佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟の公式ブログです。なるべくならお役立ち情報を出していきたいと思っています。

計れるものをまず計る。すると新しい発見がある

タスクシュートは、要するにタスクにかかる時間を計ります。

他にも様々あるのですが、とりあえずまずはこれをやります。くまなくやります。爪切りにかかる時間も、原稿書きにかかる時間も、分け隔てなく(分け隔てしないことが大事です)計るのです。

もしも私がセミナーでこの話しかしなければ

「それはわかった!で、他には?」

ということになるでしょう。企業研修などでやったら、間違いなくそういう冷ややかな空気が流れるでしょう。

たとえば「時間を計るのです」ということを言えば「でも仕事の質は?」という反論というか、「さらなるお求め」が発生します。

でも質は計れません。少なくとも時間を計る方がずっと容易です。

そして時間を計ることで、計らない人にはわからない感覚が得られます。たとえばセミナー中、誰がどう思っていても、このペースで残りのスライド数なら「何分オーバーするか」がわかったりします。

そしてイベント中ので何時何分ごろに「巻かなければならない」(質を落とす必要がある)かもわかるようになります。

いろんな事をいっせいに求めると、何にもしないことになるというのはよくあることです。

「まつりのあと」には注意する

毎週、ラジオの生番組を担当していて大事だと思うようになったのは気持ちのクールダウンだ。

番組がいかに満足のいく内容であろうとも、リスナーからのいい反響がどれほどあろうとも、集中力が切れたときには一種の不快感を味わうのである。

(中略)

このとき、してはいけないことがある。それは評価だ。

気持ちのバランスが崩れているのだから、自分の内側に対しても外側に対してもまっとうな評価はできない。・・・人間について考えれば、際限なく自他を責めてしまうことになるからだ。

 

絲的ココロエ―――「気の持ちよう」では治せない

絲的ココロエ―――「気の持ちよう」では治せない

 

 

 

これは私には、とても大事な指摘だという気がします。

私はこのようにはなりませんが、それでも多大なエネルギーを要して一仕事を終えた直後は、一切の評価を停止するようにいつしかしていました。

たとえば企業研修の直後などです。

あれはまさに「まつりのあと」という表現がふさわしく、感覚が落ち着きません。あらゆる意味で神経の高ぶりをマックスに近づけてしまった後なので、反動が来るのでしょう。

私は気がついたことをとりあえず書き留める癖はあるのでそうしますが、批評はしません。「自分の内側に対しても外側に対してもまっとうな評価はできない」ときに評価をするということ自体が不適切なのです。

「時が来てもやる気がしない」のは当たり前

タスクシュートの伝播などを仕事としていると、「佐々木は当然、そのタスクをやるときが来ればやる気になるんだろう」などとおっしゃる人がいて、とても驚きます。

そんなことはありません。

この世のものは、すべてグラデーションです。行動も同じです。食事から食休み。その間に絶対明瞭な区切り線などありません。あったらとてもおかしいでしょう。

「たすくま」の画面をご覧いただくとわかるとおり、実は「線」はとても薄くなっています。本当に薄い。でも線が引いてはあります。時空間のどこにもそんな線などあり得ない。これは「方便」なのです。

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線がないところに線を引く。それは強引なやり方です。その線のところで急に行動を切り替えようとしても心がついてこないことは多い。これも当然です。

だから行動パターンを把握するのです。それもごく自然な自分の行動パターンを。そのためには正直なログを残す必要があるのです。

ごく自然な行動パターンにとって、「逆算」は邪魔なものです。計画も不要です。それがない中で取る自然な行動パターンの中で、できるだけのことを積み上げていけばいいわけです。

PC代わりにiPadを使いこなすWebマンガ家の「iPad活用術」レポ

昨日開催でした。

リアルにご参加いただいた方、遠隔からご参加いただいた方も、大変ありがとうございました!

nokiba.doorkeeper.jp

まず会場でパッと驚いたことが、私以外参加者全員12.9インチiPadを持って参加。

Appleストアでもないと、なかなかこんなことにはなりません。

12.9インチは重く、そして大きい。

しかしスプリットビューは、これは果てしなく便利そうでした。

つくづく私が考え込んでしまったのは「キーボード重視」はいまやネックになりかけているということ。

文章の価値というものは根源的にあると思います。しかし仕事としてみたとき、1文字あたりの値段は下落の一途をたどる一方、キーボードの重量は、軽量化の一途をたどってはいない。

イラストを描く上で、iPadは間違いなく最高の仕事ツールになっている。もっと軽く仕事ができそうなキーボード派は、何を選択したらいいのでしょうか。

音声入力か。

 

何かに依存しているということは

――夜の世界を「華やかだけど、ゴミみたい」、昼の世界を「クソつまらない世界」と表現しています。常に昼と夜の世界を行ったり来たりする生活を続けていますよね。なぜ、両方が必要なんだと思います?

鈴木:それはやっぱり、健康体でいると、自分に傷をつけたりすることに対して、憧れができるというか、昼間の生活では、かなりしっかりした努力をして、ジワジワくる幸せを幸福と感じなくちゃいけない。でも、本を読むとか、映画を見るとか、小さな楽しみで退屈さを埋めようとしたところで、結局のところ、日々の積み重ねって地味なもので、楽しくない

ddnavi.com

 最後の太字のところが、かなり印象的でした。

何事も、「否定形では定義にならない」ものです。

独立とは、依存しないこと。依存とは、独立していないこと。

これでは定義になっていません。

『絲的ココロエ』に「他人に依存しないように過剰に気をつける独立心の強さは、何かへの依存症を悪化させる」という趣旨の話があって、強く共感しました。

依存というのは、多分にプロセスです。何かしらの嗜好品とか快感にと言うよりも、その行為全体のプロセスに依存します。一日中たばこのことばかりを考えて過ごすというのは、たとえたばこを吸う本数が日に一本であったとしても、何か依存的な心理状態を思わせます。

そして「たばこを生活の中心にそえる」事は、同時に「たばこを吸わない人生のつまらなさ」を際立たせる結果になります。

昼の世界を「クソつまらない世界」と感じるという感覚そのものが、すでに何かを予感させます。誰もがそう感じている。当然ではないか、と。

たばこについても同じ事を感じる人はいて、たばこのない世界を「クソつまらない世界」と感じるでしょう。でもそれは、たばこを吸ったことのない人には決して理解できない世界観です。

 

「絲的ココロエ」はすばらしくいい本でした

 

絲的ココロエ―――「気の持ちよう」では治せない

絲的ココロエ―――「気の持ちよう」では治せない

 

 「いとてきこころえ」と読むようです。糸を二つ書いてもやっぱりイトと読むのですね。

この本は、珍しく「躁」についてある程度詳しく書かれていて、しかも「躁について書かれている本が少ない」という指摘までされている、「そううつ」の本です。

うつとは異なり、躁についての情報は不足している。

この一文だけでも、買う価値あり、と言えると思います。

「躁」だけではないのですが、「躁」について当事者が書いたものは傾向として、「破天荒なエピソードを読者サービスのように書いたもの」が多いのです。

あり得ないほどアルコールを飲みながら、向精神薬をツマミ代わりにして、あちこちの女性のもとを渡り歩いて過ごした、波瀾万丈の・・・といったやつですね。

これが有名人エピソードだったりすると「へええええ!そうなんだあああ!」という面白さで読み進めていけるのですが、申し訳ないけれど、途中から飽きてしまいます。

絲山さんの本は、そこのところの抑制が驚くほど効いていて、正直に言うと、躁病者ではないと感じられるくらいです。

躁で小説は書けません

この一文でも、やっぱり買うに値します。躁ですよねやっぱり!とは思いましたが、私はそれでもやっぱりいちおう心理学の大学を出たからで、この辺の誤解は広がっていると思います。

個人差があるから難しいのですが、「躁」はある意味ではうつのつらさや苦しさや不快さを保ったまま、ただ行動的になるだけというケースがあります。知らないとびっくりしてしまいますが、抑えがたい怒りに当人が振り回されているケースもあります。

私は留学中、すごい厳ついアメリカ人教官に、いきなりメチャクチャ怒られて、半泣きになったことがあったのですが、あとで指導教官の人に「ショウゴごめんね。あの人は躁鬱なんで、ほんのときどきああなるので許容してやってください」といわれたことがありました。

この言われ方だけでは誤解を招くし、現に私は事態がよくつかめず、「何の病気にしたってあれはないだろう」と憤慨したものです。しかしやっぱり当人にとってはとても大変なのです。(ということを後からだんだん理解しました)。

こういうことは、当事者の発信がないと一般にはわかりにくいのです。そういう意味ではこの本は貴重です。

オンラインサロン「グッドバイブスファクトリー」について

じつに気の利いた非難というものがときどきツイッターに飛び交い、私もときどき爆死します。

存外心理的ダメージを大きく食らうことがあるのです。

そんなとき、誰かに相談でもすればいいのかもしれませんが

「気にすることないよ」「自分がぶれないようにすれば」「うん、わかる」などという言葉を聞きたいでしょうか? これではまるで二次被害。

しかしだからといって、心療内科に通うというのは、この段階ではさすがに大げさすぎる。腹痛になるたびにお医者に行く、というのは、自分のパターンにはありません。

解決能力に強い疑問符がつく人に話す気はとてもしないほど深刻だが、心療内科に行くほどではない。

世にはこの間に位置するレベルの悩みが圧倒的に多いと思います。

私もそのレベルの悩みを多大に抱えていました。

具体的には、なぜか去年たちまちひどくなった心身症(年のせいだと思いますが)や、家庭内不和。そしてじわじわ締め付けてくれる経済的困窮。

このすべてが「グッドバイブス」を読んで以来、あらかた片付いたのです。

心身症は、これは治りました。

家庭内不和は、これもなくなりました。

経済困窮だけは、ほぼ同じ状態ながら、これをストレスに感じることはなくなりました。

経済困窮について追記しますと、厳密には収入はほとんど増えていません。むしろ減っています。

しかし、上記二つのストレスから解放されたことがとても重大で、これによってストレスから来る支出が激減しました。

細かくいえば、性欲を処理するための支出と、食欲を満たすためのそれなりの支出と、温泉などに出かけていた支出です。他に書籍代が微減しています。

また、大きなストレスから解放されたことで、仕事を進める速度自体が増したため、今後の収益見込みには若干期待が持てます。仕事の単価は上がってないけれど、仕事自体の数を増やせているからです。

私はタスクシュート以来、時間管理の問題に頭を悩ませなくなりました。つまり、抱えた仕事は十分余裕を持って終わらせることができます。

しかし、タスクシュートで心身症は治らないし、家庭内不和もどうにもならないのです。もともとそういうものではないからです。

つまり私にはどうしてもグッドバイブスが必要だったわけです。そしてそういう人が私以外にも、それなりにいらっしゃるとしか思えません。

他にもいい方法があるのかもしれませんが、私が思いついたのが倉園さんに直接、抱えている問題についての考え方、判断の仕方を、教えてもらうことでした。

本を読めばどうにかなるところはいいのですが、個別具体的なトラブルにはどうしても、直接の応用方法を聞くしかないところがあると思うのです。

このサロンの大きな意味は、「聞いた後も必要とあればそこに居る」という関係性にあると、いまでは思っています。(最初に開始したとき、このことは念頭にありませんでした)。

「ちょっと解決できそうにない悩みでも、実は解決しうる」という経験は、大きな財産になります。当事者が後からだから言えることではありますが、たとえば一時的な心身症などだと「悩みの解決自体は、それほど大事でもない」のです。

たぶん、適切な薬を塗って、時間が経てば、だいたいの場合には治ったでしょう。

しかし、ある混乱にさなかに迷い込んだ自分をそこから引き離して、袋小路から抜け出せば(それが先)、病気と言えどもそれを自力で治しうるという経験は、トラブルが不可抗力などではないことを思い知る、いいきっかけになるのです。

それを自分で何度か体験するための、体験の場がこのファクトリーです。

 

www.goodvibes-factory.online

「もっと早く読んでおけば良かった本」というものはないはず

本に限った話ではありませんが、要するにこの発想は私たち現代人に、お決まりのそれこそちょっと「損くさい」発想だと思うのです。

私たちはなぜか経験というものを「蓄積」だと思いたがります。「財産」という言い方もします。比喩に過ぎないのですが、どこか本当にそうだと思おうとしている。

1年前なら一年間。10年前なら10年間。良い本を読んだ後の自分として生きられた時間が長かったはず、というのも、悪い感じではありません。

でもこの種の発想は私たちを苦しめるとまではいわないまでも、息苦しくさせます。「良い経験」を多くするためには、より多くの時間とお金が必要になるので、貧富の差というものがしみるのです。

それにどんな金持ちでも時間軸の最後は「死」なので、時間軸だけで考えれば考えるほど、人生には影が濃くなる気がします。

なにより時間が一直線に進むばかりで横の広がりがない。つまり現在がないのです。

「もっと早く読んでおけば良かった」という時、「いまそれを読み終わった意味」がどこにもありません。

いまさっき素晴らしい本を読み終えたばかりというのであれば、それをすぐに周囲の現実に活用できるタネが、いくらかありそうなものなのに、何より急いで「もっと早く読んでおけば良かった」などと、後悔のネタにしなくてもいいと思います。

 

計画のコツは先送りにある

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先送りといえば罪悪感。というくらいのものですが、しかし計画を立てるというのは、実際には先送りとほとんど同じ事です。

いますぐその場で全部はやれないから計画を立てる。

計画を立てるということは例外なく、やったほうがいいことを後でやるということのはずです。

計画を立てるのは良いことだとされていますが、先送りは良くないこととなっている。

どうしてそうなっているのかについて深刻に考えてみれば、先送りの問題に光が当たります。

『マニャーナの法則』という本のいっていることの趣旨は、まさに本にも書かれているとおり

「明日できることは、今日やるな」

なのですが、ここに先送り=計画という仕事のコツが明瞭に記されているのです。

次に「先送りしそう」になったとき、この先送りについての計画を立てる必要があるということを思い出しましょう。

ただなんとなく「後」に送るのは良くないと思います。それでは計画にならず、後で同じ問題に遭遇したとき、ただなんとなく罪悪感にさいなまれてモチベーションが落ちるだけです。

ではなくて、いますぐやれないことをすべてについて、次にやることにしましょう。次がいつであるにせよ、〆切前には遭遇するようにします。

そして、いまやれることだけを取り出して、今やることです。いまやれることはほとんどないはずです。先送りというのは、いまやれることがほとんどないにもかかわらず、心の中ではいますぐ全部やろうとして、失敗することを指すのです。

記録をつけて読むだけで次にすべきことが見える

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suten.info

できればこの記事をみてみてください。

200日以上にわたる、記録の力強さが伝わってきます。

記録にそこまでこだわらなくても、という言葉を聞く度に、これを私は思い出します。

これを逆算できるでしょうか?

ダイエットやジョギングの計画を逆算して、目標へ向かうのが良いという話を聞くたびに、やはり私はこの記録のことを思い出します。

予測できないことばかり。しかし計画はほとんど予測そのものです。

ひるがえって、記録には事実しかありません。

最終的にうまくいくと信じられれば、「そこまでの努力」は不要になる

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表題のようなことを、私はいつもうまく伝えられずにもどかしい思いをしているのですが。

私も、セミナーやパーソナルセッションでくじけそうになったときは、いつもこれを実践しています。

「これはまだ途中だ。この山を乗り越えれば絶対に伝わる。自分と相手を信じてそのまま続けろ!」

そう自分に言い聞かせて前に進みます。ただし、熱くなってはダメです。力を抜いて、自分の声に集中しながら、淡々と柔らかく会話を続けてください。

goodvibes.work

 これはじつに逆説的な感じなのです。

つい私たちは、うまくいきそうにないから、そこを乗り越えるべく、努力する。

そんなふうに考えがちです。でもこの感覚だと、私の経験ではたいていうまくいきません。

そうではなく、うまくいくに決まっているから、そう頑張らなくても努力ができる、ものです。

それっておかしいのではないかと思われますでしょう。

うまくいくに決まっているなら、努力しないじゃん、と。

でも実際にはそうではないと思うわけです。

ヴァイオリンの練習を娘がやたら「やらされて」いるのですが、そうは言ってもやらされながらもなんとかやれているのは、「おそらく最後はうまくいくだろう」とどこかで根拠なく信じているからに思うのです。

私がタスクシュートで時間管理をしていられるのも、「最後はこれでうまくいく」と思っているからです。

これだって「最後はうまくいくなら、締め切りにも間に合うとわかっているなら、タスクシュートなんて面倒なだけじゃん」と、つまりしなくても良いだろうに、と思われると思うのです。

でも、現実には、タスクシュートを見ることで、最後はうまくいくという確信を先取りできるので、だから努力という感覚から、無理なくやれるという感覚へと移ることができているのです。

ハトがピンポンをするように私たちは習慣を学ぶ

www.youtube.com

これは具体的で面白い映像だと思います。

ただこれはピンポンというよりはアイスホッケーにも見えますが。

なんにせよ、自然のハトはアイスホッケーはしません。

これは、いわゆる「学習行動」なのです。

そして私たちの行動の大半、9割以上は、これです。

信じてなくても、実際はそうだと言っていいと思っています。

記録をとれば取るほど、そうとしか思えなくなります。

私たちはハトではありませんが、基本原理は同じです。報酬のあることをする。ただ人間は、報酬という解釈をするところがあります。

スキナーの実験の偉大なところは、これが「統計学的事実」以上だという点です。

よく心理学では「統計的には有意」というのをもって、「証明」としたがるのです。

70%もの人々が「フットインザドアに引っかかる」から(たとえ3割の人が引っかからなくても)、これには心理的効果がある、という具合にです。

でもスキナーのハトは、ほとんど全部がピンポンをするのです。統計的に有意、ではないのです。それ以上なのです。

したいことがあるならば、ひたすら隙間時間をつぎ込む

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我が家でいま、いちばん本を読むのはもうすぐ10歳になるうちの娘です。

私は親バカではあり、かつバカ親でもありますが、読書時間の長さについては、掛け値なしにそう言えます。なぜなら私と妻は、そもそもあまり本を読まないからです。

しかも娘は私よりも忙しい。これも私が親バカらからではなく事実そうです。なぜなら学校へ行っているからです。

どうしてこれでこんなに本が読めるのだろうと不思議に思って、娘の様子を観察していたのですが、非常に単純な戦略でした。

少しでも空いた時間があれば、どんなにわずかな時間であっても、すかさず欠かさず本を読む

からなのです。

異常だとしか思えないのが、学校へ出かけるごくわずかな、実質10秒であっても、推理小説の続きなどを読もうとするところ。

妻に激怒されます。それもほぼ毎日。しかし、他のことについては怒られればすぐ止めるのですが、これについては一向に改めない。謝るけれど、止めはしない。

学校へ行っても、いろいろと妨害はあるようなのですが、それでもトコトン本を読むようなのです。娘の戦略はもう一つあって「理由をとにかくくっつける」のです。

今日は暑いから、外に出るより本を読むほうがいいでしょう。(今日は暑かったですたしかに)。

今日は雨が降っているから、本を読んでいたほうがいいでしょう。

今日は風が強いから、今日はちょっと体調が、台風が来そうだから、インフルエンザが流行っているから、もうすぐ国語のテストだから・・・

以前私は心理ハックとして「○○なので」ととっさに言われた人は、それを言われない人よりは、説得されやすいという心理実験を紹介したことがあります。

つまりそれをひんぱんに使っているわけです。

それはそれはひんぱんに。

私はこうまでして本を読みたいとは思いませんが、これをすれば何でもけっこう進むにちがいないとは思っています。

私のアトピー療法

nlab.itmedia.co.jp

ちょっと前にまとめていただいたインタビュー記事なのですが、ときどきこれを読み返します。

要は、いまで言う「糖質制限」でアトピーの治療としているというわけです。

なぜこれでこれほど良くなったか、私にはわかっていません。ただ、糖質制限をしていると、私の場合にはステロイドの効き方が違うのです。てきめんに効くようになりました。

その流れで、今度、ダイエットのセミナーをします。とは言え私はダイエットをしているつもりはないので、ゲストの方にお話しいただきます。

ブログタイトルからして私とまったく違うタイプの方ですが(笑)何か変化を起こさないといけないと思って、新しい習慣を定着させたというところが共通項です。

seina7.com

 

先日はポッドキャストでお話も伺いました。よろしければどうぞ。

anchor.fm

 

セミナーはこちらです。

nokiba.doorkeeper.jp

「わかるわかる」をやめる

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別の言い方をするならば、以心伝心を止めてみるということです。

これをするだけでも、毎日がかなりの程度、楽になります。

ただこれをするには最低限度の前提として

「以心伝心はない」

ということを受け入れる必要があります。

これがけっこう、自分にも誰にも受け入れられないのです。

先日、おそらくは幼稚園児向けのソングにすでに「以心伝心礼賛」が歌われていて、そうか!と思いました。

少なくともうちの娘もその友達も大喜びで聞いていたような作品だったから、そうなのでしょう。

以心伝心は素晴らしいのです!その曲の中ではテレパシーと言われていましたが。テレパシーは以心伝心以上です。

6歳児がテレパシーを礼賛するのでは、これはもう社会いっぱんが以心伝心万歳になるのは無理もないことです。

私はものすごくよく感じるのです。すごくうなずくのが早い人が居るのです。相づちを打つのが早い方が。私がまだしゃべってないうちからもう相づちが打たれている(笑)!

まさにテレパシー!

しかし困ったことに、私の話はひんぱんに「小難しい!わかりにくい!」と言われるのです。テレパシーなのに!

私は自分のことも思って猛反省し、とにかくわかりやすかろうとくどかろうと、説明して説明して説明しまくってやる!テレパシーはない!以心伝心もない!言葉に言葉に言葉!

そしたらだいぶ楽になりました。皆さんもぜひやってみてください。やりにくいと思ったらせめて「まだ何も伝わってない!どんなに相づちが打たれていても!」ということを思い出してみてください。