとってなにが本当に必要かを、徹底的に考え直す」ということが必要に思われるわけですが、おそらくその時間がない。

「夜中」に「ゲーム」を、「本来優先すべきこと」に「優先して」興じてしまうのは、優先されやすい状態にあるからです。優先順位というのは、何らかの意味で、過去の自分がそのときの気分に応じて下した判断ですが、現在の判断はそのときの状況に応じて、過去の判断とは異なるものになるということです。

そして現在の判断は、優先されやすいものに向かう。そこにゲームが置いてあればゲームをするでしょう。そこに、ダイエット器具があったらまた少しちがうかもしれない。

私は、「そこ」に一日のタスクリストがあります。しかし、それでもなにかに脱線したくなったら、タスクリストの中に「今すぐ脱線する」ということにしてしまえばいい。そうすることで自分は計画に従おうと、衝動に従おうと、比較的「理想的な自我」に従おうと、「ダメな自分」に従おうと、とにかくどうであれ、タスクリストを優先することだけはできます。

そしてそのログに、「過去の自分」「衝動的な自分」「理想自我」「脱線する自分」のカオスが残っていきます。それが自分の影みたいなものです。

そこまでいったら、このブログでも一度書いた「リフティング方式」でタスクリストに「進まないプロジェクト」をおいておきます。それは、絶対に手がけられるとは限りませんが、「優先されやすい」ものになります。

nokiba.hatenablog.jp

ゲームがそこに置いてあったからといって、必ずゲームをするとは限らないでしょう。しかし、やれる余裕があって、やりたい気分の時には、やる予定になくてもやってしまう。

出会いやすいものを人は選ぶでしょう、それは。

タスク管理とセルフイメージの低さにはどんな関係があるのか?

こんな記事を読ませていただき、考えました。

yamama48.hatenablog.com

 

記事中、次のような一説がぱっと目に飛び込んできます。なお引用中の太字は佐々木によるものです。

Googleカレンダーのタスクリスト、TaskChuteはとうの昔に挫折した。いまは結局、付箋を使った地球に優しくないタスク整理法と、Togglでの時間管理の併用で落ち着いている。

しかし問題は「どんなツールで管理するか」ではなく、「管理すべきタスクの多さと消化率の低さ」なのだ。

放っておくと、タスクはどんどん増えていく。焦燥感が募るばかりだ。増えるばかりのタスクに優先度をつけていないから、結局あっちもこっちも手を出して、どれも終わらない。達成感ゼロどころかマイナス。ああ、私はなんてダメな人間なんだろう!

少なくともTaskchuteであれば、こうはならない「はず」なのです。なぜなら、タスクが増えない「はず」だからです。タスクシュートで扱う「タスク」とは、原則としては「100%やることだけ」です。つまり

 

  • やるべきだが実際にはやれないこと→リストから削除する
  • やったほうがいいが実際には時間が取れないこと→リストから削除する
  • やれるとおもったけれどやれなかったこと→リストから削除する

という運用上の原則があるからです。こうして残るものはつまり「やったことのリストと同じ」になる。ここが非常に重要なのです。

ログ=プランであるとはこういうことです。やったことはこれからやること。これからやることはやったこと。これをぐるぐるぐるぐる回していくことにより「自分」というもののリアルが鮮明に浮かび上がってくるのです。

でもそれじゃあ「自分が変われない。成長できない」という声が聞こえてきそうですが、これも原則論として、「タスク管理は成長や自己改革のためのものではなく、それらは別途、何らかのトレーニングプログラムやインスティチュートなどにゆだねるべき」だろうと思います。

フィットネスジムに通うことや、英語の勉強をするということを「タスク管理のスケジュール」に組み込むことならば可能ですが、それはそういうことを「やる」人が、やっていることのログにつけていくから将来もやることになるわけです。私は毎週水曜はテニスに行っていますが、水曜の都合が悪かったら金曜に回す。それはタスク管理されていることです。

なら「やりたくて最初にやることはどうなるのか?」となりますが、それを「単発タスク」という形でリストに追記します。しかしやれなかったら基本的には即座に削除です。

ここで冒頭に引用させていただいたブログエントリになりますが、タスクがどんどん増えていくということは、少なくともタスクシュートにおいては原理的にあり得ないことなのですが、それが起こるとすれば、エントリにもあるように「現状に強い不満」があるからだろうと考えられます。

GTDなどにも、「いつかやりたいことリスト」などといって、この種の問題に対応したかのようなリストがいちおうあります。私もこれは「タスクシュート」ではありませんが、「カタログ」と名付けて、今すぐできないことを今すぐ買えないものになぞらえて、とりあえず記録としては保存しておくことにしています。

しかし、いつかやりたいことリストだろうとカタログだろうと、現状の不満を根本的に解決することにはならないでしょう。カタログにあるものをことごとく買えば、人生の不満がなくなるというものではないという気がします。

ブログエントリにもありましたが、

(世界地図を提示されると実にまずい、歴史の話はもっとまずい。政治も経済も非常にまずいし英語NG、読書も嫌いです!うんこ!)

この文章はリズムがあって面白いです。しかし本当のところ、ご本人も、こうしたことはどうでもいいといったら語弊があるかもしれませんが、本当に不満なのはそういうことではないのだろうという気がします。デイリーのタスクリストの朝一番に「世界地図の国名を暗記する」というタスクを追加したところで、たぶんやらないでしょう。ほとんどの人は、地理の先生でもなければ、そんなことはどうでもいいと思っているのです。

 

借力[CHAKURIKI] バカ世界地図

バカ世界地図 -全世界のバカが考えた脳内ワールドマップ-

バカ世界地図 -全世界のバカが考えた脳内ワールドマップ-

 

昨日このブログで書いたことは、結局、タスクシュートとしてはこの「現状への不満」をどう扱うべきかと考えたものでした。私が思うに、不満が募るのは「自分がダメだから」というよりも、「自分時間がないから」なのです。

ひとり時間(ひとりの時に自分らしく自分のことを忘れる時間)が足りないのか、親密時間(二人以上の時に自分自身を意識させられすぎる)が足りないのか、集中時間(トリンプさんのがんばるタイムのような時間)が足りないのかは分かりませんが、これらの時間が不足してくると、人は現状に強い不満を抱くようになります。

その改善を、「自己改革」でやりきろうとするのですが、「自己改革」はそもそも「自分時間」がなければできない。そういうジレンマがあります。

nokiba.hatenablog.jp

 

時間管理はなぜ必要か?

昨日つらつらと考えたことなのですが、自分が今、時間管理をやめられないとすればどうしてなんだろうか?

まず言えることは、記憶のキャパを超えているからです。覚えておかなければいけない予定と締め切りだけでも、記憶だけでは無理ですね。

もう一つは、「自分の時間」というものが今の時代、あるいは私の性格からか、失われやすいからです。

これはよく聞く表現ですが「なかなか自分の時間が取れない」といいます。人間、なにもしていない時間というものはないので、言い換えれば時間は常に流れているので、ある時間が自分の時間でないならば、それは誰かの時間になってしまっているのです。

ここのところをもう少し細かく見ていくと、「自分の時間」には3種類あって、と言うか私が区別してみたところでは、次のように分かれています。

  • 1人だけの自分時間=ひとりじかん
  • 2人以上の自分時間=親密時間
  • 仕事中の自分時間=集中時間

上2つはプライベート。下のが仕事中。いずれにせよ「自分時間」を増やしていきたいという思いはたぶん万人共通で、そのために時間管理が必要になると思うのです。

意識してコントロールしていかないと、特に仕事中の集中時間は全く得にくく、その反対の時間、私はそれを「寸断時間」と呼びたいのですが、ばっかりになっていきます。時間管理的な言葉で言えば「使途不明時間」です。そういう時間は何をしていたかがあとから思い出しにくいのです。

ちなみにですが「ひとりじかん」の反対は私の勝手な造語で恐縮ですが「ぼっち時間」で、「親密時間」の反対は「孤立時間」です。このあたりは時間管理と言うよりライフログで気づくべきケースで、基準は「一人だ」ということが苦痛になっていないか。理想的には「一人」が忘れ去られていて、しかし一人であるというところです。

二人以上なのに一人というのはどういうことかというと、私はいきませんが、ライブなどのいく人にはおなじみではないかと。「場の一体感に溶け込む」とかいいますね。でも人間が実際に溶けるわけではないですね。一人なんだけど、周りに知人は誰もいないかもしれないけれど、孤立してはいない、といった感じです。

逆に、家族と二人でいるのに、その相手からは「仕事しろ」とか「結婚しろ」とかいうプレッシャーが暗黙にせよ迫ってきて、「二人以上」なのに「孤立している」ということもあります。そういうのは「孤立時間」と私は思っているのです。

「ひとり」(趣味に没頭)「親密」(家族と楽しく過ごすなど)「集中」(仕事)の配分や比率という問題もありますが、この3つはいずれも「自分時間」であり、これを失いたくない。特に気づかぬうちに失うということが怖いので、時間管理するわけです。

夢を叶えるタスク管理?

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jMatsuzaki Store / 2017年7月16日 夢を叶えるタスク管理マニア

7月16日のこちらのセミナー、ご都合よろしければぜひ、ご参加いただきたい。

と思っております。

そもそもタスク管理というものについて、自分はいろんなことを長時間かけてしゃべりたいと思っているわけですが、それはなぜかと言うと、いろんな問題に対して応用が利くからで、ということはいろんな問題のことをある程度時間をかけてしゃべる必要があるのです。あると思っているのです。

たとえばjMatsuzakiさんは「夢を叶える」という。これはどういう事かというと、「現状を大幅に変更する」という意味になります。彼の例でいえばSE屋から音楽家へという話になります。

しかし私が一般に想定しているのは「現状を無理なく維持する」あたりです。これは言ってみれば「現状を変えない」ということです。SEさんならSEさんのままに、物書きなら物書きのままに、主夫なら主夫のまま。無理なくできるようになる。

かたや「現状の大幅変更」を目指し、かたや「現状維持」を目指す。でもどっちにも役立つ。どうしてか? どっちも時間の使い方の改善をによるからです。現状を変えるにせよ、現状維持をうまくやるにせよ、時間の使い方にメスを入れる必要がある。と思います。

ただ私は、現状の大幅変更をやるのがうまくないというか、あまりそちらに意欲的な方ではありません。だからというか、だけどというか、jMatsuzakiさんのように現状の大幅変更をタスク管理で成し遂げた人が、どうやったかということであれば、説明できるのです。

これをいろんな人が必要としているというふうに思っています。私は自分の興味領域のせいで、タスク管理と同じくらい多くの人が心理カウンセリングを必要としていると信じているのですが、心理カウンセリングよりはタスク管理のほうが、はるかに「試しやすい」でしょう。

私自身は「タスク管理で夢を叶えた」クチではないけれど、そういう人もいるわけです。タスク管理は応用範囲が広く、非常にプラグマティックで、ぜんぜんスピリッチュアルではない。そういうもので、ずっとやっていきたいわけです。

ご都合のよろしい方は話を聞きに来ていただければと思います。

jMatsuzaki Store / 2017年7月16日 夢を叶えるタスク管理マニア

心理カウンセリングの本を読んでもカウンセラーにはなれないが、自分の心を軽くすることができる

本を読んでもカウンセラーにはなれないとか、分析の本を読んでも分析家にはなれないといったことは、多くのカウンセリングの本などに書いてあります。ちょっと予防線張りすぎなんじゃないかと思ってしまうほど。

著者が正しいとこれに関しては確実に思いますが、じゃあそういった本を読むメリットって何なのだ?ということになりますと、私に限って言えば、自分の心が軽くなるという点があげられます。

世の中にはなかなか難しいし奇妙だという人はふつうにたくさんいらっしゃって、たとえば今ではふつうになりつつあるiPadなどの上の方の「黒穴」がいやだという人がいるんですね。

あそこから自分は見張られている、とおっしゃったりするのです。

そんなことはあり得ないということが充分分かっているはずの、充分頭のいい人が、そんなことをとつぜん言い出す。

ところが、精神分析などの本を読んでいると、そんな人の話が頻繁に出てくるわけで、それに対する非常にユニークではありますが、分かるような気のする説明もついているわけです。

少なくとも、人間の頭の働き方次第では、そんな「iPhoneのカメラが自分を見張っている」という感覚になっていくことも、珍しくはあるだろうけど、あり得ない感覚ではないということが分かるわけです。

そういえば、自分はちがいますが、「窓」なら分かる気がします。窓から隣人がいつものぞいている、と言う神経質な人がいるのは、これは異常ではないですね。うちの奥さんにもそういうところがありますし。

ところで「窓からのぞかれている」と言うからには、結局そういう人は「窓をこっちからのぞいている」んですね。人は、自分のやっていることが相手から同じように感じられることについては、非対称的なものです。が、そのことを知らずにはいられないでしょう。

そもそも「のぞかれている」「見張られている」と言うことは、心理的には「見張っていたい」はずです。警戒心がないのなら、そんなことが気になることはない。

警戒心が無意識になってくると(ふつう、人はそうなるでしょう。いちいち意識しなければプライベートをカーテンで隠すことを忘れるという人は、むしろちょっと少数派でしょう)自分とはある意味「離れたところで」警戒心が働き出すことになるのですから、「窓を見れば自分がのぞかれている」というのは極端にしても、まして「カメラはみんな自分を監視中」というのはいかにも極端ですが、警戒することが人生の主体、みたいになってしまっている人は、決して少数ではありません。自分だってそういう風によくなります。

たとえばある人に対してはほとんど自動的に、「いやいつもすごい仕事されていらして」なんて言ってしまいます。内心そんな風に思ってなくても。そういうことはいくらもあるでしょう。この人のことは褒めておかないとあとでなにが起こるか分かったもんじゃない。これはつまり警戒しているわけです。

心理カウンセリングではそういう話をうんと極端にした人でも、なんとか「救われる」ような方向性が綴られているわけで、そういうのを読むことで、私も自分を少し修正できる気がしてくるわけです。

以上はもちろん、実際には監視されていないということが前提での話です。

 

カウンセリングの実際問題

カウンセリングの実際問題

 

 

面倒なことをライフハックするという面倒くささ

ライフハックというのはもともと裏技的なものだろうと思います。

野球でいうと、内野手を7人にしちゃうとかいうのはライフハック的だと思います。たぶん、世界で最初にタッチアップを考えた人というのも、大変ライフハック的な精神の持ち主だったはずです。

裏技なので、もともと得られないはずのメリットを得るために考案されたものなので、面倒なものなのです。タッチアップは、きっちりと考えると非常に面倒なものです。ホームランなんかにくらべると、もちろんわかりにくいし、華々しさもないし、スッキリしない。

ライフハック的というのは、そういうところにある種の倒錯的な喜び(ホームランより犠打で一点取る方が嬉しいとか)を感じるというか、そういう精神構造が少しはないと、受け付けられないところがあります。

タスクシュートには、ライフハックの権化というか、かたまりのようなところがあって、「時間」という、非常に自然的で、人工的にはまったくどうにもこうにもしようのないものを、形式的に、自己調節によって、少なくとも自己の行動に関して管理しようという発想に基づくものです。

野球を例に取りましたが、こういう精神活動において「ルール」というのは非常に大事で、「なんでそんなルールが要るの?」となったら破綻してなり立たなくなるものです。

ルールがあるから、タスクシュートに意識をかたむけられるわけです。使途不明時間をゼロにするとか、1日の中で残っているタスクがあったらダメとか、終了予定時刻を意識するといった「ルール」に「本末転倒だ」というのは、それこそ本末転倒なのです。

それは、「べつにフライを打ったってふつうに進塁してもいいじゃない」と野球のルールにケチをつけるようなものです。ルールは恣意的なもので、だからこそ人工的な競技が成り立つので、そうして初めてあんなに多くの人がわりと簡単に熱狂できるようになるわけです。

自然発生的でないルールは、心のどこかで意識的に守る気にならなければ、コミットできなくなります。フライが上がっているのに一生懸命走塁していたら、野球に精通している人には、気が変になったのかといった感じを受けます。

タスクシュートもそれと同じように、「最近たすくまのリストを目にしていません」となったら、「それはよほどのことがあったのですね! お大事にして下さい。」と思うくらいにはなるものなのです。

昔に戻ってやり直すためのライフログ

ライフログって何の目的で記録するのですか?

という辛辣な質問があります。これは難しい問いです。じっさい「ニヤニヤする」で済まされようとしていた時期がありますが、十分に説得的だとは思えませんでした。

でもそもそも「ニヤニヤする」ってことは、ライフログを見ると楽しいという面があるわけです。なぜでしょう?

これは、上野動物園にパンダといっしょに写っている写真を見ればある程度わかります。パンダが好きなら、ですが。「ああ。行ったことあったんだね!」から「ああそうだった・・・」となればしめたもの。経験を再生できるわけです。

ここからいきなりまた精神分析の話を連想してしまうんですが、今ではぜんぶがそうだというわけでもないようですが、古典的に精神分析では「子ども時代を思い出すこと」をまず求められていました。

ライフハック界隈だけではないと思いますが、「学生時代に戻れたらもっと英語を勉強するのに・・・」という方はけっこういらっしゃいます。これの解決作は比較的簡単で「今からでも英語を勉強しましょう!」につきます。

しかしながら、「お母さんがあの時もっと優しくしてくれていれば!」はもっと難しい。今からやさしくしてもらうということも難しいかもしれませんし、そもそもそれが可能とも限りません。

「あの頃に戻りたい!」というのはしかし、本当はそうじゃないはずです。「今からの人生をもっとよくするために、一時的にタイムマシンであの頃に戻って、行動を修正したい!」ということでしょう。別れた彼女と結婚しておいたら今の人生はもっとよかったはずだ!というような。

しかしタイムマシンはまだありません。そこで精神分析というのは違和感があるかも知れませんが、分析にはそういう機能があると思います。

「転移」というのはけっきょく、ある意味では「再現」です。こじれてしまった父との関係をやり直す。そのために、分析の場に、セラピストを父に見立てた関係を再構築する。非常にうまくいった事例では、これを「やり直す」ことができ、まさにタイムマシンのように、一時的に「戻り」、これからの人生を好転させるというわけです。そううまくいかないケースもたくさんあると思いますが。

しかし、タイムマシンよりはマシですが、分析を受けるというのも、日本では今のところあまり現実的な手段ではありません。

というわけで、私はライフログを取っているんだということをだんだん意識するようになってきたのです。

ライフログを取ってみても、そんなに「再現」ができるわけではありませんが、「あの頃に戻る」何の手がかりもないよりは、手がかりの1つもあった方がはるかに、格段に可能性が高まってくるのです。それをEvernoteで見るたびに実感します。

いやでも、まだ何のログも残していないし、今から先のことばかりじゃ・・・と思う人も多いようですが、ここに発想の転換が求められるのです。これから先の経験を「再生したい!」と思うことは、1度や2度ではありませんよ。

小説と分析

自分は精神分析家ではありませんので、精神分析のなんたるかはわからないのですが、精神分析というのはどうも、カウンセリングや心理療法だと、私が習ってきたものとはちがっていて、何なんだろうと思っていました。

河合隼雄さんの本とか、土居健郎さんの本とか、そういうものを趣味的にやたらと読んできて、とにかくそういうことをしている人の言っていることは分かるのですが「そこで行われていること」というものがなんとも見えてこない。

要するに「精神分析を体験するとなにが起こるのか?」について、モヤモヤもや〜っとしている。こういう有名な本を読んでみても「甘えとは?」というテーマについての著者の見解がわかる気がするだけで、「精神分析」についてはわからない。

 

「甘え」の構造 [増補普及版]

「甘え」の構造 [増補普及版]

 

 しかし最近、倉下忠憲さんとのきばトークを毎週のようにやってみて、精神分析とは「小説を書くこと」に似ているかもしれない、と思いました。

私も、学生時代、愚かにも小説を書いていました。しょうもない作品ばかりで、今はみんなどっかにいってしまいました。そのことを先日ののきばトークの中で、「アリス」を書いた倉下さんの話を聞いて思いだしたわけです。

 

【英語版】アリスの物語/Alice's Tale (impress QuickBooks) (English Edition)

【英語版】アリスの物語/Alice's Tale (impress QuickBooks) (English Edition)

 
アリスの物語 (impress QuickBooks)

アリスの物語 (impress QuickBooks)

 

 小説家と小説の関係というのが、「精神分析」で起こっていることに、私が「精神分析」せずに体験できるとすれば、一番近いんじゃないか、と思ったわけです。「小説」はクライアントでもなければセラピストでもないのですが。

よく、精神分析における「出来事」として、「いわされている感じ」というものを述べている人がいらっしゃるわけです。そういうようなことが、確かに私のようなしょうもない小説を書いていても、起こるわけです。

今でも覚えているキャラというのがいて、今でも覚えているそのキャラのセリフというものがあります。これって、精神分析的なんじゃないだろうか、と。だってそんなキャラはこの世のどこにもいないわけで、もちろんそんなセリフもないわけです。ぜんぶ私の頭でねつ造したもので、いってみればそれは「私」なんです。

でもなんか私の中では、そのキャラクターたちはすでに「他人」みたいになっていて、他人が「言ったこと」を覚えている感じと、何ら変わらない。あのキャラクターも「私」だとすれば、「私」と「他人」の関係が、どちらも私の中にしれっと存在してしまっている。

「転移」とか「投影」とか「退行」いうのは、こんな感じのことなんじゃないかと、最近思ったのです。私が幼児キャラを描き出す。描き出したことがありませんが。そのキャラがいかにもリアルに幼児っぽかったら、それは私が退行したのとどう違うんだろうかと。

それに、居もしないかれらの「声」が私の中でこだまし始めたら、それは「分裂」といわないんだろうかと。

 

あとで使う資料をEvernoteで整理する

私のEvernoteの整理ルール では「過去のノート」の扱い方に終始しました。

記事中でも書いたことですが、過去ログを集めて、それを形式的に分類していくのが、なんと言っても一番うまくいく気がします。

私もそっち方面で分類や整理で悩むことはほとんどありません。

困るのは「未来側」なのです。

とくに、なにに使うつもりなのかがもう一つはっきりしないのに、「とっておく」ことだけはしたくなる類いの資料。ウェブクリップも典型的です。

これはとりあえず「その他方式」ですすめていくのがいいと思います。

何に使うのかが、はっきりしているノートから排除していくやり方です。

わたしであれば、シゴタノ!で使うネタは、そういうノートブックを作って、そこにまとめ、ブログで使うネタは、やはりそういうノートブックを作って、そこにまとめる。

すると、「何に使うか分からない」のが残りますので、さらにそれを分類していく。

これは自分の収集したノートを中心にして、現実に分類しないと、分類の軸が全然定まりません。ちなみに私は、未来で使うノートは「ネタ」でないなら「カタログ」として、次のように分けています。

 

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こうするとだいたいは、「ネタ」としてなにに使うか決まっているものか、「カタログ」として、あとでその中から捜せればいいものに、うまく分けられてきているような気がします。

それでも残ってくるのがsettingなのですが、これについては、また別の機会に。

アイディアを思いつくことができなくても、アイディアノートは絶対に必要

ネタ帳とは、なんだかいまひとつ役にたたないモノなのに、どうしてつくるんだろう?

というようなことを、倉下忠憲さんと「のきばトーク」というチャンネルでダラダラとしゃべっているのですが、気になる方は聞いて下さい。ただし小一時間ほどの音声です。

このトーク中に私が覚えておきたいと思ったことが1つ。

たとえ、書き留めておいて読み返したらつまらないように思えても、書き留めておかなくて「あー!すごいことを思いついたのに!」と後から思って後悔するのは、かなり精神的に「来る」ということ。

逃がした魚は大きい!

逃がしたから大きさはわからないだけに!

そういう精神衛生的な大破を避けるだけでも、本を書くといった長丁場になる「アイディア探検隊」には大事なことなのです。

これは、何らかの「アイディア探検隊」的な仕事をする人は、覚えておいて絶対に損のない話です。たとえば社内プレゼンなどする人の場合に。

「ネタ帳」があれば、そこに何一つ実のあることなど書けないとしても、ネタ帳がないと、「すごいアイディアを数日前に思いついたのにそれが思い出せないから今度のプレゼンは失敗する!」という思いにとらわれて失敗します。

 

「超」発想法

「超」発想法

 

 

 

youtu.be

今日はMacの代わりにiPadでブログを書いています

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hokoxjouhou.blog105.fc2.com

このへんの話題に強く触発されております。

やってみたら、書きにくいです (笑)
でもかけないってことはない。
旧iPad Proの10.5インチにキーボードをつけて書いています。慣れが必要ですし、慣れても快適とは言えないですね。
まずキーボードがやっぱり辛いです。打鍵感が「変」としか言いようがない。
また、漢字変換がキーボード用じゃないです。これはフリック入力用だ。
今はまだ家だからいいけど、これを電車の中とかでやるとなったら辛そうだ。肩も首も、すでにそろそろ痛くなり出しかけています。キータッチが何というか(安っぽい)とこんなにつらいモノなのですね。

しかし、軽い。鞄に入れたらかなり違いそうです。軽ければけっきょく肩や腰にいい。

軽いから持ち運ぶ分には肩や腰にいいけれど、これで長文を打ったら肩や腰に悪い、という。

うーん。