佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のライフハックを中心とした生活ブログです

文書作成はもっぱらUlyssesです

最近Scrapboxや、その棲み分けについて書くことが多くなっていますが、文書作成は今、もっぱらUlyssesです。

理由をリストアップしておくと、次のような感じになります。

  • 文字数をリアルタイムでカウントしてくれる
  • アウトラインを可視化しながら文書作成できる。特に本を書くときには重宝する
  • 動作が軽快
  • サブスクリプションだが高いとは思わない(年額4400円くらい?)
  • 横断検索機能が秀逸
  • PDFやDOCX形式への出力が直感的にできる
  • iCloudで一元化される上に、データの保存も自動

ほかにももろもろありますが、ざっとこんな感じです。

なんといってもやはり「本を書くためのツール」といった趣で、これなしではなかなかツラいと思います。

Scrapboxに原稿をためていくとなると、最後にどうやってまとめるかでイヤになりそうですし、Dynalistは一時やっていたのですが、ブラウザ上はなにか妙に固まるときがあるので、ストレスがあります。

私はそれほどは使いませんが、iOSでもほぼ同じ使い方ができるというのも大きい。これももちろん、ブラウザで利用できる全てのサービスに当てはまる話ですが、アプリがそれぞれ、iPhone用もiPad用もあるというのは率直に言って好環境です。

くわしい使い方については、私は次のブログ記事を参考にさせていただきました。

matagotch.hatenablog.com

EvernoteからScrapboxへコピペする作業はむなしいが

最近、ずっとScrapboxのことを、おおむね好意的に記事にしてきましたが、問題はたくさん残っているのです。

大きい問題が3+αあります。

  1. メール送信で新規ノートを作ることすらできない
  2. 画像を含む取り込みはEvernoteの方がいい
  3. まだEvernoteにくらべて歴史が浅い

いずれも必ずしも、欠点ではないとされています。しかしということは、今後しばらくはこの状態が続くということかもしれません。

1について。新規ノートがどんどん作り出せない方がいい、という説もあります。そうかもしれません。

しかし、新規にメモをどんどんEvernoteにじっさい送っていて、それを必要に応じてScrapboxへ移すという作業にはむなしさがあります。

直接Scrapboxへ送ればいいのではないかと思われるでしょうが、ありとあらゆる情報を容易にEvernoteに送る体制が確立している今となっては、そういうことを急にできるものではないのです。また、事実不便なルートもたくさんあるのです。

この問題はつまり「歴史が浅い」という3と深く関係しているのです。そして、歴史が浅いことから派生して、今後情報をどんどん蓄積していったらどうなるのかという一抹の不安が残ります。10万ノート問題のような使い方をしていったとき、遅くなったりすることはないのだろうかとか、死蔵とはまた違って意味で見つけられなくなりはしないかとか、サービスが終了してしまったりしたらどうしたらいいのかとか・・・。

2の画像も、もちろん取り込みはできますが、写真付きでどんどんデータを追加するような「雰囲気」ではないので、ライフログはEvernoteに集中していきます。しかし、ライフログとメモは、本当の意味では切り離せないのです。

とは言え、Scrapboxはたしかに魅力的です。だからコピペだってしています。

ScrapboxとDynalistとの棲み分けは?

Twitterでこのようなコメントをいただきました。

たしかに次のようなまとめもしたくらい、Dynalistはホットでした。

 

nokiba.hatenablog.jp

 

Evernote、Dynalist、そしてScrapboxと使うようになれば、どうしてもこういった話にはなります。

ここら辺のことは、自分の習性に合わせて、割り切ってしまう必要があります。

DynalistとScrapboxはどちらも似たような役割を担えるように作られているだけに、両方を同じような用途に使っていたら、棲み分けなど永遠にできなくなります。

私は、Dynalistを原則的に、使わないことにしました。使う場合には

  1. 書籍用のアウトライナー
  2. 一時的にアウトラインで頭を整理して、後にScrapboxへもどす

このどちらかにするようにしています。

本を書く場合のアウトライナーは、ハッキリと目的が決まっているし、自分以外の人(編集さん)に分かるように書かなければならないため、断片的だったり、記号みたいな言葉の羅列ではすまなくなります。

ということは、見失うことがなければ、該当のアウトラインさえ見つけられれば、書いてあることは思い出せるのです。もちろん、あまりにアウトラインの項目が増えてくると、該当のアウトラインを見つけること自体が難しくなるかもしれませんが、だからこそ「書籍用のアウトライナー」にしか使わないわけです。

一時的にアウトラインで頭を整理する方は、これはもう、後日になったらそんなことをしたこと事態思い出せなくなるでしょうから、その場限りです。Dynalistではアーカイブという項目にたたき込み、Scrapboxへと戻すわけです。一定の結論は出た、ということにして。

結論の中には「タスク」になるケースもあるでしょう。昨日も書いたように、たとえば「格安SIMの検討」をDynalistでしたあと、たとえばDMMのSIMを使うことに「決定」したなら、それはタスクリストに移すべきです。

 

 

Scrapbox手帳

先日、 EvernoteからScrapboxへ乗り換えることにしました という記事を書きましたが、Evernoteを使い続けるにもかかわらず「乗り換え」などと書いたのには理由があります。

 

nokiba.hatenablog.jp

 

この種のものは、たとえどれほど「美しい棲み分け」が実現したように見えても、じっさいには使い分けなんて無理な話だからです。

アイディアだけを scrapbox で、実務的な情報はEvernote、といった棲み分けは簡単に考えつくものの機能しにくい。
経済状態が良くないから、格安SIMに乗り換えようといった「アイディア」はどっちに入れるべきか? アイディアだからScrapboxとするならば、各種格安SIMに関するウェブページなどの「情報」はどっちに入れるのか?

この例で考えるなら、格安SIMの直前と直後にはどんな情報が、手帳であれば書き込まれるかと考えると、ますますScrapboxとEvernoteの使い分けの困難が予想されます。

MOLESKINEなどの手帳なら、格安SIMの「思いつき」の直前に、誰かの住所と電話番号。直後にはシゴタノ!ネタなどが書き込まれているから「価値がある」のです。つまり雑多であることを包含すればするほど、手帳の価値というのは高くなるところがある。その大本には一元化がある。

人には、整理分別がしたくなる性癖があるからこそ、こういう雑多な情報が長年にわたって蓄積された「手帳」を持つ人が限られてくる現実があります。一元化にちょっと執着しすぎるくらいでないと、じっさいにはすぐ「分けて」しまいがちなものです。

私はいま、あらゆる心理的衝動を排してScrapboxに一元化を試みています。名前も「のきば手帳」として、プロジェクトを1つだけ、非公開としています。

Evernoteはいろんな使いにくさがあったものの、一元化しやすいことと、事実上自分が一元化したからこそ価値がありました。

Scrapboxには、どうも入りにくい情報は、入っていかないことでしょう。そういうScrapboxにあぶれた情報がEvernoteに行くでしょう。そのようにして「棲み分け」が実現すると期待しています。

情報の種類によって分けるというのは現実的ではないと思っています。

 

Scrapbox情報整理術

Scrapbox情報整理術

 

 

EvernoteからScrapboxへ乗り換えることにしました

f:id:nokiba:20180914162327j:plain

Photo by Andy Brunner on Unsplash



といっても、Evernoteを解約してしまうわけではありません。プレミアムコースも継続します。

ただ、事実上Evernoteには、ファイル管理と日記を担当してもらうだけ、にするつもりです。

最近、文章はもうほとんどScrapboxに集中させていました。
これについては、わかりやすい使い方だと思うので、特別なことはしていません。

ただ最近になって、セミナー管理もScrapboxにしてみています。
やってみると、これの方がずっと楽だという事実に行き着きました。

たとえばEvernoteの場合

  • セミナー【スタック】
  •  第2回倉園さんとのセミナー【ノートブック】

といった関係を作って、ノートブックに資料・ネタその他を集めていくといった感じになります。
この【セミナー】という大きなくくりと、個別のセミナーという上下関係は、正しい。しかし、必須ではないのです。

ある資料に、Scrapboxでセミナーというタグと、倉園さんとのセミナーというタグを付けておいても、全部ちゃんと見つかる。

しかも、ネタにはネタのタグ、持ち物リストには持ち物リストのタグ、メールの定型文にはそういうタグを付けておけば、あとから別のセミナーのためにも活用できる。

同じことはEvernoteでもできるじゃないか。

できますね。

しかしEvernoteだと、ノートの中にタグを書き込んだりできないし、したがってノートの中からタグを辿るということが出来ません。

あるセミナー用の「プロジェクトノート」のようなモノを作ったとき、持ち物リストや参加者リストも、そのノートそのものから辿りたいと、思いませんか?

これはやってみるとかならずそう思うはずですが、これまでEvernoteでは決してそういう発想になりませんでした。

ノートからノートへとリンクで辿ることはできても、ノートからタグを辿ったりできなかったのです。

そもそも「正しいタグ」を書き込めるかという問題があります。

参加者リストというタグを付けるのがいいか、参加名簿というタグにするか。
Scrapboxはタグを付けやすく、タグを辿りやすいため、どんどんタグを付けようという気になります。だから、「間違ったタグ」をいくら付けておいてもいいのです。

Evernoteもそうのはずなのですが、Evernoteだと「正しいタグ」をつけたいという気持ちが強くなってしまいます。

今回の変更については当然こちらから影響を受けています。

 

Scrapbox情報整理術

Scrapbox情報整理術

 

また、Evernoteについて本を出しています。

 

Evernote仕事術

Evernote仕事術

 

 

新しいiPhoneを買うかどうかで迷う日です

何しろべらぼうに高いですからね。

最近、かなりヒットを飛ばしているGAFAとかいう本を読むとこんなことが書いてあって、いよいよ購買意欲に水を差されます。

カルティエは店内での経験へのこだわりに賭けて、ロレックスのブランド価値に追いつきつつある。ことによると超えているかもしれない。どこでどのように時計を買うかは、とても重要なことなのだ。

 

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

 

 

そうですね。やっぱり、「元気スーパー」(という名前のお店はないことを祈る)みたいなところでiPhoneを買うのだったら、11万8800円(適当)とかいうスマホを買うのはあほくさいと「感じてしまう」でしょう。

今回の発表によると、しかし、Apple Watchの4を買うと、もっと心拍数を精密に計ることができるとかいって、そのこと自体で購買意欲をそそられるというよりも、やっぱりあのWatchを身につけてそれができるということに意味を感じてしまうのだろうと思います。

電池の保ちも良くなるし、速度も速くなるみたいだし。もともともっているWatchの速度がそもそも遅いから、速くなることが素晴らしいみたいに思うだけとも言えますが。

心拍数だけでなく、心電図もとれるように(計測方法は、時計を付けていない方の手でデジタルクラウンを30秒程度触る)。

www.lifehacker.jp

ただですね。なんか残念な感じを抱かせないのが、Appleのすごいところではあると思います。「心電図がとれる」とかいっても、研究所の折れ線グラフみたいなのをモノクロで見せられてもつらいだけです。

もっとも、こうも高くなってくると、次のような疑問を多少は頭をかすめてしまいます。いったい、必ずしも必要のないものに大金をはたいて、結局かなりごく少数の人がものすごく儲けるのに貢献することで、自分はなにを得るつもりなんだろうか?

少なくとも今日の記事を読むかぎり、いいことずくめのようですが、すでにものすごく素晴らしいカメラがさらにものすごく素晴らしくなるとしても、それが欲しいとは思っていません。もちろんくれるんだったらいただきますが。

私はカメラの性能が今ほど素晴らしくても、それで生計を立てるのにほとんど役に立てられてませんし、それがますます素晴らしくなっても、支払が増すだけでしょう。

そういえば、GAFAの本は冒頭からこんなことが書いてありました。

いまは 億万長者 になるのはかつてないほど容易だが、 百万長者 になるのはかつてないほど難しい時代だ。

iPhoneとApple Watchを身につけても、百万長者にはなれない気がします。それを身につけさせる側に立てられれば、億万長者になれるでしょうが。でもけっこう多くの人がこれを買っているはずなんですよね。

同じ意味のことが最終章でもリフレインされていて、なるほどな、と思います。

大まかに言ってしまうと、現在は超優秀な人間にとっては最高の時代だ。しかし平凡な人間にとっては最悪である。

 

ライフハッカーならではの悩み

何故ならば、引き継ぎ体制に関する情報がメールでなかなか出てこない。

「何故メールを出さないのだ……」と私は思ってしまうのですが、報告や連絡、相談を口頭のみで済ませてしまう人は少なからずいます。いや、済ませてもいいんだけど、結果だけは展開してくれないかな。

久々に元の事業所へ出勤したら、初耳の情報をいくつか聞く事態。いやいやいや、メール連絡してよ。

kt-zoe.com

この世には、分かる・できる、だからこそ適応できないということがたくさんあります。

「「何故メールを出さないのだ……」と私は思ってしまう」のに私も100%同意できますが、これに100%同意できない人もいるというか、おそらくその方が多いのではないでしょうか。

そもそも、会社に出勤しても会議がなければ一言も声を発さずに帰り、「私、出勤する意味ある……?」と思うこともしばしばある仕事なので、ということもあると思います。

人とやり取りしてないわけではないんです。人とのやり取りはメールやチャットツールなど、基本文字です。リモートで全く問題ない。

 そうなのです。いずれはそうなっていくでしょう。ただ、「いずれ」とはいつなのか。それが5ヶ月後なのか5年先か15年先かで、ずいぶん個々人にとっての意味は違ってきます。

「私、出勤する意味ある……?」という疑問を誰1人まったく持たず、会社に黙々と忠勤する人ばかりだったら、たぶんその会社は危うくなるでしょう。

だから「私、出勤する意味ある……?」という疑問を発することは貴重なのですが、その貴重さというのは、現段階では会社を変革する貴重さではなく、存在することの貴重さだ、というように思えます。だから、いるだけで貴重だけど、その当事者は苦しむだけ、といったことになるのです。

その昔コリン・ウィルソンが「アウトサイダーの存在が文明社会に不可欠だが、その必要性は理解されることなく、アウトサイダーは疎外の苦しみに耐え続けるほかない」と書いていましたが、それとどことなく似ています。

私にはそういうことができないから、会社員ができないのですが。

 

アウトサイダー(上) (中公文庫)

アウトサイダー(上) (中公文庫)

 

 

 

いつしか「文字数」だけが文章のゴールになってしまったときに

くだらない話をします。私も物書きだからです。

長い文章を書いていて、いつしか「文字数」だけがゴールになるということは、ままあることです。

子供が漢字をひらいてはマス目を埋め、読点を増やしてはマス目を埋め、○を二つつけてマス目を埋めて、一刻も早く作文を終わらせようとするのと同じことです。

これこそが、脳のMP節約戦略なのです。

MPは貴重。MPはなくなってはならない。だから見返りが得られるかどうかわかりもしない「長文」や「作文」は最小限度のエネルギーで切り上げねばならない。

子供とはいえ侮ってはなりません。

子供だって、「読書感想文は面白くない」と書くよりも「どくしょかんそうぶんはおもしろくない」と書いた方が、なにも考えることなくマス目が埋まるという理知的な計算をやってのけるのです。

「仕事において、やりがいを感じることはなんですか?」という質問に対して、第1位となったのは、「お礼や感謝の言葉をもらうこと」(62%)。続いて「仕事の成果を認められること」(56%)、「目標を達成すること」(50%)という。

japan.cnet.com

MPは貴重である。使ってはならない。もしどうしても使わなければならないなら・・・それだけの見返りが必要なのである。

「お礼をもらう」というのは重大な見返りです。

「成果が認められる」のも同じく重大な見返りです。

(もしもあなたがお礼を「あげる」とか成果を「認める」側に立っているなら、これを出し惜しむリスクをよくよく考え直すべきです)。

学者が論文を書いているのに「もじすうがごーる」になってしまうとすれば、自分が研究だの論文だのに心血注いだところで、何の見返りも得られるものかというむちくれた気分に陥ってしまっているせいなのです。

環境を変えましょう。
MPを注げば注いだだけのものを返してくれる環境に身を置くなり、無理なら今いる環境を変化させる必要が、やっぱりあるのです。

そんなのことができるくらいなら、とっくにそうしていると思われていることでしょう。でも私も物書きなのです。同じような結論にいつもかえってくるのです。

倉園佳三さんのお話を真横で聞いているとじわりと人間関係が変化します

kokucheese.com

このセミナーを去る日曜日に開催しました。

このセミナー、主役は私ではなく倉園さんです。少なくとも私の方は、そういうつもりで主宰しています。

倉園さんのお話というのは、人間関係を変化させます。良い方にです。こう言うと、いかにも嘘っぽく聞こえてしまいそうですが、私はこの種の紹介に不向きな人間なのです。タスクシュートが時間管理をうまくやる手助けをするといった話なら、まだもっと上手に確信をもってやれるのですが。

1度は聞いて損はないです。

ただ、聞いただけで感動しても、意味は薄いかもしれません。ある程度でいいから信じて、自問しながら行動しないと、効能を得にくいでしょう。

人は、トクになることでも信じたくない、という気持ちをもった複雑な生き物です。

かつてトルストイの『アンナ・カレーニナ』からこのブログで引用したことがあると思います。今は死語となっている女中のおばあさんは、よりおいしいジャムを簡単に作れる方法を耳にしても、そのやり方でうまくいくことを信じたくありません。

 

nokiba.hatenablog.jp

 

その方法が目の前で披露されると、ジャム作りが失敗におわることを祈り出す始末です。

私もこのおばあさんと同じで、ちっぽけな私という自我をやたらと大事がる人間です。倉園さんの「ありがたいお話」が真実でなければいいのに・・・と、心のどこかで思いたがっている人間です。倉園さんのお話が本当であった方が、私にとってもいいことずくであるにもかかわらず、です。

次回はCHANGESのセミナーのためお休みしますが、11-10(土)の午後に第3回開催予定です。猜疑心を胸に膨らませた方のご参加をお待ちしています。

 

10/6 第一回「CHANGES」主催セミナー開催!@東京 | CHANGES

習慣化に必要なのはシンプルさ

私たちはつい、家計管理を、「予算を組む」作業と考えてしまいます。計算して、その月の各項目の支払いにいくら必要なのかを考えるのです。この部分は簡単です。けれども、立てた計画を守ることは、まったく別の努力を要します。

www.lifehacker.jp

 

これはとても、タスクシュートと時間管理の問題と似ています。

 

タスクシュートも少なからぬ人が、「予定を組む作業」と考えています。しかしまさに「立てた計画を守ることはまったく別の努力を要する」のです。

 

タスクシュートのいいところは、「容易で続けやすい」ところです。反対の意見が盛んに立てられるのですが、それは見た目の問題です。

 

タスクシュートは続けやすいのです。私が思うにほかのツールの問題点は、継続の難しさにあります。

家計簿と似て、タスクシュートは難しくない。だからこそ家計簿も、このくらいの人々に続けることができているのです。

 

家計簿は、いざたくさんのレシートが溜まってしまっても、基本的には順繰りに、一つ一つ片づけていけばいい。

タスクシュートも、問題は常に一番上の項目をやるかどうかです。いくつかのリストから選ぶという問題には決して直面しないですむ。この問題は、使い込むほど面倒になりがちなのです。

 

「予算内でやりくりできるかどうかは、あなたの行動に大きく左右されるから」とは、まさに時間管理でも同じです。

リストをいじるべきなのではなく、行動に感覚を持ち込む必要があるのです。

 

時間内に用事やプロジェクトをなんとかできるかどうかは、あなたの行動に大きく左右されるのです。まさにそうではありませんか?

 

もしも、家計を「総額」ではなく、いろんな口座やおサイフの、いろんな「現有資金」に分けたあげく、「それぞれの予算」を検討しだしたら、たぶんほとんどの人がたちまちお手上げになるでしょう。

 

しかも、おサイフで節約したから、銀行口座から使ってもいいや、などと考えるでしょう。だからいつまでも、金銭感覚が身につかないでしょう。これが時間感覚にも当てはまるのですが。

 

リストが3つも4つも分かれているタスク管理ツールは、私にはとても使いにくいと思われます。

 

記憶はいつでも失われ続ける

 

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

 

この本にはいろいろなことを勉強させられますが、強調されているうちに少し気になってきたのが「短期記憶が損なわれる」という部分です。

プロ棋士だから、ということはあるのでしょう。短期記憶が損なわれるということは、どんな経緯で「現在のような局面」になっているのかが分からなくなるし、先を読むこともほとんどできなくなります。

英語で文章を読む訓練をしていると、「自分てこんなに記憶力が弱かったのか?」と思うことがあると思います。それはもう少しで読めるようになるという兆候なのですが、母国語とちがって、「頭に入ってこない」。

というのは、「英語のまま覚えておく能力」などというものは、もともと身についていないため、前段の文章内容が記憶に残らない。結果、一文、一文をバラバラに読んでいるようになってしまうのです。

自閉症の本でも、発達障害の本でも、そしてうつの本でも、こういう話はひんぱんにでてきます。文章が頭に入ってこなくなるとか、記憶がつながらない。

たぶん、人間の活動の「単位」というものは、マジョリティの短期記憶スパンに合わせてあるのでしょう。そうであって当然ですが。ですから、その「記憶スパン」より早く忘れてしまう人には、「つながってこない」という苦痛を強いることになってしまうわけです。

が、むしろ障害に遭った方の本を読んでいると、健康な人は、ヒトの脳の記憶力というものを過信しすぎているという気もしてきます。文章は頭に入っていると信じているし、将棋ではなくても、今なぜ自分がこうしているのか、いつでも当然わかっているものといわんばかりです。

しかしそれは本当なのだろうか?

私は、これからやることと、今やっていることと、これまでやって来たことを、「基本単位」(タスク単位)で全部記録しているのですが、今やっているはずの「ブログを書いている」ということになっているのに、じっさいにはそうしていないことが良くあって、しかもそのことを変だと思ってもいないのです。

それはつまり、今し方やっていたことをいつの間にかやめて、しかも、そのことを覚えてもいないという意味です。しかし私は「正常」もしくは「健常」なのであり、その場合でも記憶できている範囲など、こんなモノではないのでしょうか。

情報整理ツールScrapboxに期待したい


自分が設定した決め打ちの分類軸ではなく、また一般的に流通している分類軸でもなく、情報そのものにある記述的な説明によってつながりを増やしていくこと。そうしたものが担保する自由さに身を任せてみること。そこにScrapboxの神髄がある──ように思う。

rashita.net

 

この点については、倉下忠憲さんがかなり先をいっているように思うから、そこでなにが見つかるかに期待しているところです。

私は「整理マニア」なところがあります。整理していること自体が趣味で、それをするとどうなるの?とまっとうに問われると少しイライラしてしまう。

「超」整理法で野口悠紀雄さんが「整理しない整理術」という言い方をしていて、すごく考えを改めたということがだいぶ昔にありました。

その後、たびたび話題に出すのですが、ぜんぜん反応がない「パーマンノート」というアプリをたまたまMacで見つけ、非常に興奮したものです。これも学生中のことでした。

基本的には、情報という情報を1カ所にまとめ、それぞれに階層式タグを付けてやると、タグの絞り込み方次第で、抽出される情報リストが違う顔を見せるという発想です。これは「フォルダ分け」ではできないことで、「タグとタグの組み合わせでクエリする」それに「タグこそ階層式にする」という発想であってこそ、面白いものになるのです。

この発想はメモキットというアプリに受け継がれていたのです。しかもこのアプリはPalm対応でした。

www.vector.co.jp

世の主流は決してこういう方向に進むことはなく、分類と言えば「フォルダ」でした。なぜわざわざデジタルがアナログの真似っこをしなくてはいけないのか。

ここへEvernoteがでてきたのだから私が興奮したのは当然です。タグが階層式になって、しかもタグはいくらでも作れる!
ひどいときには、日に10時間以上もEvernoteのタグをいじっていたこともありました。
ただ、残念だったのはタグが「疑似階層」だったこと。そして、「ver.5」のあたりから、私が希望する方向を切り捨てつつあるように見えたことでした。

情報をどのように分類するのが適切かということが、情報をある程度分類してからでないと、見えてこず、ある程度分類してみた後、じつはそうでない分類をしてみた方がいいのではないかということが見えてきたりするのです。

これも度々言及してきたつもりですが、はてなブックマークとタグクラウドが今よりずっと盛り上がりを見せていた頃、どなたかが「分類名や、どんなタグがついているかはどうでもいいことで、多くの情報にあるタグがついていて、それと同じように情報をまとめている人が多くいるという事実そのものを活用できるようにしたい」と述べていたのに、強い印象を覚えました。

Amazonで本を探すとき、これをときどき実感できます。
三冊の本が面白いと思ったとき、その三冊の本がどんな名前でカテゴライズされているかを発見することが大事なのです。

 

こうも災害のニュースを聞かされるとやっぱり頼りにしたくなるのがiPhoneのバッテリー

 

 

テレビをつけるとニュースはもっぱら台風情報です。

昔と比べてどうかということについて、人の記憶は意外と宛になりませんが、9月の頭からすでに台風21号というのは、やっぱり多い気がします。

災害に巻き込まれると、やっぱり欲しいのがスマホ。情報得るのはもちろん、家族と連絡を取ったり、時間をつぶしたり、ありとあらゆる意味で重宝します。

そういう意味で、こんなバッテリーでは心許ない。もっと大容量のでかいヤツを持っていたいところでもありますが、そうは言っても毎日毎日、図鑑みたいなバッテリーを持ち歩きたくはないでしょうから、私はこれで妥協しています。

これでも、ないよりはぜんぜんあった方がいいです。

それにこれなら、つけっぱなしでポケットに入れても、耐えられるレベルです。この点が意外と大事です。

最近は、これを二つ、もしくは思い切って三つ持てばいいんじゃないかと思うくらいです。

「うつ病九段」は読んでおきましょう

 

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

 

 


先日記事に書いた本と違って、こちらはいわゆる「闘病記」ですが、いま一番オススメです。少なくとも「うつヌケ」よりオススメしたいです。

 

nokiba.hatenablog.jp

 

これまで私が読んだ中で、おそらく一番打つになった真相に近いと感じられたのが、こちら。

 

ビジネスマン「うつ」からの脱出

ビジネスマン「うつ」からの脱出

 

 

しかしこちらの本は、あまりにも優秀な人が書いたせいか、ウツのおぞましさがいまひとつ伝わってきませんでした。

今回の方は、はるかにそのおぞましさが伝わってきます。「急性期」などと書かず「極悪期」と書くあたりにも、専門家で目線ではなく、患者目線だということが伝わってきます。

どちらの本にも共通していることとして「決断できなくなる」ことが繰り返し書かれています。

棋士が決断できなければ、もちろん仕事になりませんが、そもそも私たちが普通にしている決断というのはあまりに多岐にわたるため、決断済みが前提になっていないとできない決断というのがたくさんあります。

昼食になにを食べるかということを決めるには、そもそも昼食を食べるということが事前に決定されている必要があります。


昼食を食べるという決定は、モノを食べるというけっていた事前にあります。

「生きるべきか死ぬべきか、それがクエッションだ」ということになってしまうと、いちばんの前提からクエッションになってしまうため、以後何一つ決定できなくなるか、するとなったら全部意識的に決定していかなければなならいので、時間がかかってしようがありません。

しかし、精神のエネルギーが極限まで低下している状態では、「決定」などというエネルギーを喰うことを、脳はほぼ全て拒否するので、ふだんは「すでにすんでいるはずのこと」がすまされなくなります。こういう基本が奪われるような事態こそおそろしいのです。

お金が極端になくなってくると、大前提として支払い続けているようなものすらも、切り詰めたくなるでしょう。水道料金をどうにか切り詰められないかとか、給食費を何とか払わずにすませられないかとか。

心理的負担についてそういう倹約令が発動されてしまうと、ふだんどおりに「ものを見る」ことすら脳からすれば「ムダだ」ということになってしまいます。

ある日のことである。テレビを眺めていると、突然、色が目に飛び込んできた。

何の映像かは覚えていないのだが、派手な原色(の感覚)が私の体の中に電撃的に走ったのである。今思えば、うつがもっともひどい時は、すべてがモノクロの世界だった。

今となってはすこしずつ脳の中の感覚が戻りはじめたのだと分かるが、その時は逆に自分がおかしくなったのではないかと不安になった。

 

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

 

 


色彩というのは、生き続けることが当然ならば必要かもしれませんが、そうでなければ「贅沢品」というわけです。


私たちがよくやってしまう先延ばし。「大変そうな仕事をやろうかどうしようかで悩んでしまう」というのも、実は「贅沢な悩み」なのであって、そこに至るまでに、たくさんあるはずの葛藤が無意識のうちに「すまされている」からこそ、仕事のことを悩むレベルに達せているわけです。

百式が終了!すごくとつぜんですごくびっくりしてすごく残念ですがしかたないですね

f:id:nokiba:20180831135943j:plain

Photo by Charles Deluvio 🇵🇭🇨🇦 on Unsplash

非常に個人的な話ではありますが、少なくともブログというもの

を知ってから今日まで、結局私にとってのブログとは百式でした。

ですのでこのニュースは、私にとってはかなりのビッグニュースで、また1つ自分がブログを続ける理由が失われてしまったような気がします。

www.100shiki.com

私がブログを始めた理由は、百式があったからです。ほかの理由もありますが、これが「いちばん大きな理由」ではないにしても、「最も根源的な理由」です。

また、私が「ブログは毎日続けた方がいいんだろうな」となんとなく思い続けていたのも、百式が2000年以来、毎日続けていたからです。じっさい毎日、私は必ず読んできました。

それによってなにかを得るということよりも、毎日カレンダーを見るようなものです。

明日からとつぜん「暦はなくなりました」と言われるのは、まるで「国がなくなりました」と言われるような感覚があります。(ちょっと大げさですが)。

しかし、ブログを続けることもやめることも、個人的な意見では100%中の人が決めることです。これがブログの最もいいところだと思います。

そういうわけで、少なくともこのブログは、私は続けていこうと思います。