佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

「自分の本当の望みがよくわからない」というのは「幸せ」なことだと思う

私は心の底では表題のように思いながら生きている人間なので、むしろ逆にというかありきたりに「欲しいものが、欲しい」みたいなことにはなりやすい人間で、そのことに警戒してもいます。(ああややこしい)。

ほしいものが、ほしいわ。

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そんな自分のため、最近たまたまみつけた「本人の書いた本とか講義の内容が、むちゃくちゃ難しいうえに、逆にちょっとでもわかる人にとっては、ものすごくインパクトが大きかった」ラカンという人の話を「むさぼるように」読んでいます。面白いです。これなどがまさに「欲しいものが、欲しかった」ですね。

 

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

 

 で、数冊読んでいるうちに、これまでに自分がもっとも「ラカン的だ」と思っていた(あとからわかった)のは、平野啓一郎さんの『ドーン』という小説の中のエピソードでした。

 

ドーン (講談社文庫)

ドーン (講談社文庫)

 

 

これは、今のトランプ政権や、アメリカの近未来、火星探索、ドローン技術などの先取りみたいな、とてもたくさんの要素が詰め込まれた大作で、非常に面白いのですが、いちばん印象に残っているのは「亡くなった子どもを再現する技術と、その技術の中でもまたその子どもを喪失する」という、なんというか心にしみる逸話です。

「亡くなった子どもを再現する」と言っても、それは言ってみれば「視聴覚に対してのみ再現される」のですが、単なる立体映像のみならず、人工知能が言ってみればクロスオーバーみたいな形でともなっているため、コミュニケーションもとれてしまえるし、子どもの成長過程も体験できるという、すごいものです。

私は当時かなり娘が幼児だった上に、近いタイミングで3.11も経験したため、こんな技術があったら気が変になりそうだと思いながら読んだのを覚えています。

ラカンは私の理解の範囲内では「欲求」と「欲望」を分けて扱っていて、人は、他の動物とちがって「欲望」を持つことはできるが「欲求」を持っていない。しかし、ある特殊な事態に見舞われると「欲望」が「欲求」に限りなく近くなっていく。そしてそれはかなり危険なことである。が、あまりに「欲求」から遠く隔たってしまうと、いわゆる「草食系」になってしまい、「欲しいものが、欲しいわ」なんてことを言い出しかねない。

「狂おしいほどになにかを求める」というのは、まちがいなく「自分の欲しいものを非常によくわかっている」状態なのですが、ふつうに考えて、決して幸せとは言えません。

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こんなことがあったりするとよく「人は失ってから失ったものの大きさに気づく」(たいてい別れ話を勝手に持ち出した男がよりを戻そうとするときなどに使われる言い回し)などと言われたりしますが、つまらん説明だなあ、とよく思っていたものです。

これまた私の理解の範囲内ですが、ラカン的に考えると「狂おしいほどに暴走してしまった欲望が求めているような真に望まれる現実」というものは「実在しない」または「この世では巡り会えない」。けれどそれは、「幻想」でもない。たとえば亡くなってしまった最愛のわが子というのは、そうでしょう。

それを失う前には、そもそもそんな「言葉も寄せ付けないほど実存的な現実」と、人は直面しない。その価値の高さは、失う前と失ったあとでは、決定的に変化してしまうもので、もともとそうであってものの価値を、失ってから気づくのは愚かだ、などというのはあたらないと思うわけです。

「欲しいものが、欲しい」というのはつまり、気づくことのできない場に身を置いているということで、それはそれで「幸せ」なことでしょう。

 

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)