佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

「つらいだけの人間関係」はやがて壊れてしまう

競争社会の中で個性がせめぎあう関係の中を生きてゆくよりも、与えられた位置を保ち心安らかに生きてゆきたいと思っている日本人は意外に多い。日本人にとって周囲と折り合ってゆける限りで世間の中で生きる方が、競争社会の中で生きるよりは生きやすいのである。しかしこのような人間関係の中で生きていると、個人同士で付き合うときでも周囲を気にし、闊達とは到底いえない雰囲気を持っていることになってしまう。

 

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

 

 

「日本人にとって周囲と折り合ってゆける限りで世間の中で生きる方が、競争社会の中で生きるよりは生きやすい」というのは、私は非難されるようなことではないと、まず思います。

もちろん「それではいけない」と言う人もいるでしょう。「それでは世界では通用しない」とかいわれるわけですが、私も含めもとよりすべての日本人が「世界で通用する」とは思えないしその必要もないのではないでしょうか。(それにこの言葉は「それでは世間で通用しない」という有名な日本文の亜種に過ぎないようにも思えます)。
 
「私達は個人と個人の付き合いに慣れていない」のです。というか、慣れてなかったのですが、だんだん慣れないといけなくなりつつあります。

私達が「社交性」だと思っているものは、たぶん社交とは異なる関係性に関する能力なのでした。そのことを私はフリーランスになって、それも作家としてはっきり生計を立てだしてから後に意識するようになったのです。
 
作家という職業で生きてみると、「自分にまったく関係のない人」というのは非常に少なくなります。「潜在的にこの人は私の読者かもしれない。この人が読者でなくても、この人の配偶者は読者かも」ということが頭をよぎってしまうのです。
 
相手が私の名前も顔もまったく知らないとしても、今後私の本をどこかで読んでくれる可能性はゼロではない。すでにどこかで立ち読みした可能性も含めれば、それなりにゼロより高い。少しあざといような罪悪感も心に芽生える(あたりが自分もかなり日本人だと思ってしまうが)ものの、そういう可能性を意識してしまうことは否定しがたいわけです。この可能性をもってあらゆる人を眺めるようになると「世間」の風景は相当変わります。決定的なのは、自分を「社交的にする」圧力が働き始めるのです。

すなわち、社交性とは、いろいろ異なる個々人に接した場合、如才なく振る舞いうることであるが、一体感を目標としている集団内部にあっては、個人は同じ鋳型にはめられているようなもので、好むと好まざるとにかかわらず接触を余儀なくさせられ、個人は、集団の目的・意図に、よりかなっていれば社会的安定性がえられるのであり、仲間は知りつくしているのであり、社交などというものの機能的存在価値はあまりないのである。

(太字は佐々木)

 

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

 

 

集団生活に慣れることと社交は違うわけです。学校や会社のような組織においては、如才がなかろうと、魅力がなかろうと、人々はそこへやってこざるをえないからこそやってくる。日本の学校や会社だけに通うことになれきっていくと、「出会いがない」ということになりやすいのもうなずけます。黙っていてもそこにやってくる人たちとの「出会い」こそが、ほとんど唯一の「出会い」。そんなところで自分個人の魅力をPRするのは場違いというものでしょう。
 
半分強制的に参加させられた「小集団内部」で浮き上がったり孤立したりするのはとてもつらいことですが、単純接触効果が働くため、そうはならない人の方が多数です。
 
しかし先日も書いた通りふつう「単純接触効果」で結婚や恋愛までには至らないでしょう。「集団生活に慣れる」ということは、単純接触効果程度で得られる「安心できる人間関係」が行為のマックスにすぎず、それと社交性を鍛えることは別物であり、私達の多くは集団生活に慣れるというのが重視される生活にどっぷりはまって生きていて、社交性はあまり必要なくなっているわけです。

が、一生そうやって生きていられるのは、一生会社がめんどうをみてくれて、会社が結婚相手もさがしてくれたがごとき、遠い昔の話になりつつあります。人間関係一般については、人々は誰も「好きでその人たちと付き合っている」わけではなくて、単純に接触しているうちになれてきたし安心できる、という程度にすぎません。

中には、単純に接触しているうちに、不安をかきたてられるばかりで、安心もできなければ慣れることもできないような人間関係もあるわけで、人はそれには「我慢してきた」のですが、会社が一生めんどうをみてくれたりしてくれなければ、やがて我慢も限界に達します。

つらいだけの人間関係は、メリットを十分に提供してくれない集団では非常によく起こりがちな話であって、それは今当然のように崩壊しかけているのですが、私たちはまだ代わりにこれと言ったものを見つけられずにいるのです。