佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のライフハックを中心とした生活ブログです

問題がある、ということを発信する

nyaaat.hatenablog.com

このブログをときどき読みます。

こういう記事を読むと、たくさんの人の胸の内に言いたいことがわっと湧き上がってくるのだろうと、推測します。ただそれだけのことでも、こうした記事を書く書き手という人は、多くの人に読まれるべきで、実際読まれているわけです。

大事なことは、どうするべきだとか、どう考えるべきかということだけではなくて(そういう話が功を奏することもあると思いますが、それにはそれだけのタイミングが必要です)、「問題」というものが他者に理解できる形で表現されることです。

私はたまたま同世代です。(1973年、昭和48年生まれ)。だから気になるということもあります。

「タスクカフェ」「タスク管理セラピー」「グッドバイブスセミナー」それぞれの違いについて

現在私はほぼ毎週土曜日、あれこれとセミナーやワークショップの活動していますが、それぞれがどう違って、いったいどういう役に立つのか、意外と「知らなかった!」と言われることもあるので整理しておきます。

たとえばここに昔ながらの、年配のお義母さんと確執のある女性の関係をイメージしてください(イメージです。見たことはないです)。

お義母さんが人差し指で床をなぞりながら「ちょっとここにホコリがありますよ。これでお掃除したって言うんですかねえ。いまどきの若い方は」とか言ってきたら、どうするか。

ここで「ルンバを買う!」という解決がお好みでしたら、「タスクカフェ」が好きになれそうです。まもなく100回を迎えようという、仕事術・タスク管理・時間管理系のセミナーなのですが、要は技術と工夫で悩み事を解決しようというわけです。

しかしルンバを買ったものの、イマイチ使い方がわからないということもあるでしょう。そうした方のために用意しているのが「タスク管理セラピー」です。

タスクカフェ、タスク管理セラピーとも、ブログ「シゴタノ!」をチェックしていただけると、お申し込みできると思います。

▼タスクカフェのお申し込みはこちらから

https://55auto.biz/cyblog/regires.php?tno=360

 

▼シゴタノ

シゴタノ!仕事を楽しくする研究日誌

 

しかしルンバを買ったらますますお義母さんが怒っちゃった!ということも世の中にはあります。そうなったらルンバのよりよい使い方を知るとかいう方法では、もはやどうにもなりません。

そのような困りごと、お悩み相談ができるのが

  • グッドバイブスセミナー

なのです。

kokucheese.com

 

 

家で仕事ができるなら、コスパはベスト

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これは、2019-07-06(土)のタスクカフェで出た話です。

私はコスパで何をするとかしないと決めることはほとんどありませんが、ノマドだけは完全にこれで決めています。

外で仕事をしないわけではありませんが、一人での作業だけを目的に、外出することはありません。

カフェと自宅とを比較してみたところ、カフェの方が仕事がはかどったということが、時間当たりの作業量でみると、一度もない。

そしてカフェはコーヒーが高い。

以上ですべてです。

タスクカフェ

妻のナスのトゲが抜けました。アドバイスいただいた皆様ありがとうございました

 というツイートやFacebook投稿してみたところ、複数の回答をいただきました!


Aki Yamama

警視庁のTwitterにこんなものが!「5円玉を押し当てる」です。
https://youpouch.com/2019/03/04/560021/

 

Sayoko Kikuchi

私も先日魚の小骨で同じことに…。マチ針を炙って消毒し、先端で引っ掛けるようにしてトゲを出しました。多少傷ができるので少し荒療治かもですが… 

 

勝間 和代

私は同じようなときに、皮膚科にいってさくっと抜いてもらいました。専用の器具があるので、確実です。傷口が感染するかもしれないので、さっさと医者に任せたほうがいいと当時は言われました。 

 皆様ありがとうございました!

結果的にはやはり「まち針」で取ることができました。昨夜のことです。

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『やる気クエスト』英語版の連載を開始しました!

jun0424.com

岡野さんのブログのタイトルにかぶってしまいました。

英語版はいまのところ無料でお読みいただけますので、ぜひ試し読みしてみてくだしあ。

YARUKI QUEST : The adventure seeking for the method to get yourself motivated.
If you want to know how to get yourself motivated, try this fantasy manga. Here is everything you need to know.

www.yarukiquest.com

 ついにこんなことができる日が来たよねということで、ちょっと感無量です。

純さんが書かれているとおりで、翻訳となるとちょっとした言葉遣いからいちいちやっかいで、もともと英語版などイメージしてなかったから、いよいよ面倒です。

日本では単純に「やる気」といっていた言葉が英語版になると場面によって「Motivate」だったり「Drive」だったりして、ストーリー中で言いたかったことの本質に改めて気付かされる、なんてこともあります。

最近では Grit という言葉もありますしね。

何はともあれ、まずは1話。のぞいてみてください。 

「第1回 やる気が出る時間管理術」レポート

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昨日のセミナーの肝はまさにここにありました。

ここにタスクシュート・デイリーログプラン式のすべてがあったといってもいいすぎではありません。

岡野純さんは、スーパーサラリーマンです。ひとり3役。

会社員

漫画家

お父さん

やってみればわかります。このうちの1役をきちんとやるのだって、できれば人として十分です。

私の知っている人には、このうちのサラリーマンだけで精一杯という人がそこそこいます。それらの人は人としては十分です。

たとえ土曜日曜は、お子さんと一切遊ばないし、家事も何もせずに、ひたすら自室にこもりきりだとしても、そんなに責め立てられるべきかどうか、とは思うわけです。だって世の中には、働きに行かないで、ひたすら消費活動しかしないという「お父さん」だっていないわけではないのです。

岡野さんの「休日」は、朝5時に起きて漫画を書いてから、家事をして、お子さんと遊んで過ごされています。

これを可能にするのがタスクシュートです。別にこれを可能にしなくてもいいだろう、とおっしゃる方には100%賛成です。私だってとても無理です。

私は岡野さんの「3役」の中の「2役」をいずれもそこまでやりきれていません。それでも「人としては十分だ」と思っています。そしてこれを私に可能にしているのもやっぱりタスクシュートなのです。

上のログを、こういうことに興味のある人はよくよく見返してみてください。30分以上のタスクは1つとしてありません。

にもかかわらず岡野さんは、朝食の90分前に起床しています。

このことはよくよく覚えておく価値があります。

「朝30分」を続けようと思ったら、朝90分早く起きる必要があります。岡野さんがよほど時間を無駄にしているという勇気がある人はちょっと別でしょうが、私なら有効な時間の3倍は余裕が必要だといいます。

そのことを知るにはログが絶対必要です。

 

「朝30分」を続けなさい! (PHP文庫)

「朝30分」を続けなさい! (PHP文庫)

 

 

文章を書きあぐねるということは

文章が書けなくて困ったことは、幼稚園の頃から一度もない。書き上げる文章の理想形などない。一度書き上げたらあとは編集の仕事。自分の文章や構成が大きく変えられることがあっても、自分の伝えたいことが伝わるならそれで構わない。

こうした言葉が、連続して出てくる。

gofujita.info

こちらのブログで私についての本を取り上げていただきました。大変ありがとうございます。何を言われるだろうかと、いささか緊張しました。(笑)

なんとなくこう列挙されてみると、何というか「強気」な人ですね、私は。でも本物は至って気の小さい小者なのですが。

文章を書きあぐねるのは、やっぱり、先のことを考えるからなのではないでしょうか。「下を見るなー!」ってやつですね。私はそんな難所を渡ったこと、ありませんが。

つまり「先を見るなー!」ってことなのです。先を見ては、たぶん書けなくなります。いま書いていることに熱中して書き続けていけばいいように思います。

「今」とは言っても幅があります。今現在とは、この瞬間のことではない。ここ1時間くらいの幅があるはずです。

cyblog.jp

どこかを引用したかったのですが、どこかを切り出すことは難しいなと感じました。

まさに「リアルタイムロギングメソッドの拡張」こそがタスクシュートなのであり、私は文章を書くこととタスクシュートが渾然一体です。

タスクシュートはずっと私の頭上にあって、私はそれとともに文章を書いています。書くことはリアルタイムであり、連想が浮かんだら、今ちょうど浮かんでいるとおりに、文章に直し、その行き先もなんとなく脳内にあって、それを追い続けているうちに、本になっていくのです。

書けなくなっているとき、人は不安を訴えます。ちょうどその通りのことを、倉園佳三さんが「グッドバイブス」という異なるアプローチで、くりかえし強調されているのです。

未来への不安は、私たちが唯一そこにいられて、何かを行うことができる「いまこの瞬間」を奪い去っているということ

 

【★購入特典付き★】グッドバイブス  ご機嫌な仕事

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不安から、下を見てしまう。先を見てしまう。未来を見てしまう。そうして視点が現在から飛び去ってしまう。そしてますます不安になって、いつのまにか自分が自由にやれるはずの地点を踏み外すのです。

ちょっと調べものをしようとWebブラウザを開いて目的のものを探しているうちに、「ついでに」ということでGmailのチェックを始めたり、そこで見つけたり思いついたりしたことに「ちょっとのつもり」で脱線して、だんだんと深みにはまっていって、ふとウィンドウだらけになった画面を見て「何をやろうとしていたんだっけ?」と立ち止まるのです。

「リアルタイムロギング」メソッドの拡張 | シゴタノ!

文章を書こうとしていたのです。 

「自分の正しさを手放す」ことは「相手が正しいとみなす」ことを意味しない

昨日の記事ではなかなかうまく伝え切れていないように思うので、少し補足します。

 

nokiba.hatenablog.jp

私たちは、自分が苦しんでいるにもかかわらず、しかもその苦しみの一端は「自分が正しい」という思いにあるにもかかわらず、その正しさを手放しがたく感じることが、おうおうにしてあります。

その原因のひとつに、「自分が正しくない(可能性もある)」としたら「相手が正しいことになってしまう」と感じるからです。

自分がいじめられているというのに、いじめている相手が「正しい」なんてことがあっていいはずがない!(だから自分が正しい!)というような苦しみのことです。

この部分を意識しているから倉園さんも次のように断り書きを入れているのだと思います。

私はけっして会社や組織の肩をもっているわけではありません。もちろん、自分の信念を曲げて、長いものに巻かれろなどと言うつもりもまったくありません。

goodvibes.work

 どう考えても「自分は悪くない」にもかかわらず、どうにも苦しみからは抜け出せそうにない。そういうときに誰でも見つけられそうな脱出口のひとつとして「自分の正しさを手放す」があるという話なのです。

こう書いてもまだ納得されそうにないので、よく似た事例をさらに他の本から引っ張ってきてみましょう。

夫が冷たく邪険にするとカウンセラーに訴える奥様の事例です。

(妻)「でも、彼はもうずっと以前から、私に対して邪険な態度なんですが」

 

(カウンセラー)「大丈夫です。もし彼が邪険にしたときに、あなたが彼をなじったら、彼は前と同じようにもっと邪険にあたるだけでしょう。実際彼は、まずはじめに自分が邪険にしたことを忘れ、あなたが邪悪な態度だから自分もいい返したのだ、といいはることでしょう」

 

「まったくそのとおりに彼はいうと思います」

 

「そうでしょう! こうやっていては、いつまでたってもあなたはこのゲームには勝てないのです。でももう少し違ったやり方をすれば、つまり、彼が愛情を示してくれないときに、こちらはいっそうやさしく彼に接していけば、少なくとも彼の愛情を引き出すチャンスだけは保有することになるのです」

 

「でもそれは少し不公平のようじゃありません? 彼があんな態度をとったあとで、私がそうしなくてはならないものなのでしょうか?」

 

「たしかに公平でない感じがします。というより、実際公平ではないのです。それでもなお、私は言いたいのです。ご主人をこっぴどくやっつけることの他に、彼の愛を引き出すためにどんな方法を思いつきますか? 公平でなくてはつまらないということにこだわって、人生をもっと公平にしようと努める、こんな馬鹿げたことをいつになったらやめるのですか?」

 

論理療法―自己説得のサイコセラピイ

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 誰もがたしかにこういうことになるケースは、よくあります。つまり、本当に望んでいるのは良好な夫婦関係のはずなのに、それを望みつつ、同時に「公平な態度=私の考えるところの正義」に固執してしまうというようなことです。

自分が絶対に正しいというわけではないからといって、相手のやっていることの正しさを認めるという意味にはなりません。そのうえでできることを探す、ということです。

どうにもならないほど苦しくなったらこの2冊を読んでみてください

ふつうこういうタイトルには、「たった1冊」をおすすめするものですが、2冊です。

次の2冊です。

 

いじめの解決 教室に広場を

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【★購入特典付き★】グッドバイブス  ご機嫌な仕事

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 下の方の倉園佳三さんの本は、私が最近何度もおすすめしているからおなじみでしょう。

上の方は、『理解の遅れの本質』などで話題にしている村瀬学さんの本です。

「自分はいじめられているわけじゃない」と大人の人なら思うかもしれませんが、ご自分のお子さんがいじめられているとしたら、どうでしょう?

私は、職場で行き場のない気持ちを抱えている人も、家庭でどうにもならないほど苦しい気持ちでいる人も、学校がストレスでどうしようもない人も、それなのにそのどこからも撤退できずにいる人も、酷似した残酷な苦しみの中にいると思えます。

これを読んでいるのが幼児でないことを前提にして書くのですが、それは「自分は間違っていないのに・・・」という苦しみです。

ここには非常に、こんがらがった苦しみがあります。

絶対に納得がいかないことを承知の上で引用しますと、次の通りなのです。

おもしろいことに、あなたが絶対に正しければ、現在の悩みが消え去ることはありません。

goodvibes.work

本当に苦しんでいるのでなければ、この言葉の意味を深く考える必要はありません。しかし本当に苦しいと思うときには、この言葉の意味をよくよく考えてみてください。

学校で理不尽ないじめに遭っている子は、決して「その子が間違っている」のではありません。しかし、「僕は間違ってないのに」と思っても、苦しみがなくなるわけではないのです。「正しい」ことは問題をまったく解決してくれないことがあります。

私たちは、自分が「本当のことを何も知らない」という、倉園さんが繰り返し言っていることを、真剣に検討することはまずありません。自分が何もかもを正しく知っているわけではないと謙虚に言うことはよくやりますが、自分の信じていることをそれでも疑わないものなのです。

しかし、本当に苦しんでいるならば、自分の正しさをこそ疑わざるを得なくなります。それは自分に加害している人が「正しい」というのではなくて、「現実とはどうしようもないものだ」という見解の「正しさ」を疑うということです。

理不尽な目に遭っていることが、理不尽だというのは、いかにも「現実はどうしようもないものだし、私はまったく事実を正しく把握している」ということにしかなりえないので、その苦しみから逃れるためには、これが疑わしいものであるに越したことはないのです。

村瀬学さんの本には、おそらくたいていの人にとってじつに意外なことが書かれています。その「意外性」とは、「現実とはどうしようもないものではないのかもしれない」という驚くべき発見のことです。

「あなた」って誰のこと?

アメリカ留学中の体験なのですが、ある自閉症の同級生がしばしば

you = 自分のこと

I = 話しているときには佐々木のこと

を意味しているようで、私は非常に非常に非常に混乱しました。

指導教官によると、様々なヴァリエーションがあるものの、こういうことはあるという話で、なぜなら私たちは会話中、たとえば佐々木と大橋さんの会話であれば

佐々木が「あなたは・・・」

といったなら、大橋さんのことを「あなた」と言ったことになるわけですから、大橋さんが「あなた=大橋!」と判断しても、おかしくはない、ということになるわけです。

そして

佐々木が「私は・・・」

と言うのですから、相手にしてみれば「私=佐々木!」と判断しても、おかしくはないということに!

対人関係の難しさという話を先日書いたばかりですが、いかに人間同士の会話によるやりとりにいろんな難しさがあるか、よく教えられる話でした。

 

nokiba.hatenablog.jp

 しかもです。

私は英語がやっとできるかどうかというレベルでしたから、「I」と「You」を相手が逆さまに使い出したら、猛烈に混乱してしまうわけです。そして自閉症であろうと相手はアメリカ人!アメリカ人の使う英語は絶対に正しい!ような気がする!

相手の言葉をオウム返しにするとか、同じ手順に無意味にこだわるとか、いつも不安そうなのにスマイルばっかりとか、言われたことを即座に忘れるとか、言葉が不自由な国に行ったらよくわかります。

私なんかの言動は、今思うと自閉症の方の特徴とされていたことに、アメリカ留学時代には、かなりよく当てはまっていたのです。

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「書くための名前のない技術」が公開されました

この無駄っぽい二回転のスピードを上げれば速く書けるんです。そこでいろいろ悩まなきゃいいんです

 

書くための名前のない技術 case 1  佐々木正悟さん

書くための名前のない技術 case 1  佐々木正悟さん

 

 

作者とありますが、本書の作者は私ではなくて、Tak.さんです。

私はインタビューを受けただけ。

本書を一読して、けっきょくいちばん言えそうなことが、上記引用です。

無駄や二度手間を少しも惜しまないというメンタリティがあれば、本は必ず書き上がります。

何かストイックなことをいっているようですが、そんなことはありません。二度手間というのは、そんなにたいしたものではありません。

書き直せばいいだけです。書き直すのには絶対2倍の時間はかかりません。

3回書き直すとしても3倍の時間はかかりません。同じテーマの周辺でものを書くのであれば、徐々に速くなります。

無駄というのも、こと、本を書くのであれば、そう悪いことではありません。無駄に考えすぎても、文章としての痕跡があれば、いろいろと役に立ちます。

売文できなくても、日常生活で役に立つことだってありえます。

ストイシズムは、私の考えでは、いいことではありません。思いとかモチベーションとか気持ちより、大切なのは書くことです。

書けば書かれるのです。

焦りに焦っているときに聞こえる声

患者さんと接しはじめた頃、私がふしぎでならなかったのは、幻覚や妄想の内容 でした。

統合失調症の人には幻覚のうちでも幻聴がとても多いのですが、それはほとんどが自分を非難する声や責める声、脅かす声、自分を苦しめる声なのです。

 

 

「こころ」の本質とは何か (ちくま新書)

「こころ」の本質とは何か (ちくま新書)

 

 私はこの本はもっと読まれるべきだと、最近よく思います。

こういう本を多くの人が「一般教養」のようにしておいてくださっていたら、ゲーム脳とか「危険な子供」といった適当かつイメージ先行の言説に、惑わされる人は減っていくと思うのです。

冒頭の引用は、脳内から他の人には聞こえない声が聞こえてしまう症例について述べられています。

それはそれとして、なぜその「声」は自分を非難する声であるか。もっと都合良く、自分を褒め称える声にならないのはなぜなのか。

私もそんなことを思ったのですが、それが「地続き」を無視した発想というものなのです。「正気」と「狂気」というのはちゃんとつながっている。どこからどこまでが、と簡単に線引きできるようなものではないのです。

私たちは誰でも焦りに焦っているときというのがあります。たとえばもう過去のことですが、中間テスト前夜などに、大いに焦っているときがありました。

うちの親はそういうとき妙に非協力的でした。あとになっていろいろ人の成績に難癖をつけるのだから、テスト前くらいもっと協力しろよ!と思ったりするわけです。

これが「被害妄想」であることはすぐわかるでしょう。私は焦っていたから親の態度が「非協力的」ややもすれば「妨害的」と感じられたわけです。

つまり、「声」が非難がましいのは、声を聞く人にいらだちや焦りがあるからです。いらだちや焦りがきわめて極端なレベルに達したときにはたとえ声なんかなくても「病気」になっていきます。声が苛立ちを生むわけではない。逆に苛立ちが声を生んでいる。だから声の内容はネガティブになるに決まっているわけです。

あくまでもたとえですが、自分の将来や人生について、ものすごく希望に燃えている女性がいるとします。未来は大いに開けている。間違いなく自分は一角の人物になれる。これは誇大妄想でも何でもない!

そういう超優秀な人物が、運悪く事故に遭ってしまった! そんなことがあっていいものだろうか? この事故はもしかして自分に誰かが悪意を持っていて・・・そういえば・・・。

こんな時、この女性が「自分に都合のいい賞賛する声」を幻聴であっても聞くはずはないでしょう。思考は、たとえ乱れていても乱れているなりに合理的に働くわけです。

一般の人の思考は、心理状態に余裕があれば、もっとしっかりと働きはします。でも、正気であればあるなりに、乱れているところもあるでしょう。

「依存が難しい」という精神の難しさ

大人になる、自立するっていうことは、人様に迷惑を掛けずに生きていけるようになれることだということを我々は折に触れすり込まれて来ています。

私自身も、以前はそういう風に考えていて、人に頼るとか迷惑かけて生きるなんて恥ずかしいし、だらしない。そういう考え方が頭の中にありました。

特に、私の場合は家庭環境が良くなかったため、とにかく家を出て自立したいという意識が強くあったのも大きいです。

monhaco.com

この一節にはひどくいろんなことがぐぐっと詰め込まれていて、心理学というのは、よく研究されているものだと、こういう一節を目にしたときに痛感します。

「問題を抱えている子は、自立心が並外れて強かったりする」とは、知人の福祉関係者などに、折に触れて教えていただくことです。

実際に水に入って泳がなければ、泳ぎというものは決して上手にならないように、対人関係能力というのは、人と関わることでしか、習熟されません。

人間関係がうまくいかないというのは、水に入る機会が少なかったから、泳げるようになってない、というようなものです。

 人に依存するというのは、対人関係における、第一歩です。生後まもなく、ゼロ歳児からまず学ばなければならないのは「周囲の大人に依存する技法」です。

依存というのは、対人関係です。他人がいなければ、他人に依存することは、不可能です。

「私の場合は家庭環境が良くなかったため、とにかく家を出て自立したいという意識が強くあった」というのは、なるほどと思うのです。

程度問題ではありますが、家庭環境が非常に極端に厳しく、幼児のうちから「自立を急ぐ」必要があったなら、その子は決して他人に依存したり、頼ったり、うまく利用したり、取り入ったり、甘えたり時には反抗するといった「技術」についてあまり学ぶことはないでしょう。

反対に、親とは限らず、対人関係について、十分に学習する機会に多々恵まれた人であれば、相手が迷惑がらないレベルで依存するとか、周囲に見苦しく思われないように取り入るといったことすらも、やりこなしていけるレベルに達するはずです。

いくつになっても三角関数を学ぶことはできるように、いくつになっても対人関係能力を育むことはできるはずですが、三角関数なら一人でひっそり勉強できても、対人関係はそうはいかない。

依存の仕方などはたしかに、幼ければ幼いほど学びやすい環境にあっただろうとは、言えそうです。

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『感じない男』は納得いかない本だけどとてもおもしろかった

 

感じない男 (ちくま新書)

感じない男 (ちくま新書)

 

 ちょっと前に読んだ本なのですが、じつにおもしろかった。

その理由も本の中に書いてある。とにかく徹底的に赤裸々だからだ。男性の性について、自分自身を題材に、ここまで執拗に分析している本は珍しい。

読んでいてなんとも言えず納得できるところと、なんとも言えず納得のいかないところがある。題材がとことん著者自身のため、やむを得ない。ここまで開けっぴろげにしてもらったことを素直に感謝したい。

本書にはいくつかポイントがあるが、最大のポイントについて、私は実はいちばん納得ができていない。「男は感じない」という点だ。すべての男がと、著者は決して言ってないので、そこをつくのはどうかとも思うが、私は著者の言う「男の不感症」についての言説は、やはり納得できない。

いわゆる「賢者モード」について、著者は「墜落」という表現をとる。たしかにそういうふうにも思えるけれど、著者の表現がいささか大げさであるか、あるいはやはり私よりも「重度」なのか、そこのところがわからないのだ。私はそこまで「墜落」を深刻に感じない。

むしろ男性の性欲には「極端な緊張感」としか言いようのないところがあるように思う。それがいわゆる「男性優位主義」と絡み合って、どこかがいびつになってしまいがちなのだ。

そもそも生体にしてみれば、男のマスターベーションは、あまりに不毛で割に合わない行為だ。一日中自分で遊びすぎてゲッソリ😱ほおまでこけるのは、漫画的表現でしかないけれど、「ぐったり」するくらいはあり得る。それは「墜落」と言うより体力を急に使いすぎるのでそういうことになってしまう。

その「急な使い方」に先に述べた「極端な緊張感」が要求される気がする。脳にしてみれば、大局的に計算したら、男の自慰は計算に合わない。無駄すぎる。だからやめてもらいたい。でもそれではそもそも性欲が成り立たなくなる。だから視野狭窄が必要である。

急激に昂ぶらせ、事を一気に運んでしまう。(途中でよくよく考え始めたら、マドレーヌとコーヒーに走ってしまうだろう)。

男とは言え脳の他の部分は、この性急な展開にとてもついて行けない。しかし脳はつじつま合わせが得意と言うより仕事であるから、無理してでもつじつまを合わせようとする。ここにゆがみが入るのだと思う。文化に男性優位主義があるのなら、そういうモノも援用されるはずだ。

私はタスクシューターなので、自慰の時間ももちろん計っているし、その内容も少なくとも3分割に分析している。展開はいかにも急である。その性急さが、『感じない男』ではかなり軽く扱われていると思う。

「感じない」のではなく感じてはいるのだけど、それを実感するには時間的余裕が足りなすぎるのである。ジェットコースーターでなにを感じても、名状しがたさがいくらか残る。

だから私は、こと自慰について、男の支配欲という説明では、あまりに説得力が足りないと思う。「支配」とは、少なくとも意味のあるモノであるならば、一定期間の長さが必要だ。

あんな、長くて10数分、短いときには数秒間の「支配」では、支配の意味がない。私はそもそも、人を支配するということに、ほとんど興味がわかない。「無意識の支配欲だ」などと言う人もあるけれど、無意識だとしてももっと別の欲求が予感される。

その辺の疑問について、「決定版」を読んで検討してみたい。

 

決定版 感じない男 (ちくま文庫)

決定版 感じない男 (ちくま文庫)

 

 

ザナドゥ:FM-77AV

ja.wikipedia.org

はまりました。これははまりました。何であそこまではまったか、よくわからないはまり具合でした。

たぶん、これは自分にとって、「本当の冒険」に一番近いものだったからでしょう。

RPGというものを知らなかったのです。これをプレイする以前には。

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だから、自分がそもそも何をしなければいけないのか、なにをするとどうなるのか、知らないままゲームをプレイしていたのです。

でも冒険というのはそもそもそういうものでしょう。リアルであるならば。

私はリアルで冒険できるような性分ではないし、喧嘩が強いわけでも何でもない。だからザナドゥでも存在しなければ、一生冒険なんかしそうにはないのです。

それでもある意味、留学の最初の2週間くらいは、「冒険」でした。そういう意味で、私のザナドゥのおっかなびっくりのプレイぶりは、留学初動時と似ていたかもしれません。

ザナドゥについてはいくつか記事を書いていました。

 

nokiba.hatenablog.jp

 

 

nokiba.hatenablog.jp