佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

不安がキツい、場合

不安というのはあまりにわけのわからない言葉で、かつあまりに幅広い言葉なため、心理学とか精神分析の辞書を引いても、長い長い解説があったりします。

「漠然とした不安があって、仕事がなかなか手につかない」

よくよくこれを考えてみると、何を言っているのか、ぜんぜんわからないのではないでしょうか。これが「わかるわかる」となるのは、ただ自分の感覚に当てはめて、「私もそうだ!」と言っているにすぎないでしょう。「私もそうだ!」と「あなたのそうだ!」が一致しているとは誰も保証していません。

不安がひどい場合、私は少し前に戻ってみる、ことにしています。他に方法が考えつかないのですが、これはたぶん精神分析で言う「退行」とかいうもので、なんともネガティブな響きがあります。

あるSF作家が「母親の羊水に戻りたい戻りたいような変態的で脆弱な人間と私はぜんぜん違うぞ!」とヒーローに言わせてて、こういう作家とフロイトはそりゃ相性最悪だなと思わずにいられなかったものです。フロイトの言っていた「退行」はそこまで具象的で極端なものではないと思うんですが。

しかし、現状直面することになってる問題(かなにか)の「不安」というものは、そもそもどうしてこんなことになったのか?と人間だったら考え始めると思うのです。つまり「ちょっと前の状況に戻ってみたら、現状のようなことを始めるにいたる動機づけがあったはず」ですし、その時だって同じような不安を抱えていたはずなのです。

私は今物書きがメインの職業ですが、いまはやりの「承認欲求」というものと職業的不安が当然リンクしています。

ではそもそも、どうしてものを書いて生計を立てる今のような状況に至ってしまったか?というと、その前のところに記憶を巻き戻してみるでしょう。そういうところに立ち返ってみてうじうじ考え直すということは、これは「退行」的ななにか思索に近いと思うんです。

その時だって、こういうことを始めるにあたって不安だったはずで、今よりその不安がキツかったはずです。なのに結局やり出せたということは、それとはまたべつに、強い期待感のようなものや、やむを得ず押し出された何らかの圧力があった、と考えられます。それを思い出すのは、こういった場合には有益と思われます。

おそらく「こんなウンコみたいなものを吐き散らかしやがって!」と罵声を浴びせられるような不安を、考えますね。一般的に言っても。

そのウンコみたいなもののまた連想で、フロイトが思い出されてしまうのです。フロイトってすごいなと思います。

肛門期、というのは字面もすごくて、教科書にこれが出てきて忌避されないわけがない、と思うのですが、でも子どもを持ってみるとよくわかります。ウンコは贈り物である、というのは少し言いすぎな気がしますが、誰かが踏ん張って、「トイレでウンコ」してくれて、あれほど嬉しいと思うことは、まあないわけです。した人も嬉しいですよね。親がやたらと喜んでくれるわけですから。

精神分析の世界ではよく、この喜びに固執しすぎるとなのか、ここで親が喜んでくれないと、なのかわかりませんが、「きちんとする」ことに「過度にこだわる」から「完璧主義」みたいになるというアイディアが生まれたようです。つまり「肛門期」と「偏執狂」(異常な完璧主義のような)は強く相関するという。これはたぶん1つのよくできた比喩なのです。

こんなふうに不安の種はうんと幼い頃までさかのぼることもできますし、そこまでさかのぼらなくてもきっと同じようなパターンは随所にあったでしょう。自分が「出したい」と思うものを「きちんとしたシチュエーションできちんと出す」とたいそう喜ばれるが、失敗するとウンコを漏らしたみたいな反応を示されることになるという。

しかし自分が出したいと思うものを、好き内容に出す権利だってあるじゃないか!という自分側の思いも無視はできません。じゃないと親を喜ばせるために無理やり出したくもないのにトイレでがんばる、みたいなことになりかねませんから。

こういうことと、承認欲求の悩み(不安)で訴えられることって、よく似ていると思うわけです。