佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟の公式ブログです。なるべくならお役立ち情報を出していきたいと思っています。

やる気が出ないとき

 

やる気が出ないときは、本気になってやる。

これが倉園佳三さんのグッドバイブス的な「方法」のひとつになるのだと思うのですが、「本気」にはしばしば、湯のような汗をかく、という印象がつきまといます。

 

【★購入特典付き★】グッドバイブス  ご機嫌な仕事

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でも私はいま本気になってブログを書いているつもりですが

  • 息を切らしていない
  • 汗もかいていない
  • 心拍数すらさほど変わりはない

というわけで、全然「本気感」が他人に伝わりそうもありません。
文章の調子もこんな感じです。
それでも本気だろうか。本気なのです。

以前は、ここまで「本気」ではありませんでした。
とは言え、以前と比べても、かける時間は微増、心拍速度も微増といった程度でしょう。

何が違うかというと、ひとつには、読んで欲しいと思う度合いが違います
以前よりははるかに、読まれようとしています。

もうひとつは、終わりを意識していません。この文章を見積時間通りに切り上げようとか、オチをつけたいとは思っていません。

最後に、楽しいです。これは大きな違いです。

以前は、楽しくもないし、楽しくなくもない、といった感覚で書いていました。

本気になれば楽しいのか。
それとも楽しむようにすれば本気になれるのか。
これはニワトリ卵問題です。私には、答えられません。

ただ、やる気が出ないということは、本気になれないということだとは思います。

  • 本気になれないとき、私の経験では、本気になるのが不安だからなのです。
  • 本気になると疲れてしまう。(消耗する)。
  • 本気になると時間を使ってしまう。
  • 本気ななるとみっともない?

この辺でしょうか?

疲れは、しないのです。これには驚きました。
時間は、あまり変わりません。微増はしますね。
みっともないというのは、ときどき聞くのですが、私にはもともとあまり問題になっていません。格好良くありたいとは、まったく思わないのです。

本気になって、ことさら何かを失うことはないので、やる気を出したければ、本気になってみるのも悪くないと思います。

ただ、本気なって得られるのは、幸福感と充実感、といった程度のものとも言えます。(ここをどうとらえるかでしょう)。

本気でブログ書いたからと言ってPVが激増したりは、全然しないのです。その点で失望しないようにしましょう。

やるべきことが決められないとき

『江は流れず』

という小説を読み終わりました。

日清戦争の話です。

素晴らしく面白かったのですが、タイトルがどうも響きませんでした。

しかし読了してみると、なるほど!です。長江、揚子江といった世界に名だたるその江が、流れない。

敵国日本は日の出の勢いで、それをなんとかしなければならない中国の方では、物事が遅々として進まない。それどころか停滞して久しく止まってしまったまま、国が亡くなってしまいかねない。

日本人なのに私はこれをよんで、いかにも残念だという気持ちにも共感できました。だから評価が高いのでしょう。

 

江は流れず―小説 日清戦争 (上巻) (中公文庫)

江は流れず―小説 日清戦争 (上巻) (中公文庫)

 

この時代の「中国」は「清」です。だから日清戦争。

けれど、戦いの主体は清王朝の満州族ではなく、漢族。

ここに大きな問題があります。

3巻本の下巻では、すでに清国の敗北は決定的で、後はもうどうやって停戦講和に入るかだけが問題になっています。賠償金はどのくらい払うか。国土を削り取られるのを受け入れるのか。

という状態になると、「講和する」と言い出しただけでも、売国奴扱いされて殺されてしまいかねない。1944年頃の日本と同じ雰囲気です。

「お上のまわりには、勇ましいことばかり申す者がいる。そのような雰囲気のなかでは、ことを申すことすらできない。よほどの勇気がなければ」

 

戦争末期の日本でも「勇ましいことばかり申す者」がたくさんいたと言われています。

が、このときの中国は、もっと事情が込み入っていたのです。

主戦論の連中は、みな漢族の大臣だったのである。彼らは悲憤慷慨し、皇帝の前で慟哭して力戦を主張したという。

あくまで日本と戦う。

だが、いまの状態では、戦えば戦うほど傷が深くなる。

国はほろびる。その国とは、清王朝である。

 

悲憤慷慨し慟哭しているほどの大臣たちは、しかし内心では、いやもっと心の奥深くでは、(戦って国が滅びたって、いやいっそ滅びてもらえれば・・・)と考えていたのかもしれません。このときの「お上」には西太后という非情にして魑魅魍魎な「上司」も含まれていました。 言うまでもなく「清王朝」の人です。

真剣に国に滅びて欲しくないと願う、比較的良識があった「清王朝」の皇族(恭親王)だけが、「停戦講和」を目指していたというわけです。

ただ、どうしたらそれが可能になるのか?

 

悩みが深くなったときは、シンプルに発想するのが鉄則です。

 

「老生は政治や軍事のことなど、まったくわかりませぬ。ひとことだけ、殿下におたずねしたいのですが、この戦い、いったい、勝ち目があるのでしょうか? すこしでもいいのです、勝ち目は?」

恭親王はひと呼吸おいてから、ゆっくりと首を左右に振った。

「それなら、殿下のなさることは、きまっているではありませぬか。悩むことなど、なにもないはずです。」

 

 

 

 

 

 

タスクシュートはなぜわかりにくいのか?

 

エンジニアのための時間管理術

エンジニアのための時間管理術

  • 作者: Thomas A. Limoncelli,株式会社クイープ
  • 出版社/メーカー: オライリー・ジャパン
  • 発売日: 2006/10/19
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この本は、かなりの良書です。時間管理の本でこれ以上の本を書くのは、けっこう至難の業です。

にもかかわらず、おそらくこの本を知っている人はかなり少ない。理由は簡単で、理解するのが困難、読み通すのすらかなり困難、この本を読みたがる人はKindleが好きだろうに、この本は紙でしか出てないのです。

またこの本、引用がしにくいのです。ちょっと引用したくらいでは、本で主張したいことがまるで反映させられません。つぎの序文の第1文目を読めば、この本のわかりにくさが理解されるでしょう。

 

自分への覚書

拝啓 自分(なぜなら、ほかの誰に言うのか)

 

たしかに一部の人にウケそうです。それに実のところ、この内容には主張もあるのです。しかしこれは、通常のビジネス書にはゆるされない書き方です。

ひとつ本書の読み方を私は提案したいと思います。この本は、「タスクシュートの理解度をチェックする」ために使えるのです。

タスクシューというものは、まったくわけがわからないし、「クセが強すぎて使い物にならない」と思うなら、本書も同じようなものに見えるはずです。

逆に、タスクシュートは素晴らしいし、これなくして時間管理ができないと思えるなら、本書の内容も理解が行くはずです。

それでも本書はなお読みにくいかもしれません。それがとりもなおさず、タスクシュートのわかりにくさであるかもしれません。

デザイン変えてみました。今すぐやるべきことを見極めるマニャーナの法則

といっても、ストアでインストールしただけですが。

こちらのブログでは、今後なるべく、ちゃんとお役立ち情報を発信しよう、と心を入れ替えることにしました。

役に立つんだかなんだかよくわからない怪しげ記事は、今後は「のきばブログ」という、前にあったアトピー闘病系ブログの方に、気が向いたら書くということにします。

さっそくなのですが、しばらくは今までの自分の仕事に戻って、昔のライフハック本などを読み返すことにしてみました。

私にいろんな意味で影響を与えた本に『マニャーナの法則』があります。

この本は、じつに奇妙な印象を残したので、ある意味ではまるで自分が書いたみたい、という変な親近感がわきました。

たとえば「緊急事態を見極める」エクササイズとして、次の問答があります。

窓から煙が入ってきた。火災警報も鳴っている。

これは典型的な緊急事態です。「今すぐ」避難してください。

仕事に追われない仕事術 マニャーナの法則 完全版

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  • 作者: マーク・フォースター,青木高夫
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 ビジネス書で、これはいったい何が言いたいのでしょう?

マーク・フォースターさんは、「本当の緊急事態というのは、こういうことを言うんだ」と言っているのです。

私たちは何でもかんでも「緊急だ!重要だ!」と思っているけれど、窓から煙が入ってくることに比べれば、本当の緊急事態と言えるようなものはほとんどない。そう言いたいのです。

「今すぐ」やるべきことを本当に見極めるようにすれば、「今すぐ」やるべきことはじつに少ない。だから真に緊急なことだけを進めるようにしていけば「今すぐ」仕事が進むようになる。

これがマニャーナの法則なのです。

 

個人的な考えでは、こうした話を集中的に聞くことによって、仕事の進める基本的なやり方を一変させることも可能です。

マーク・フォースターさんに直接レクチャーしてもらうのがベストだという人もいるでしょうが、彼はイギリス人ですし、会いにいって英語で聞くのも大変でしょう。

やりたいことができないのは歯がゆいことだとも思うので、私と大橋悦夫でセミナーだとか、オンライン講座だとか、いろんなものを用意してみています。

もちろんこれはCMです。そう思って読んでいただけないと、困ります。

「タスク管理トレーニングセンター」は月額課金の、オンライン講座です。

これが向いているのは、首都圏にお住まいでない人や、様々な仕事術の動画を見るという情報の接し方が好きな人や、直に人と会ってやりとりするのが苦手というような方です。

あるいは、首都圏にお住まいで、人と会うのが好きだけど、という方でも、向いている方もいると思います。相性は微妙なものなので、直接確認していただくのがいちばんです。

 

cyblog.biz

無料のメルマガ、始めます!

厳密に言えば私自身が配信するというわけではないのですが、私も書くメルマガが、明日から平日日刊で配信されます。

コンテンツは最近私なりに努力して告知しております「グッドバイブス」へのフッターコメントです。

フリーランス駆け出しのころ、私は、シゴタノ!の大橋悦夫さんの記事に、関連する心理学や自分の知る仕事術を追記するという仕事をやりました。

それを今度は倉園佳三さんの「グッドバイブス」でやらせていただく、ということです。

お申し込みは倉園さんのブログ goodvibes.work からとなります!

このブログのバックナンバーから、グッドバイブスエバンジェリストのおひとり、佐々木正悟さんのおすすめ記事を、彼の解説とともにお届けする「グッドバイブスメールマガジン」を、10月17日より配信します。

goodvibes.work

 

自由時間は台風の目

台風19号一過、大変なことになっています。これをお読みの方はいまご無事でしょうか?

www3.nhk.or.jp

私の住む町は一時、「台風の目の中」に入りました。一瞬でとてもしずかになりました。

GTDをはじめとし、タスクシュートも「これ」を目指します。自由は、目の中にしかないのです。今朝もそんなような話をしました。

www.youtube.com

いまは義務を果たし、仕事をし、宿題を済ませてから、後で「自由」を満喫する。

そんなわけにはいきません。

私は毎日「今日」にしか行けないのです。いつでも私たちが生きているのは「今日」だし、いつでもタスクを実行するのは「今」なのです。

自由になれるのも計画を立てられるのもいちばん手元に近い時空間。つまり「現在」です。ここにしか自由というものはなくて、たとえタスクが嵐のように吹き荒れていても、やっぱり手元は台風の目のようにいつでも平穏で自由です。

タスク管理は記憶力を強化するためにある

タスクシュートだろうとGTDだろうと、タスク管理の目的というのは

記憶力の強化

にあります。

現代社会は、少なくとも人類がいまのように初めてなった時代よりは複雑であわただしいため

記憶力を強化しないと、物忘れだけでも致命的なことが起こる

恐れがあるわけです。

この恐れとほぼおさらばできるだけでもタスク管理する意義はあるのです。

が、これだけではさすがに「たいしたものじゃないな」と思われるので、そのほかのメリットも上げる必要があるでしょう。

いろいろありますが、最大のものとして、

妄想を停止させる

という機能がタスク管理にはあります。

記憶のいいところは、連想です。パンダ、パンケーキ、バター、ミルク、クルミというように、パンダがクルミにつながったりします。

これはいささか奇妙な機能ですが、こういう機能があるからこそいろんな場面で驚くような役立ち方をするのが記憶力なのです。

が、この機能はしばしば悲劇につながります。

仕事がたくさんある→こんなにたくさんの仕事をしていたらストレスだ→ストレスといえば心臓に悪いかも→でも仕事を辞めるわけにはいかない→仕事を辞めたら路頭に迷う→いま貯金いくらあった?→こんなに働いていても貯金がゼロに近い→生きている意味がないような気がしてきた・・・

何かこの種の連想には非常に「理にかなった印象を心に与える」ところがあるのですが、

仕事がたくさんある→生きている意味がない

だけ取り出してみると、パンダがクルミになるよりはまし、と言った程度のつながりしか見えてきません。

どこから間違ったかといえばそもそも

仕事がたくさんある→こんなにたくさんの仕事をしていたらストレスだ

あたりからもうちょっと怪しいのです。できれば

たくさんの仕事を書き出してみる!

というのが望ましい。書き出してみても仕事が減るわけではないし、かえって絶望しそうに思われるかもしれませんが、何もしないうちから人生そのものに絶望するよりはまだしもです。

記憶力の強化という機能の中には、記憶力による連想が、異常な妄想につながるのを防ぐということもあるのです。

グッドバイブスとタスクシュートの両立について話します

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秘かに13回目になるんですよ。

表題の「両立」にはわたしもしっくりいかないのですが、うまい表現が思い浮かばない。

「自分の時間」を大切にして、「今日の計画」に邁進しているかのようなタスクシュートと、「計画を手放す」「“自分の”を手放す」と手放してばっかりのグッドバイブスがどうして同じ人間の中で並立しうるのか、疑問に思う人も好奇心のわく人もあるかもしれません。

そういう方にぜひ来ていただければ、いちおうの説明は出来ると思います。

そうでもないという方にもぜひ1度来ていただいて、横浜中華街の「馬さんのお店」を5人以上で愉しむととても楽しいと思います。

中華街のお店はおいしければおいしいほど、1人や2人では満喫しきれないのです。ライフハック横浜の大きな醍醐味です。

気がつけば壁の花になってしまっているのです

サークルもゼミもがんばらず、適度にアルバイトをしてデートして、なにも突飛なことをせずに過ごしてしまった学生時代は、魅力的な自己PRをするための材料が明らかに不足していました。

changes.jp

しかし私は大学時代、まさにこういうことをしたくてしたくて全力を尽くしていたのについにできなかったのだよな、と思い出しました。(リンク先は有料記事となります)。

人は他人のことをうらやましがる。

このような「絵に描いたようなキャンパスライフ」を送る人になるには、私は学生時代から、どこか完全にズレていて、そのズレに必要以上に苦しんだ時代がありました。

いまはそれに苦しむことがすっかりなくなったのですが、先日、「もう少し考えねばいかんか」と思って、倉園佳三さんに「公開収録」の場でお悩み相談してみたのです。

nokiba.doorkeeper.jp

(こちらはすでに終了しました。)

「倉園さん。どうも私はイベントやパーティ会場で、「壁の花」になってしまうんですよね・・・」

それの何がいけないのか、というのが倉園さんをはじめ、その場にいた方のコンセンサスだったし、やっぱりそういうものなのだと思ったのですが、いけなくはないのですが、どうもやっぱり何か「仕事をさぼっている」気がしてしまうのですね。

思い返せば私は「一人が好き」と言うよりも、お風呂に入るのが面倒だという人の気持ちがまったく理解できないほど、「気がつけばお風呂に入っている」(しずかちゃんか?)性質であるように、「気がつけば一人になっている」人間なのです。

そしてなんと私は最近、まさに自分の娘が、私とまったく同じ性質を持っているらしいことを知り、「そっか。これに性別はなく、好き嫌いは関係なく、友達の有無も関係なく、基本的な気質としか言いようのないモノか」と納得したのです。

(娘は友達も多く、私よりずっと社交的で、気も利くし、一人が好きとは到底見えないのに、気づけば一人になっているのです)。

一人が好き、なのではなく、一人になってしまっている、のです。しかもそのことにしばらく気がつきもしないという。一人でいることに寂しさとか苦痛を覚えたことは、考えてみると一秒もありません。

ただ、自分が主催もしくは特に共催の時、ゲストではなくホストとしては、大橋悦夫さんとか倉園佳三さんとかが「頑張っている」(というのは私の勝手な憶測ですが)のに、私だけ部屋のはじで(背後に誰かに立たれるのは好かない。ゴルゴ13とは関係ない)突っ立って、ウーロン茶持ちながら(何か持ってないといけない気がして)、ツナ(好物)ののったタルト(立食パーティ定番)のようなものをかじって落ち着いているのは、自分だけ気持ちよくお湯につかっているような後ろめたさを感じるわけです。

これに加えて以前は、「自分を売り込まないフリーランスは死ぬ」というデタラメな教訓に「恐れと不安」でいっぱいだったため、名刺を配りまくっては「iPhoneはお持ちですか?」から会話を始めるという、意味のあるのないのか(ないのだ)わからんようなことをずーっと繰り返して

脳内はただひたすらに「つまんねーーーーーーー!!」。

changes.jp

最近はさすがにこういうことは止めましたが、会話を始めると、何かしら本題に入ることができずにいると、結局似たり寄ったりというか、「努力」が減ったぶん沈黙が増えるわけです。しかも自分は「沈黙」がまったく苦になってないため、相手にだけ苦痛をしいているのかもしれないという、やはり後ろめたさが。

そりゃサークルとかコミュニティーとかキャンパスライフとかができないわけです。 だいたいそもそもやりたかったのではなく「やらねばならない」という強迫観念を抱いていただけなのですから。

方向感覚に自信のない人はGoogleマップのライブビューを必ず使ったほうがいい

特に第1歩目で使うものです。

今の時代、スマホを持っていれば、致命的な形で道には迷わないはず、です。

ただ問題なのは、第一歩目なのです。不思議なくらいこれが、180度逆に向かっていることが多い。

コンパス機能を使ってすら、それが起こるのが不思議。

しかしライブビューで、目の前の風景に矢印が現れれば、さすがにその反対には行かない。

私はこのライブビューを使ってから、ついに、最初の方向から迷うということがなくなりました。これすごい。

さすがにいまでは、いったん方向性をあわせさえすれば、すなわち目的地が自分の地図の「上部」に位置するようにさえすれば、なんとかたどり着けるのです。

問題はその、自分の地図の「上部」に位置してないときなのです。

ブログとポッドキャスト

昨日書きましたが、podcastを再開しました。

radiopublic.com

数日やっていてちょっと考えたのですが、ブログとポッドキャストはよく似ています。よく似ていますが、ほとんどリアルタイムそのままで配信してしまっているポッドキャストは、ブログと違って修正がききません。

一発勝負なので緊張感が高いです。

また、気がつくと同じところに話が戻ってきたとしても、そのまま進めるほかありません。文章なら、大幅に切り貼りができるのですが。

もちろんポッドキャストはしゃべればいいので、アウトプットそのものは書くよりラクです。

ただ、たとえば声のトーンだった理がやはりそのままアウトプットなので、文章よりもコントロールに難があります。ポッドキャストは、まるで手書きの文字のようなものです。元気がないときには、声にそのまま現れてしまいます。

いまのポッドキャストはテーマがグッドバイブスなので、先の心配をせずにしゃべれるようにかなり気をつけているところです。

やってもやらなくてもいいし、何も禁止も強要もされることはない

倉園佳三さんの「グッドバイブス」のことです。

「グッドバイブス」には宗教的なところはあります。でも、宗教とは違う。

なぜなら

  • やらなければいけないこと
  • 禁止事項

などは、なにもないからです。

私もこのブログや、ポッドキャストなどで「グッドバイブス」について発信する機会が増えてきました。

 

open.spotify.com

当然ですが、「望ましい方向性」のようなものを示唆します。

たとえば「手放す」などの表現がそうなのですが、「手放したほうがいい」ような方向性があるのは否めません。でも「手放さなくてはいけない」わけではないのです。

結果として自分の心の平安を保つにはどうしたらいいのか? それを望むのなら「復讐心は手放したほうがいい」というような提案なのです。

これを無視してはいけない、ということではありません。ただ「復讐心をしっかりと満たしつつ、心の平安を得るのは難しいと、グッドバイブス的には考えられる」ということです。

いま一ヶ月の無料体験キャンペーン中です。いわゆるサブスクリプションですが、思わず一ヶ月以上経過してしまっても、本当なら退会されたかったということでしたら、返金処理にも極力対応いたします。(手数料はお戻しできませんが)。

「幽霊会員」さんの参加料で運営をまかなうという趣旨とはまったくそぐわないので、「とりあえず説明だけ聞いてもよくわからない」という方にお気軽にお試しいただけると幸いです。

 

 

 

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タスクシュートとグッドバイブスの交差点

直感的にそう見えるほど、タスクシュートとグッドバイブスに矛盾点はありません。

完全に重なるなどともちろん言いません。

しかし、非常に大事な交差点が少なくとも1つはあるのです。

タスクシュートを真面目にやっていて、それなりに「やる意義」を感じている人には、共通する悩みのようなものがあると思います。

それは、「自分の時間がない!」「いつかやりたいことがまったく実行されない!」ということです。

言い方を変えると、「あまりに膨大な時間が、自分の肉体の要求と、他人(この場合には家族を含む)からの要求に消えていく!」となるでしょう。

私のタスクシュートの記録によれば、

  1. 睡眠+食事+入浴などで13時間
  2. いわゆる「仕事」で7時間
  3. 家事や休憩を合わせると4時間

めちゃくちゃざっくり言いますとこうなって、これで24時間です。

「スキマ時間」に読書など「好きなことを」やるのです。それが精一杯です。

お金を稼いで、娘の相手もして、これで文句はないと私は思うのですが、「それではダメだ!」という意見もあって、それが私を困惑させていただのです。

倉園佳三さんの「グッドバイブス」は、ここに手当てをしてくれたのです。

どういう事かというと、2の「いわゆる仕事」と3の「家事など」を全力でやろう!というわけです。そうすれば、それらの活動から「いつかやりたいことに夢中になっている」のと同じフィードバックが得られるばかりではなく、全ての結果が好転するであろう!と。

なにやら虫のいい話のようにも思えますが、「仕事に全力を尽くす」のは悪い結果にならなそうでもあるし、家事や育児にそうするのも同様です。

また、たとえ全力を尽くしても尽くさなくても、「サムデイリスト」がいつもサムデイのままなのは私にとっては同じことですし、たとえ未来の計画をどう立てても、そのよう私が持って行けてないのは事実でした。

仕事や家事に全力を尽くしても、倉園さんが言うほど「素晴らしい人生」に導かれなかったとしても、失うものはないのです。せいぜい「全力を尽くして疲れたわりには変わらない」という程度です。そうしたら寝ればいい。「グッドバイブス」を試してみるのも悪くはない。

もうすこしいうと「全力を尽くさないことの方が素晴らしい」というロジックは当時の私の中ですら成立しなかったので、「グッドバイブスをやってみた」わけです。

素晴らしい人生に導かれたか?の件については、私はいまでは疑わなくなりつつありますが、うまく伝えるのは難しいので、保留しておきましょう。

ただいまでは、「サムデイリスト」に何の魅力も感じなくなりました。(と言うよりも捨てました。あれはもうサムデイでもなんでもない)。つまり、まさに「タスクシュート上のリスト」にこれまででいちばん「最高のリストはこれだ」ということに納得できています。

感覚としては、今までのサムデイリストが、タスクシュート上に来たのです。リストの中身は変わってないのですが。私にはこれで十分であり、これを御希望の方に実現されたいと考えているところです。

同僚や上司が「苦手なタイプ」であるなら

「グッドバイブス」の中で一番最初に決して忘れなくなった「教訓」があります。

何かおかしな事をしている人があるとすれば、その人は心に恐怖心を抱いている

これです。

 

サルは、ヘビを非常に恐れます。たぶん天敵だからでしょう。

サルは、ヘビを見つけるのが非常に速い。サルに聞かないとわからないけれど、「ヘビだ!」と「意識する」前から、もう警戒して飛び退くほどなのです。(問題はサルに意識・無意識の自覚があるかを確認できないことですが)。

この「飛び退く」は非常に奇妙です。傍目で見たことがあるのですが、奇異な行動なのです。おそらくサルに同様の恐怖心を与え続けたら、異常行動を取りまくるでしょう。

その「異常行動」こそ、私たちが恐怖心を与えられ続けたときに取ってしまう行動なのです。

誰もそんな、異常行動など取りたくはないのです。なぜなら全然気持ちよくなどないからです。

おそらく「苦手なタイプ」が自分に仕掛けてくる(と思われる)異常行動は、何かしらの「与えられ続けている恐怖心」のせいです。

断言してもいいですが、その「恐怖心」をもし取り去ることができたら、相手の「不快な」異常行動はピタリとやむでしょう。

傷つきやすい「身体」を自分の本体とみなし、四六時中「恐れや不安」を抱きながら暮らす私たちは、どのような目的で「身体」を使っているのでしょうか。

おそらくその多くは、

「自分自身や他者を攻撃すること」

であるはずです。

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私は最近よく「グッドバイブス」で言うところの「役割」というテーマについて考えるのですが、もしかすると特に現代では、目の前に現れた誰かの恐怖心を取り除くことこそ「役割」というのかもしれません。

「恐怖による異常行動」に興味があったら次のコミックを読んでみてください。

Kindleアンリミテッド対象です。

 

我が名はネロ 1 (文春デジタル漫画館)

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我が名はネロ 2 (文春デジタル漫画館)

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現実の嫌悪感を作り出しているのが自分なら、それを止めることもできる

氷に触ると冷たいと感じる.

この感じは私たちの中に生じる近位項である.

しかし私たちの認識のプロセスはそれで終わるわけではない.そこから先が大事なのだ.

その後に,「冷たい」という感覚をもたらしたモノ,つまり氷が冷たいものであるという認識が生じる.

この氷が遠位項である.

ここでは自分の感覚である近位項が,外の世界にある遠位項に投射されているのである.

 

 

倉園佳三さんが「グッドバイブス」でよく指摘している

私たちは見ようとする現実を作り出している

というののプロセスは、おおむねこんなふうに説明されています。

「氷」が冷たいというのは「掛け値のない事実」ではありません。

そうは感じない動物(シロクマとか?)だっていそうですし、そもそも氷自体が「俺って冷たい」と感じるはずがありません。

「冷たさ」は私たち中の「予測のようなもの」のところにあります。

現に、VRなどで「氷」を目の前に示されたら、きっと「冷たそう」と感じることを止めるのは無理でしょう。

こんなふうに私たちは「世界」を見ています。

ヘビが気持ち悪い。クモが恐ろしい。それはしかし、度を超さなければまあいいのです。

隣の同僚が、苦痛だ。

こういうのが私たちの「苦悩」を引き起こしてしまうわけです。

これはきっと鈴木先生の言う「プロジェクション」つまり自分の側から「投射」している結果のことなのです。

自分はそんな投射なんて考えてもいないし,やっている意識もないと多くの人が思うだろう.

そう,だから「暗黙知の次元」なのだ.

そうはいっても「同僚」を最初から色眼鏡で見ていたわけではない。あいつは「あんなこともしてきたし、こんなことも言っていたしウンタラカンタラカンタラカンタラ」というのは「事実」です。

「グッドバイブス」をはじめとして、あえて言えばあらゆる「運動」はここのところから開始します。

「私たち側からやっていることを、私たち側で止めるのなら、できそうではないか? 何かできないか? できないなら、なぜできないか?」

錯覚でわかっていることをブランド・マネージメントに活かせないだろうかとか,

神に対する愛のようにある製品に愛を感じさせられないだろうかとか,

幽霊を怖がる子供に錯覚の例を通して安心させるとか,

バーチャル・リアリティを用いたソフトを幻覚の研究から作れないだろうかとか,

いろいろな現実的な展開が考えられる