佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

小説と分析

自分は精神分析家ではありませんので、精神分析のなんたるかはわからないのですが、精神分析というのはどうも、カウンセリングや心理療法だと、私が習ってきたものとはちがっていて、何なんだろうと思っていました。

河合隼雄さんの本とか、土居健郎さんの本とか、そういうものを趣味的にやたらと読んできて、とにかくそういうことをしている人の言っていることは分かるのですが「そこで行われていること」というものがなんとも見えてこない。

要するに「精神分析を体験するとなにが起こるのか?」について、モヤモヤもや〜っとしている。こういう有名な本を読んでみても「甘えとは?」というテーマについての著者の見解がわかる気がするだけで、「精神分析」についてはわからない。

 

「甘え」の構造 [増補普及版]

「甘え」の構造 [増補普及版]

 

 しかし最近、倉下忠憲さんとのきばトークを毎週のようにやってみて、精神分析とは「小説を書くこと」に似ているかもしれない、と思いました。

私も、学生時代、愚かにも小説を書いていました。しょうもない作品ばかりで、今はみんなどっかにいってしまいました。そのことを先日ののきばトークの中で、「アリス」を書いた倉下さんの話を聞いて思いだしたわけです。

 

【英語版】アリスの物語/Alice's Tale (impress QuickBooks) (English Edition)

【英語版】アリスの物語/Alice's Tale (impress QuickBooks) (English Edition)

 
アリスの物語 (impress QuickBooks)

アリスの物語 (impress QuickBooks)

 

 小説家と小説の関係というのが、「精神分析」で起こっていることに、私が「精神分析」せずに体験できるとすれば、一番近いんじゃないか、と思ったわけです。「小説」はクライアントでもなければセラピストでもないのですが。

よく、精神分析における「出来事」として、「いわされている感じ」というものを述べている人がいらっしゃるわけです。そういうようなことが、確かに私のようなしょうもない小説を書いていても、起こるわけです。

今でも覚えているキャラというのがいて、今でも覚えているそのキャラのセリフというものがあります。これって、精神分析的なんじゃないだろうか、と。だってそんなキャラはこの世のどこにもいないわけで、もちろんそんなセリフもないわけです。ぜんぶ私の頭でねつ造したもので、いってみればそれは「私」なんです。

でもなんか私の中では、そのキャラクターたちはすでに「他人」みたいになっていて、他人が「言ったこと」を覚えている感じと、何ら変わらない。あのキャラクターも「私」だとすれば、「私」と「他人」の関係が、どちらも私の中にしれっと存在してしまっている。

「転移」とか「投影」とか「退行」いうのは、こんな感じのことなんじゃないかと、最近思ったのです。私が幼児キャラを描き出す。描き出したことがありませんが。そのキャラがいかにもリアルに幼児っぽかったら、それは私が退行したのとどう違うんだろうかと。

それに、居もしないかれらの「声」が私の中でこだまし始めたら、それは「分裂」といわないんだろうかと。