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佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

暗黒の奥に実際に行くとたぶん死ぬから代わりにゲームで遊ぶ

意志力、と似て異なりながら、非常に魅惑的な心理的な概念に「心のエネルギー」がある。

この言葉の持つうさんくささと魅力には、意志力の弱さにうちひしがれがちな私や、心にも体にもエネルギーが足りなげな私などには、抗しがたい。

意志力のなぞに迫るべく「書斎を構築しよう」として、すぐに「心のエネルギー」というあやしげな言葉に道を踏み外した。

バーナード・ショーの『人と超人』などにも繰り返し「生命の力」というマジックワードが登場するが、劇中ですら「ライフ・フォース(生命力)だなんて、まるで保険屋さんの名前みたい」などと自ら突っ込まなくてはならない。

「力は奥底に秘められている」という根拠のないイメージは、魅力的で科学的ではない。 ディズニーランドに行っても、カリブの海賊などで、海底だか洞窟の奥底には豊穣(力とは違うが)の象徴である宝の山が「眠って」いた。その上には髑髏がある。

ああいう「力」を1人で手に入れようとした者は地上に戻ってこられないのだ。

『闇の奥』とか、カオスの内奥とか、目玉と口ばかりの化け物とか、よくてもムカデとか、毛むくじゃらで得体の知れないのがうじゃうじゃいるそういうところに行くのは危険すぎる。

だがどういうわけか、その奥には力とか宝とかが眠っているというイメージがつきまとう。フロイトが人気だったのは、そういうことなのだ。

無意識の混沌に降りていき、そこに巣くう悪い化け物を退治すれば、なにもかもめでたくハッピーエンドという「物語」は昔からあった。

無意識の混沌に降りていくというのはコリン・ウィルソンも好んだ表現だが、フロイトの弟子だったことのあるユングなど、事実上こうした物語を自らに物語ることが、まるで心理療法として成り立つかのようなことを考えた。

長いすに寝そべるようなやり方で言語連想するのも悪くはないけれど、もっと直接、「無意識の混沌に降りる」方法はないのか? 必ずしも精神科医のお医者さんに話したいこともない人は?  

指導案や学級通信を打ったりといった用途でパソコンを使っていたのだが,87年の春ごろはじめて買ってみたゲームがFalcomのXanadu(ザナドゥ)。 そのあまりのおもしろさに,その後8801を処分する1995年の春まで8年近く何度も何度も繰り返し遊んだものだった。
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そういうわけで、こういう方法が編み出されたのだ。1985年のことである。こちらのブログエントリでは、結婚後にこのゲームにはまられたらしいが、私がはまったのは中学生だったときだ。

そのとき、生まれて初めてRPGというものをプレイした。だから、RPGとはどんなものかがわかっていなかった。本の中に実際に入っていくことができたような気が何度か本当にしたものだった。

ブツブツと自ら編み出した「物語」をつぶやきながら画面の中に意識が吸い込まれていたように感じつつ遊んだ。

ついにキング・ドラゴンを倒したときは感動して泣いた。

もちろん、それほどの体験をしても疑似体験は疑似体験であり、私の中の「悪」が倒されたわけでも「昇華」されたわけでもなかった。ある意味でゲームというのは安全な場所から一歩も動かず、「闇の奥」を冒険しようという都合の良い遊びである。文学と同じだ。