佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

「馴染み深くて新しいもの」は「妄想の実現したもの」に限りなく近い

誰かのことを好きになり、妄想の中でその人と楽しくデートする。ユートピアなはずだ。でも、人はそこで満足せず、やっぱりその人と接触したくなる。新しい情報を欲してしまう。

つまり、人は妄想の中に生きることはできない。

ここで立ち上がってくる疑問は、「なぜか?」である。なぜ、人は妄想の中に生きることができないのだろうか。

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セミナーに話がすぐ通る人を招待するメリットを感じました。

かつての私としては大変悲しいことに「なぜ、人は妄想の中に生きることができないのだろうか?」の疑問には簡単に答えられます。それだとすぐ死んでしまうからです。

病気になっても健康になれた妄想に生き、空腹時にも下鴨茶寮で好きなだけ満足している妄想に浸っていたら、すぐ死んでしまいます。悲しい。

人は、おそらく大型霊長類でもたぐいまれな、妄想だけで性的オーガズムに達するほどの想像力を得ることに成功しましたが、それでも「現実と妄想を区別する」能力は強力です。そしてこれは、ある意味では非常に都合のいい能力なのです。

現実と見まごうばかりの妄想を経験しつつ、その妄想を現実とは区別する。これができるからこそ、正気のまま現実を生きつつ、好き勝手な夢想に浸ることもできるわけです。

ですが人類はこのきわめて都合のいい能力の、きわめて都合の悪い部分を何とかしたいという、きわめてご都合主義的な希望をずっと持ってきました。もちろん私も。つまり、生きるためにも、また現実を有利に生きるために、妄想と現実をはっきり区別しつつ、しかし妄想を現実だと信じようという、ギリギリの線を模索してきたのです。

もっとも現実に近い妄想は、おそらく記憶です。そもそも妄想の素材はだいたい記憶です。記憶にはリアリティがあった方がいい。いろんな意味でいい。しかし記憶と現実を区別できなくなったら、やっぱり病気です。ここが難しい。

私はだから、セミナーでもドラえもんと村上春樹を取り上げたのです。私たちは、ドラえもんをすっかり読み込み、面白いと思った人はそれを脳内で反芻します。これが記憶を素材とした妄想ですが、私たちはそれを「記憶だ」と知っています。

ドラえもんに無我夢中になっている子どもは一時にせよ、それと現実の区別がつきにくくなり、まるで現実にドラえもんが居るかのように信じそうになることがきっとあるでしょう。でもそれは、ドラえもんが「記憶」になってないときに限られます。

ドラえもんのことは知りつくしている。けれどもそのドラえもんに、予想外の振る舞いや言動をして欲しい。それがつまり、未読のドラえもんを読むことでしか経験できないことがらなのです。馴染み深くて新しいものとは、いくらでも妄想できる素材による、リアルのことです。

(だからドラえもんのアニメができたり、「等身大のお人形」ができたりしますが、最終的に事情は決して変わりません。今のところは)

誰かのことを好きになり、妄想の中でその人と楽しくデートする

でもそれは、私の予想の範囲を超えて振る舞ってくれる可能性が高くないのです。私が作りだしたモノは、私の予想の範囲外のことをしゃべらないでしょう。『火の鳥 宇宙編』で猿田博士が女性型のロボットを何体も作り「オトウサマ、スキヨ」と言わせて、それを聞いて腹を立て、ロボットが話せないようにするというくだりがありますが、満足できないのが当然なのです。

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私の予想を超えてもらうには、私が「知らない」という条件を満たしてくれるか、私が自分で作っておきながら、そのことについて記憶を失うか、判断力を極端に低下させるか、そのへんしかないでしょう。

けっきょくつまり、一消費者としては、最新作品をまつのが、依然として健全です。倉下さんのような「クリエイター」はもしかすると、自分でそれを作りだしておきながらも「予想外の振る舞い」をさせることができるのでしょうが、そういう人はあいにく、多数派ではありません。少なくとも私にそういう能力は欠けています。