佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

もっと精神分析が知られて欲しい

昨日と似たような記事になってしまったわけですが、最近私が考え込んでいることなんです。

 

nokiba.hatenablog.jp

 

たしかに心理学も、何の役にたつのか分かりにくいと言えば分かりにくいですし、「精神分析」とか「フロイト」と言えば、もはや分かりにくいを通り越して、頭のおかしい人の考え出したオカルティックな言動が、なぜか有名になっちゃってる、くらいに思っている人も多そうです。

そこまでひどくなくても、「自己愛、なんて言ったって、誰だって自己中心でしょ?」くらいに思っている人はさらに多そうです。「Narcissism」と「自己チュー」は、ぜんぜん別のことくらいに思っていた方が、正確なのですが。

実はちょっと前に、『“隠れビッチ”やってました。』という本を読んで以来、失われゆく知見というのは、まさにこういうことなんだなあ、となんとも言えない気分になったのです。よくあることなんでしょうけど。

“隠れビッチ”やってました。

“隠れビッチ”やってました。

 

 

この本、出だしは基本的にギャグマンガなのですが、なぜか途中から路線変更が起こって、一気に“精神分析的”になっていくのです。そしておそらく著者に、そんなつもりはなさそうなのです。聞いたわけではありませんが。

私はこの本を読む前から、とくにフェアバーンの『人格精神分析学』とかを読んでいたものですから、「何だこれ!?」としか思えなかった。図式にキャラで肉付けされているような、それくらい「精神分析学」をマンガで読まされているような感じです。 

 

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

 

 

たとえば、この本の201ページには、こんなわけのわからん図式が載っているわけですが、あらいさんの『隠れビッチ』のとおりというか、逆か。とにかく、あまりにも両方の意味が「わかりやすすぎ」になっていって、気持ちが悪いほどです。

 

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あらいさんが『隠れビッチ』だというのは、なんででしょうか。私にはぜんぜんそうは思われなかったわけですが。たしかにいろんな男の人とすぐ食事に行ったりはしますけど「深い関係」には決して至らない。(たぶん)。いっしょにタクシーに乗る「振り」をして、走り出す直前に自分だけするっと降りる。

あるタイプの女子中学生かというくらい「潔癖」な印象で、「性」に対してはずーっと「不安感」をそこはかとなく感じさせられ通しの展開です。

しかしこの人の場合には、実はお父さんが・・・。アルコール「依存」までいっていたかどうかは、完全には書かれていませんでしたが、おそらくそうでもあったのでしょう。

「親」というのは通常子どもにとってはアンビバレントな存在です。「完璧な親」というのはいませんし、いたらいたで問題を引き起こしそうです。しかし、生まれてこの方ずーっと一緒にいるのですから、基本方針として子どもは「好きになりたい対象」ですね。

それがどうしても好きになれない存在だったら、どうするか?

子どものやるであろうこととしては、「好きになれるところ」と「好きになれないところ」を分けてとらえようとするでしょう。昨日の記事で紹介した作品でもそうでした。「アル中だけどいいところもたくさんあった」といった感じで、「いいところを抽出」してどんどん思い起こしたりすることが、人にはできる。

昨日の作品ではありませんでしたが、当然この「好きになれるところだけでできている人(異性)」がどこかにいないものだろうか?と空想するのは自然です。空想だけなら、そんな人もいるかもしれませんが、現実にはどうしたって「いいところもあればイヤなところもある」わけで、そこに人と付き合う葛藤がある。いいところだけと付き合いたいが、1人の人間には漏れなくいやなところもくっついてくる。

この「いいところだけ」を極端な形で実現しようと思うと「男の人とタクシーに乗ったと思ったら降りる」ような行動になってしまうかもしれません。そこにはつまり、手に負えないほど強力な葛藤があるわけです。