佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

もっともっと神々しいものが必要だ

ライフハックなんてくだらないことだ、という意見を否定するつもりはないのだが、だったら「くだらなくないこと」というのは何だ?という話が出てくるはずだ。

私は1日おきくらいにはモーツァルトの「魔笛」を聞いて、ほとんど連日コリン・ウィルソンをよんでいたという時代があったのだけど、それは「くだらなくないことはすぐ目の前にある」という話をずっと聞かされ続けないと、すぐになにもかもがくだらなくなってしまうという一種の病気にかかっていたからだった。

日一日と生きれば生きるほど、人生は、ベートーヴェンの第九よりも《魔笛》のようなものに思えてくる。

人生が時折《第九》的なものになるとしても、南極探検のスコットや、エヴェレストの頂上めざして最後の断崖にいどむエドマンド・ヒラリーといった連中の場合だけだ。

われわれ残りの者はといえば、人生のくだらなさゆえに、武装解除の状態となり、真剣な努力を払う気もしなくなるのだ。

こういう状況の下でタミーノが振るい起こす勇気は、どちらかといえば、人間が、なにか大きなことをやりとげたり、どんな生活であれ、初心をみごと貫こうとするとき必要とするような勇気に、近いものだ。

ラッパが鳴り渡り、興奮で髪が逆立つようなときなら、だれでも勇気を出せる。

木曜の午後リージェント街で、精神的に価値あるものを創造しようと思ったら、ある種のもっともっと神々しいものが必要だ。この辺の事情を、モーツァルトは、本能的に心得ていたのである。

コリン・ウィルソン音楽を語る (1970年)

コリン・ウィルソン音楽を語る (1970年)

私はこれにまったく賛成だ。中年になってみて、ますますこう思うようになった。子どもを授かるような素晴らしいことが起きたとき、それはある意味ではオリンピックで金メダルを取ることよりも素晴らしいと《思うべき》なのだろうけど、そうは思えないようにアタマに何かが仕掛けられている。

「みんなちがって、みんないい」というような標語と、「自分は何ものでもありはしない」という「残念な」思いの間には平行線があって、この間隙の中には教訓と詐欺がうようよしている。

タミーノなんて、ちょっとでもフェミニストな思考をもっていたら、ヒーローの名にまったく値しない王子様だけど、のび太くんがヒーローになったとき、映画を見ている子どもはたいてい感動する。モーツァルトはのび太くんよりずっとダメなモノスタトスがこっそり王女様をレイプしようというときでさえ、神々しいメロディをつけてあげる。

こういう視点を見失わないようにすることで、「見積もり時間ぴったりにタスクを終わらせた!」というどうでもいいようなことがらに必要な視点を得ることができる。くだらないことでもあるし、神がかったことでもある。そういう話は、ウソではないのだ。