佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟の公式ブログです。なるべくならお役立ち情報を出していきたいと思っています。

タスクカフェ第100回が終わりました

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タスクカフェ第100回が終わりました

100回目で大橋悦夫さんが

タスクとアイディアを分ける

話をされました。

この中で大橋さんはアイディアを卵、タスクをひよこという比喩を使って

卵が卵のままならば扱いやすいが、ひよこになったらケアが必要になるので、アイディアは、しかるべき時が来るまで「開封しない」

という話をしました。

何もかも一度には、できないのです。

タスクカフェも、最初から100を目指していたら、100回できなかったでしょう。

一つ一つ、やれることからやって、止めなければ100回できる、かもしれないのです。

 

どうしてもやる気がわかないときにチェックするべき考え方

「絶対に、重要な課題をきちんとこなし、周りの人に認めてもらわねば。そうでないと、私は嫌われ者になってしまう!」

→このようなとき、深刻な憂鬱、不安、パニックや自己嫌悪が生じる。

 

現実は厳しい でも幸せにはなれる

現実は厳しい でも幸せにはなれる

  • 作者: アルバート・エリス(Arbert Ellis),齊藤勇
  • 出版社/メーカー: 文響社
  • 発売日: 2018/08/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 エリス博士はこの本の中で、他にも2つの「思い込み」があって、人生を暗いものにするのはだいたいこの3つの思い込みで説明できる、といいきります。

上の文章は「いろんなケースに当てはまるべく抽象化」されている上に翻訳と来ているので、なんだかしっくりこないように思えるかもしれません。でもほとんどの「やる気が出ない」をこれほど完全に説明できている文章は少ないです。

重要な課題、つまり仕事や資格試験などを「きちんとこなす」のは素晴らしいことですが、しかし、それが仮にまったくうまくいかなかったとしても、十分に真摯に取り組んだのであれば、たぶん好きな人にも大事な人にも「失敗が原因で相手にされなくなる」ということはまずありません。

これは、他人のことだと簡単に理解できるのですが、自分のことだととても理解できないという人が少なくないものです。

「周りの人に認めてもらう」のも大事ですが、「周りの人」が誰なのかは、なぜか具体的ではありません。すごく漠然としているのです。

その結果としての「深刻な憂鬱、不安、パニック」というのは大変な問題です。少なからぬ場合はうつ病を意味して、よくても適応障害であり、食欲不振、不眠、そして希死念慮となりかねないのです。

冒頭の文章に欠かせないキーワードが「絶対に」です。一見気楽に振る舞っているようでも、「なんとかなる」とつぶやいているようでも、「仕事だけが人生じゃない」と口にしていても、どこかで深刻に思い悩んでいて、「何が何でもこれだけは!」という譲れない一線があって、しかもそれがうまくいきそうにないときに「パニック」が起きるのです。

便宜上、と思われるでしょうが、ふたつの価値観を並行して意識したい。

  1. 自分の価値は絶対不変で変わらない。課題をうまくこなしてもそれ以上上げようがなく、失敗しても落ちることはない
  2. 相対的な価値は変化する。かけっこで1位になれば、2位よりは評価される。ただしこの評価は常に相対的で、分野ごとにきっちりと限定されている

これはきれい事でもなければ理想主義でもありません。むしろリアリズムだと思うのですが、どうでしょう?

仕事には真剣に取り組むべきです。かけっこと同じです。しかし仕事が完全にうまくいこうといくまいと、その評価はかけっこと同じなのです。

本質的にやる気が出なくなりかけているときは、上の1と2の価値を取り違えています。その結果が冒頭のエリス博士の引用のようになるわけです。

これは、シンプルな話なのです。

断らない力

以前、まったく逆のタイトルの本が大いに話題になったものです。

そこでいわれていたことは、おおむね理にかなっていました。

ということは

  • 基本的に何も断らない

というのはまったく理にかなってない話ではあります。

しかし振り返ってみると私は、こと「書籍企画」というものを私は、ほとんど断らずに来ました。

どうしても、どう考えても無理だろう、というのをのぞくと。

だいたい私が50も60もタイトルを連ねて来れたのは、べつに「売れっ子だったから」ではなく、本の企画をいただいた場合に断ることがなかったからに過ぎません。

  • 断ることも必要だ
  • 何でも引き受けていては「自分」を見失う
  • いつも忙しくてしては「チャンス」を逃す
  • お金のために仕事をしてはならない

いずれももっともな感じはするのですが、実際に書籍企画が来てみると、そういうお話は私の心にまったく響かないのです。

チャンスのために生きたりましてや「自分」のために生きたりするのは、お金のために生きるのに似て、たいして面白い気がしない。

しかし先日、自分が「グッドモーニングバイブス」でしゃべっていて考えたのは、「嫌わない勇気」(これも嫌われる勇気の方ではなくて)というのは意外に大事なことで、スルーしたりケアせずに済ませるのは簡単なことなのだけど、そうしてしまうと「嫌いなもの」を自分の世界に置き残すことになります。

私は、クモやヘビやゴキブリを真剣に嫌悪している人の様子を見ると、それらが全然嫌いでないのは、単なる運かもしれないけれど、まあラッキーだったなと考えることがあります。

私にとって「書籍企画」は「素晴らしいもの」でしかありません。

それがいかに素晴らしくないとものであるかを、賢い人から切々と訴えられても、「そう思えない」方がトクしているところがあるのです。お金にならなくてもトクだと思う。

なぜならこの世に「いいもの」が増えることになりますので。

ここをもう一押しして、倉園佳三さんのグッドバイブスそのままに、「あらゆることは実は書籍企画と同じように素晴らしい」と思えれば、この世には素晴らしいものごとだけしかなくなって、万事OK!なんですよねえ。

くったくたなのにこれから満員電車で1時間・・・

ということは残念ながら、私もしばしば遭遇します。中学は今思えばバカげたことに私立に通っていたため、いっつもこうでした。

とは言え両親には感謝しておこう。私もムスメがそうなるかもと思って初めてこれの意味を知りました。まさに子を持って知るなんとやら。

本題に戻り、くったくたなのに、これから満員電車で1時間。

最近は封印しましたが、間もなくMPはゼロ。HPはとっくにゼロ付近。そして満員電車です。

ここには、心躍るいかなる要因もありません。

こういうときには、「心の予備タンクから予備のエネルギーを下ろし」ましょう。

バカいってんじゃねー、そんなもんあるわけねーだろう?

ではちょっと、仕事に持っていく鞄を開けてみましょう。

なかにはどうしてか、前からずっと愛読していたコミックの最新刊が!まだ発売前のはずなのに!

これで満員電車1時間の間中、ずっと漫画に熱中していられます。だいぶ違う。私ならだいぶ違う。

そこにスマホでLINEの通知が入ります。

なんと驚いたことに、学生時代にずっとつきあいたいと思っていた彼(または彼女)から、今すぐ会いたいというメッセージ♥

まあそんな事はこれまでの人生になかったし、今後もないでしょうし、そもそもあっても怪しすぎて会いに行かない方がいいと思いますけどね。冬の東京湾の海に浮かび上がりたくなければ。

でもまあ、そういうことがあったということにしておきましょう。

最初とまったく同じように疲れているでしょうか?

そんなことはなく、元気でピンピンしているのでは?

こうなればもうマンガを読まなくてもいいのでは?

マンガを読んでもいいでしょうし。

「でもそれは、そういうあり得ないラッキーな出来事のおかげで元気になっただけじゃないか!」

といわれるでしょう。

それはそうです。

しかし私が問題にしたいのは、「あるわけがなかった」はずの「心の予備タンクの予備エネルギー」のことなのです。

MPもHPもゼロだったはずですよね。だったら、何があったって、元気になれるわけはないはずです。

でもおそらくそれは本当ではない。

では予備のエネルギーはあったということになる。

問題はそれを引き出せるかどうかだけです。

なぜなら、出来事は「外から」やって来たにせよ、エネルギーは「自分の中にある」わけですから。

心理的緊張を「転用」しない

モチベーションが低下した状態から再びタスクの処理に戻る場合ですが、邪魔者が山ほどいると思います。

机の上は片づいていないし、メールは返していないし、洗濯物も溜まっているでしょう。

それらに触ったら終わりです。わかりますね?

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 

 

わかります(笑)

先週に書いたことですが、

準備欲求というものはない

のです。少なくともそれは、本能ではありません。

もちろんメールに返信するにしても、たまった洗濯物を片付けるにしても、それらだって「本能」ではありませんが、心理的緊張が高まったとき、それを解消するだけの具体的行動をイメージしやすくはあります。

つまり、洗濯物を片付けることで、心理的緊張を解放してしまい、しかも時間を使う。こうして一日ずつ、〆切までの作業日数が減っていくわけです。

私は借金玉さんには申し訳ない気もしつつ、こういう心理的緊張状態が高まるということは、モチベーションが低下しているわけではない、と信じます。

やらないといけないと思っている気持ちが心理的緊張でしょう。

やらないといけないと思っているということはモチベーションはあるわけです。

 

私たちは、何かモチベーションの高い状態や、仕事のできる人の心理というものを、誤解しているのです。

気分よく前向きにやれるものとばかり信じている。

この種の信仰には、きっとウソがたくさん含まれているはずです。

心理的緊張そのものは、ただのエネルギーの高まりです。その解釈は、一瞬で反転するものです。

その緊張感の中で仕事を進め、しかも仕事がうまく裁いていけて、かつ結果も出そうに思えれば、「自分のモチベーションは高い!」。

逆に、その緊張感の中で、なかなか仕事が進まず、コーヒーばっかり飲んで気持ちが悪くなってきたら、上司の悪い言動が耳に響き始めます。

 

緊張状態が続く中、それをモチベーションが高いと思ったり、まったくわかないと思ったりは、常に揺れ続けているはずです。

私は、常にそれをモチベーションだと思うことはしません。むしろ、この状態である限り緊張が続いているというだけにとどめます。

先送りを避けるために必要なのは意志力ではなく意志

 

nokiba.hatenablog.jp

 

この記事の中で、次のように書いてみました。 

ひたすら一歩だけのことを考えます。するといつの間にかコンビニに着いています。
とにかくあらゆる行為(仕事だけに限らず)について、このように考えない癖をつけることで、かなり仕事の先送りというものをせずに済むようになります。

 ここの「考えない」について異論が出るのだと思います。

「考えない」のは難しい、ということです。

 

そこで私が提案したのは「しない意志」を発動するということです。 

何かをするのを止める、ということはまだ、科学的に否定されていない「自由意志」なのです。

 

ここでちょっと注意したいのは

  • 意志を発動するのであり
  • 意志ではない

というところです。

意志となるとどうしても

「私は意志力が弱いので・・・」

という話になりがちですが、「強い意志力」はこの場合必要はないしあまり役にも立たないでしょう。

「考える習慣」がついてしまっているというのならなおのこと、必要なのは「しつこく繰り返す」ことであって「強い力を発揮する」ことではないのです。

そしてなんといっても、

「考えるメリットはゼロだ!」

ということを、これまた繰り返し思い出すことも大事です。

ついつい何度も考えに走りそうになるでしょう。

考えに走って先を見通してしまえば、その遠い道のりに心が折れます。それを先送りというのでしょう。

つい考えそうになる。それを止める。

一度に力はいりません。難しいことでもありません。

でも何度もやり直すことが必要なのです。

「考えない意志力」を発揮することは可能

昨日の記事に対して、こちらのツイートの他、類似のご指摘をいくつかいただきました。

これはたぶん、たとえば「一定の(さほど遠くないとしても)距離を歩く際、先々の道のりのことを考えない」の「考えない」は、いいことかもしれないが「意志力」が必要だという指摘でしょう。

私はこの種の「意志力」を発揮するのは可能というか、意志の力にできるほとんど唯一のことは、これではないかという気がしています。

引用ツイートにあるとおり、「先の道のりだとかたいへんそうだといったことをつい考えてしまう」のは習慣です。クセのようなものです。

習慣は、報酬によって強化されます。

つまり、何かメリットがあるから繰り返しやる。繰り返すうちに習慣化するのです。

先がたいへんそうだと考えることには、どんなメリットがあるのでしょうか?

たいへんなことをせずに済むというメリットがあります。たいへんそうだから回避する。それがメリットです。

だから、回避ができないことについて考えるのは、デメリットしかないのです。

この点を確信すれば、「考えない意志力」を発揮することは可能でしょう。

「意志力」はちなみに、はたして自由に使えるものなのかということを、かなり科学的に検証したのが次の本です。

 

マインド・タイム 脳と意識の時間

マインド・タイム 脳と意識の時間

 

 著者によれば、私たちはたとえば「腕を上げよう」と思ってから「腕を上げる」ものだと思い込んでいますが、この思考→運動行為には常に、「自由意志」の生じる0.5秒前に「準備電位が脳内で検出できる」というのです。

つまり

 

  • 準備電位 → 腕を上げよう(自由意志) → 腕を上げる

 

という流れなのです。これで果たして「自由意志」と言えるのかというのが本で提起された問題です。

著者のベンジャミン・リベットは「行為を行う自由意志は私たちには存在してないかもしれないが、その行為を取り消す自由意志はある」という凝った問題提起を主張しています。

リベットが全面的に正しいと言えるかは、わかりません。

ただ、意志について実証科学的に踏み込んだ画期的な人ではあります。

そのリベットがいうには、私たちが「自由意志」を発揮するときには、何かを「取りやめる」ことだけだというのです。

このくらい理屈っぽくストイックな文脈でも「考えることを止める」のはおそら自由意志でできるのです。

一度は依存症になったものの、お酒を(飲むことを)止めることのできた人のなかには、やはり最後はどこかで「意志力」を発揮したと思うのです。

そのとき、「アルコールを摂るメリットがない」ということへの確信は、必要だったはずです。

  • 考えるメリットはないこと
  • 考えるのを止めるには意志力が必要だということ

昨日の記事には、このふたつが何より必須です。

 

何をするにせよ、やるだけのエネルギーは十分にある


「それをしようと思っただけで疲労感でいっぱいになる」

というもっともな反論を思いついたところで、昨日は打ち切りました。
ぜひ皆様も、こういう中途半端なところで作業を途切れさせるというライフハックをときどきは用いてください。

続きがやりやすくなったりします。

昨日の記事の途中にも書いたとおり、「それをしようと思っただけで疲労「感」でいっぱいになる」というのは「感覚」でしかないので、まずは

疲労感はわかないということにする

というのがベストなのです。
タスクを「実行」したら疲れるというのはいいのです。
しかし「考えただけで疲れる」のは断じて妄想だということにしておいた方がトクです。

こちらの本当の対策については、実行中にも「考え」を一切止める、というのがベストだと思っています。

一見つまらないことのようなのですが、これは大事なことです。
たとえば「住民票を支払うためにコンビニまで歩く」としても、決して「道のり全部」のイメージを持たないことです。

ひたすら一歩だけのことを考えます。するといつの間にかコンビニに着いています。
とにかくあらゆる行為(仕事だけに限らず)について、このように考えない癖をつけることで、かなり仕事の先送りというものをせずに済むようになります。

食事になれば、大概の人はこれがやれるし、やれる人は食事を楽しめるものです。

食事全部が「終わる」までに食べなければならない米粒の数だとか、残りの秒数などを意識して、「ああ食事は時間が長くかかるし面倒くさい」と思わない方が、食事はたのしいしおいしい。

もう一つがタスク管理の効用を活用するやりかたです。
タスク管理というよりもタスクログです。

ログといってもPDCAは絶対にやらないことです。反省したり改善したりしようとすれば、すぐにイヤになってしまうでしょう。

そういうことではなくて、ログを見るのです。1日でどれほどのことをしたでしょう。すごいものです。たいていは。
しかし、1日ごとに区切る理由はまったくありません。

1年、2年、5年でどれほどのことをしたか。
ものすごく膨大なリストがそこにはあるでしょう。全部「やった」ことです。なにをしたにせよ。

総エネルギーはどれほどになるのか。計り知れないほどです。
全部足しただけのエネルギーを私もあなたも誰もが使えるのです。まるで永久機関のようです。

どこかで「途切れた」と考えるのは不合理です。途中で1日でも死んだことがあるというなら別ですが、たいていの人はそうではないでしょう。

生きている限り、膨大なことがやれます。それだけのエネルギーを使い続けることができます。ものすごい量です。

住民税を払うくらい、おつりが来るに決まっているはずです。

先送りを防止するための具体的方法と気持ちの整理

昨日の続きです。要するに「気持ち」と「実際」の両面から攻める必要があるわけですが。またしてもTwitter引用からはじめさせていただくことにします。

ごめんなさい。いい具体例が多いのです(笑)。

まず「10㎏の荷物を抱えて歩いている(ストレスになる)」からさっさと済ませるという方法は、これでうまくいくならぜひこれで行きましょう。

うまくいっている限り、先送り対策はすべて有効なので、わざわざ変更する必要はないはずです。

これでうまくいかなくなりつつあるときには

  • 500gずつにわける

というのがいわゆる「小分け」であり、これでうまくいくことも多いと思います。

お風呂掃除をまとめてやるとじつに大変なので、気づいたときにこまめに

cyblog.jp

あらっておく、といったやり方が紹介されています。

ただ、これをするにはどうしても、「タスク管理的な何らかのツールか手法」が必要になります。頭だけでは、忘れてしまうからです。

500gずつでも負担に感じるときは、50gずつやります。負担感がすべての元凶ですから、感じないのがベストなのです。

ですが、引用にもあるとおり

  • 思い出した瞬間だけ100kgの荷物に押し潰されて身動き取れなくなる

ケースだったらどうしましょう。

実はこれ、10㎏だろうと100㎏だろうと、1トンだろうと同じことです。昨日も言及はしたことですが、比喩はあくまで比喩で、タスク自体には決して「重さ」も「負担」も何もないのですから

  • これは1トンのようにも思えるが、実は0グラムだ!

ということにしちゃえばいいのです。これができれば「思い出した途端に取りかかれる」でしょう。

そんなのは詭弁だといわれると思いますが、負担「感」はあくまでも感じ方であり現実ではないので、感じ方を変えることは誰でも自由にやっていいはずです。

世の中には、確定申告は誰だって先延ばししたくなる

 

という人もいれば

確定申告など全然大変じゃなくてそれどころか楽しい

cyblog.jp

くらいの人もあるわけです。

どちらが正しい感じ方をしているか、といった論争は不毛です。感じ方は感じ方であり、正解などどこにもない。

ただ、「確定申告に手をつけている前」に予感している「大変そう(1トンだ)」はどこまで行っても実態がないことなのですから1トンでも10トンでもないのです。0グラムです。それが事実です。

それでも自分は「それをしようと思っただけで疲労感でいっぱいになるんです!」という食い下がり方もできると思います。

また長くなってきたので、続きは明日書きます。

(というように、負担を感じる前に作業は打ち切ることもできるわけです。できないケースも無論ありますが、ブログならできます。小分けにするのは有効です)。

先延ばししない人なんていない。タスク管理はゲームです

ツイッターを引用するというのは気が引けます。ツイッターにはツイッターでお戻しするべきではないだろうか、という感覚的な抵抗感があるのです。

ただ、なんとなく長くなる予感があるので、ブログの方に書きます。

ここのところ書いていることなのですが

  • 食欲はあっても、料理欲というものはない(いま誤変換が起きましたから、事実そうなのです)。
  • 睡眠欲はあっても、ベッドメイク欲というものはない。
  • 排泄衝動は起こっても、トイレ掃除欲というものは生じない。

のです。

私たちは個人主義の時代に自由人として生きています。(個人差も異論もあるでしょうが、とりあえずそういう前提で進めます。これは政治の話ではありません)。

(常識の範囲内で)自分のやりたいことをしていいのです。

しかし、やりたくないこともやらなければならない人が多いはずです。

仕事の〆切は守れる。しかしそれは「〆切守り欲」のおかげではなく、嫌悪刺激(叱責や減給など)を回避したいという欲求があるからです。

何かの振り込みや、役所の手続きなどは、仕事の〆切よりもさらにハードルが上がります。振り込み欲も手続き欲もあるはずがない。

しかも、嫌悪刺激がやってくるのは遅いのです。(延滞料金などが発生するのは非常に強い不快感があると思いますが、ダイレクトに「叱責される」ほどではないという人も多いでしょう。また、ちょっと遅れて行って「役所の人に叱責されるかも(されることはまずない)・・」と思ってしまう人もいて、それは超過のペナルティより不愉快かもしれません)。

だからこそタスク管理/スケジュール管理しよう!という人もいらっしゃるとは思いますが、私はそうは思いません。それで問題が解決するとは、思えないのです。

私はこういう本を何冊か書いていますが、タスク管理で「先延ばしクセ」を修正できるかどうかは、ちょっと無理なところもあると思っています。うまくいく人もあるでしょう。

 

なぜ,仕事が予定どおりに終わらないのか??「時間ない病」の特効薬!タスクシュート時間術
 

 

 いまいちど引用させていただきまして恐縮です。

「決めたら決めた通りにできる」人などというのは、この世にいないに等しい、というのが私の見るところです。

「決めたら決めた通り」というのは「タスク管理」というものに対する、よくある誤解でもあります。「決めたとおり」にできるわけがありません。

ならばどうしたらいいのか?

まず「先送り」「先延ばし」という表現を「なるべく使わない」ところから始めるのがいいかもしれません。

私はこれをタスク管理している人間として「並べ替え」と言い換えます。

  • 昼食
  • 歯磨き
  • コンビニで住民税を払う

とあって、とりあえず「歯磨き」まではできたとして(これは歯をスッキリさせたいという衝動が起こるのでやれる人が多い)住民税など払いたいと思うことはまずあり得ない。

  1. 昼食
  2. 歯磨き
  3. ネットゲーム
  4. SNS
  5. 休憩
  6. 住民税を払う

このように並べ替えてみます。おそらく3〜5までは順調にいくでしょう。ゲームをして、SNSをして、また疲れてしまうので、そこで休む。

6はまたしても難しいかもしれません。

  1. 昼食
  2. 歯磨き
  3. ネットゲーム
  4. SNS
  5. 休憩
  6. 読書
  7. 昼寝
  8. 日の入り
  9. 暗くなって気分が落ち込んでぼーっとする
  10. 住民税を払う

9くらいまでは自然と進むでしょうが、10にさしかかるとまたしてもやりたくないと思う。

このように何度か「並べ替え」をしてみると、とてもよくわかってくることがあるのですが、こんな「並べ替え」はなんと言うこともないことです。とてもよくある、きわめて理解しやすい、ごくごく自然の行動でしょう。

なのになぜかだんだん仰々しくなってしまうのです。「先送り」という表現にはその仰々しさがよく見受けられます。(だから私は使いたくないのです)。人に「罪悪感」を持たせようとしている。「住民税の延滞」が「罪悪」でしょうか? とんでもないことです。

心のどこかで「最悪自分が困るか謝るか重い罰を受ければいいや」と思ってしまってる

冒頭引用の再掲です。私はここにとても引っかかったのです。 どうして「重い罰」をうける必要なんて、あるでしょう。〆切に間に合うギリギリまで仕事を引き延ばして、つい〆切を過ぎてしまう。

それは自然のことでしょう。そんなに悪いことであるはずがない。

払いたくないものを払わずにずるずるとマンガを読んでいるうちに、約束期日を過ぎる。非常に人間的で、非常に自然の行為です。「重い罰」には全く値しない。とんでもない。

私が「並べ替え」で「住民税」の前に並べ立てた、SNSやマンガやネットゲームや休憩/昼寝などはつまり、「リラックスを求めていることの象徴」という意味です。

なぜか緊張感が高くなりすぎている。「重い罰」とか「最悪自分が困れば」という表現に、それを感じさせられました。もっと軽〜い気持ちでないとやれない。イージーなことは、イージーにやるのがよいと思うのです。

先に、食欲はわいても、料理欲はわかない、と書きました。空腹で、いまにも倒れそうになってから、夜中に食材を買い出しに行ったら、誰だって暗ーい気持ちになるでしょう。

もっとイージーにやりましょう。料理は、だれーでもできそうな、それこそ小学生にでもやれそうなものを、ちょろっと、できれば満腹時に3分くらいかけて、作っておいた方がラクでイージーなのです。

それが「タスク管理」では「タスクを小分けにする」などといったあいもかわらず仰々しい表現になってしまうわけですが、緊張感は極力無縁にしておきます。

「決めたら決めた通りにできる」人などというのは、この世にいないのです。私はタスク管理していますが、そんなできた人間でも立派な人間でもありません。

雨の中、傘を差して、住民税を払いに行くくらいだったら、FANZAで動画を探している方がずっと気持ちよさそうだと思うに決まっているではありませんか。

「決めたら決めた通りにできる」人などというのがこの世のどこかにいるように思うなんて、そんな緊張感が高まりそうな発想は、いっそ捨ててしまいましょう。

まあ、気が向いたら延滞料金まで払うのはばかばかしいから、コンビニに行くといいのです。ついでに無駄でもリラックマグッズでも買ったりして。

  1. リラックマグッズを買いにコンビニへ
  2. 住民税をついでに払う

きっとこれをあれこれ悩まずにやれてしまうタイミングが、長い人生のどこかにはきっとあります。それを見逃さないようにしたいのです。

タスク管理とは、そのタイミングを見つけるゲームなのです。

「めんどうくさい」を乗りこえるには?

衝動だけで生活を行うというのは、実際にはかなり難しいものです。

たとえば「食事」をするのには、衝動だけで行けます。お腹が空くから、普通はモノを食べたくなるのです。

「トイレ」も衝動だけで行えます。

睡眠も衝動だけで行えます。眠くなります。

また、暑い、寒いということに対して、暖を取ったりクーラーをつけたりすることも、衝動だけで行えます。

しかし、料理は衝動では行えません。お腹が空いたときにしたいことは食べることであって、食事の仕度ではないからです。

まして、お腹が空いてから食材を買いにいったら、そのまま外食したくなるはずです。

衝動で、準備はできないのです。

これを逆に言うと「準備はめんどうくさい」ということです。なぜなら、準備衝動というものは、生理的欲求としてはあり得ないからです。

その意味で私は「お風呂」が心理的健康をはかる、小さなパロメーターだという気がしています。

なぜならお風呂に入るというのは、決して生理的欲求ではないと思うからです。

お風呂に入らなくても、人間死にませんし、お風呂に入らなくても「清潔飢餓感」のようなものも、たぶん生じないでしょう。

私はお風呂が大好きなので、お風呂が面倒だと思わないのですが、お風呂はおそらくめんどうくさいもののはずです。衝動が湧かないものだからです。

今は便利な世の中です。だからわかりにくいのですが、衝動が生じてからでは、たいていのことは手遅れなのです。お腹がうんと空いてしまったら、料理なんかするタイミングではないのです。(だからレンジでチンは偉大なのです)。

準備するには、タイミングが大事です。

料理は、理想をいえば、お腹が空くときに終わっているタイミングで始めるのが望ましい。

このタイミングをみつけだして、「超お腹が空いたと思ったら、目の前に食事があるではないか!生きててよかった!」と繰り返し実感すると、めんどうくさいのが解消されていきます。

成功体験が報酬となって、習慣が形成されるからです。そのようにして「料理欲求」が湧くようになります。

やる気が出ないとき

 

やる気が出ないときは、本気になってやる。

これが倉園佳三さんのグッドバイブス的な「方法」のひとつになるのだと思うのですが、「本気」にはしばしば、湯のような汗をかく、という印象がつきまといます。

 

【★購入特典付き★】グッドバイブス  ご機嫌な仕事

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でも私はいま本気になってブログを書いているつもりですが

  • 息を切らしていない
  • 汗もかいていない
  • 心拍数すらさほど変わりはない

というわけで、全然「本気感」が他人に伝わりそうもありません。
文章の調子もこんな感じです。
それでも本気だろうか。本気なのです。

以前は、ここまで「本気」ではありませんでした。
とは言え、以前と比べても、かける時間は微増、心拍速度も微増といった程度でしょう。

何が違うかというと、ひとつには、読んで欲しいと思う度合いが違います
以前よりははるかに、読まれようとしています。

もうひとつは、終わりを意識していません。この文章を見積時間通りに切り上げようとか、オチをつけたいとは思っていません。

最後に、楽しいです。これは大きな違いです。

以前は、楽しくもないし、楽しくなくもない、といった感覚で書いていました。

本気になれば楽しいのか。
それとも楽しむようにすれば本気になれるのか。
これはニワトリ卵問題です。私には、答えられません。

ただ、やる気が出ないということは、本気になれないということだとは思います。

  • 本気になれないとき、私の経験では、本気になるのが不安だからなのです。
  • 本気になると疲れてしまう。(消耗する)。
  • 本気になると時間を使ってしまう。
  • 本気ななるとみっともない?

この辺でしょうか?

疲れは、しないのです。これには驚きました。
時間は、あまり変わりません。微増はしますね。
みっともないというのは、ときどき聞くのですが、私にはもともとあまり問題になっていません。格好良くありたいとは、まったく思わないのです。

本気になって、ことさら何かを失うことはないので、やる気を出したければ、本気になってみるのも悪くないと思います。

ただ、本気なって得られるのは、幸福感と充実感、といった程度のものとも言えます。(ここをどうとらえるかでしょう)。

本気でブログ書いたからと言ってPVが激増したりは、全然しないのです。その点で失望しないようにしましょう。

やるべきことが決められないとき

『江は流れず』

という小説を読み終わりました。

日清戦争の話です。

素晴らしく面白かったのですが、タイトルがどうも響きませんでした。

しかし読了してみると、なるほど!です。長江、揚子江といった世界に名だたるその江が、流れない。

敵国日本は日の出の勢いで、それをなんとかしなければならない中国の方では、物事が遅々として進まない。それどころか停滞して久しく止まってしまったまま、国が亡くなってしまいかねない。

日本人なのに私はこれをよんで、いかにも残念だという気持ちにも共感できました。だから評価が高いのでしょう。

 

江は流れず―小説 日清戦争 (上巻) (中公文庫)

江は流れず―小説 日清戦争 (上巻) (中公文庫)

 

この時代の「中国」は「清」です。だから日清戦争。

けれど、戦いの主体は清王朝の満州族ではなく、漢族。

ここに大きな問題があります。

3巻本の下巻では、すでに清国の敗北は決定的で、後はもうどうやって停戦講和に入るかだけが問題になっています。賠償金はどのくらい払うか。国土を削り取られるのを受け入れるのか。

という状態になると、「講和する」と言い出しただけでも、売国奴扱いされて殺されてしまいかねない。1944年頃の日本と同じ雰囲気です。

「お上のまわりには、勇ましいことばかり申す者がいる。そのような雰囲気のなかでは、ことを申すことすらできない。よほどの勇気がなければ」

 

戦争末期の日本でも「勇ましいことばかり申す者」がたくさんいたと言われています。

が、このときの中国は、もっと事情が込み入っていたのです。

主戦論の連中は、みな漢族の大臣だったのである。彼らは悲憤慷慨し、皇帝の前で慟哭して力戦を主張したという。

あくまで日本と戦う。

だが、いまの状態では、戦えば戦うほど傷が深くなる。

国はほろびる。その国とは、清王朝である。

 

悲憤慷慨し慟哭しているほどの大臣たちは、しかし内心では、いやもっと心の奥深くでは、(戦って国が滅びたって、いやいっそ滅びてもらえれば・・・)と考えていたのかもしれません。このときの「お上」には西太后という非情にして魑魅魍魎な「上司」も含まれていました。 言うまでもなく「清王朝」の人です。

真剣に国に滅びて欲しくないと願う、比較的良識があった「清王朝」の皇族(恭親王)だけが、「停戦講和」を目指していたというわけです。

ただ、どうしたらそれが可能になるのか?

 

悩みが深くなったときは、シンプルに発想するのが鉄則です。

 

「老生は政治や軍事のことなど、まったくわかりませぬ。ひとことだけ、殿下におたずねしたいのですが、この戦い、いったい、勝ち目があるのでしょうか? すこしでもいいのです、勝ち目は?」

恭親王はひと呼吸おいてから、ゆっくりと首を左右に振った。

「それなら、殿下のなさることは、きまっているではありませぬか。悩むことなど、なにもないはずです。」

 

 

 

 

 

 

タスクシュートはなぜわかりにくいのか?

 

エンジニアのための時間管理術

エンジニアのための時間管理術

  • 作者: Thomas A. Limoncelli,株式会社クイープ
  • 出版社/メーカー: オライリー・ジャパン
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 11人 クリック: 322回
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この本は、かなりの良書です。時間管理の本でこれ以上の本を書くのは、けっこう至難の業です。

にもかかわらず、おそらくこの本を知っている人はかなり少ない。理由は簡単で、理解するのが困難、読み通すのすらかなり困難、この本を読みたがる人はKindleが好きだろうに、この本は紙でしか出てないのです。

またこの本、引用がしにくいのです。ちょっと引用したくらいでは、本で主張したいことがまるで反映させられません。つぎの序文の第1文目を読めば、この本のわかりにくさが理解されるでしょう。

 

自分への覚書

拝啓 自分(なぜなら、ほかの誰に言うのか)

 

たしかに一部の人にウケそうです。それに実のところ、この内容には主張もあるのです。しかしこれは、通常のビジネス書にはゆるされない書き方です。

ひとつ本書の読み方を私は提案したいと思います。この本は、「タスクシュートの理解度をチェックする」ために使えるのです。

タスクシューというものは、まったくわけがわからないし、「クセが強すぎて使い物にならない」と思うなら、本書も同じようなものに見えるはずです。

逆に、タスクシュートは素晴らしいし、これなくして時間管理ができないと思えるなら、本書の内容も理解が行くはずです。

それでも本書はなお読みにくいかもしれません。それがとりもなおさず、タスクシュートのわかりにくさであるかもしれません。

デザイン変えてみました。今すぐやるべきことを見極めるマニャーナの法則

といっても、ストアでインストールしただけですが。

こちらのブログでは、今後なるべく、ちゃんとお役立ち情報を発信しよう、と心を入れ替えることにしました。

役に立つんだかなんだかよくわからない怪しげ記事は、今後は「のきばブログ」という、前にあったアトピー闘病系ブログの方に、気が向いたら書くということにします。

さっそくなのですが、しばらくは今までの自分の仕事に戻って、昔のライフハック本などを読み返すことにしてみました。

私にいろんな意味で影響を与えた本に『マニャーナの法則』があります。

この本は、じつに奇妙な印象を残したので、ある意味ではまるで自分が書いたみたい、という変な親近感がわきました。

たとえば「緊急事態を見極める」エクササイズとして、次の問答があります。

窓から煙が入ってきた。火災警報も鳴っている。

これは典型的な緊急事態です。「今すぐ」避難してください。

仕事に追われない仕事術 マニャーナの法則 完全版

仕事に追われない仕事術 マニャーナの法則 完全版

  • 作者: マーク・フォースター,青木高夫
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2016/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 ビジネス書で、これはいったい何が言いたいのでしょう?

マーク・フォースターさんは、「本当の緊急事態というのは、こういうことを言うんだ」と言っているのです。

私たちは何でもかんでも「緊急だ!重要だ!」と思っているけれど、窓から煙が入ってくることに比べれば、本当の緊急事態と言えるようなものはほとんどない。そう言いたいのです。

「今すぐ」やるべきことを本当に見極めるようにすれば、「今すぐ」やるべきことはじつに少ない。だから真に緊急なことだけを進めるようにしていけば「今すぐ」仕事が進むようになる。

これがマニャーナの法則なのです。

 

個人的な考えでは、こうした話を集中的に聞くことによって、仕事の進める基本的なやり方を一変させることも可能です。

マーク・フォースターさんに直接レクチャーしてもらうのがベストだという人もいるでしょうが、彼はイギリス人ですし、会いにいって英語で聞くのも大変でしょう。

やりたいことができないのは歯がゆいことだとも思うので、私と大橋悦夫でセミナーだとか、オンライン講座だとか、いろんなものを用意してみています。

もちろんこれはCMです。そう思って読んでいただけないと、困ります。

「タスク管理トレーニングセンター」は月額課金の、オンライン講座です。

これが向いているのは、首都圏にお住まいでない人や、様々な仕事術の動画を見るという情報の接し方が好きな人や、直に人と会ってやりとりするのが苦手というような方です。

あるいは、首都圏にお住まいで、人と会うのが好きだけど、という方でも、向いている方もいると思います。相性は微妙なものなので、直接確認していただくのがいちばんです。

 

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