佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

【精神分析】さびしさ、とは?

 

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さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

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この本もそうだが、もう何と言っていいのかよくわからなくなるほどである。私だけこんなことで困惑しているのだろうか?

 

親との間で、それも特に母親との間で満足のいかない情緒的関係が生まれると、それによって決定されることになる、一つの退行現象なのである。

(太字は佐々木)

 

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

 

 

ただ、これは「西洋人なら退行だが、日本人においては異なる概念で考えた方がよい」という提案をもった人もいる。

バリントのいう「一次愛」の本質は「対象との融合」「主体と対象の一体性」を求める対象関係であり、これは土居の「甘え」と同じである。

バリントは一貫して治療終結期に「一次愛」がみられる「新規蒔き直し」の過程を重視し、ここに導く「良性の退行」についての治療論を展開した。

他方、土居は「甘え」を自我欲求としてとらえ、日本人の患者が早い時期から「甘え」の心理を表出することから、退行よりも「甘え」の自覚を重視した。 (太字は佐々木)

 

ci.nii.ac.jp

 

「甘え」の構造 [増補普及版]

「甘え」の構造 [増補普及版]

 

 

そういうわけなので、「性的な欲求と、赤ちゃんのころの欲求って似ている」というのは、1930年代よりも前からすでに指摘され続けていることなのだが、「似ている」というよりも「赤ちゃんのころにはそれらは全部融合してしまっている」くらいだろうと思う。

私たちはつまり「いまになって何かがひどく満たされず、それを満たす技術も未確立のまま」だと、「それを満たし得たころにまで心を巻き戻す」ところがあるようだ。あるようだというよりも、そういうものなのだと精神分析が告げている感じである。

「対象との融合」「主体と対象の一体性」を求める対象関係などというと、相変わらずいかにも「がんばって定義してます!」みたいな感じだが、イメージとしては次のようなところなのだろう。

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 つまりこの「母という概念」というなんだか即物的なんだかイメージでしかないのかよくわからないようなものにもふーっとしてイヤされたい、というのは、ある種の男女ともに求めていて、もちろんいかに切望しようともそれ自体は手に入らない。(概念を実体化させたものは実在できないから)。

そもそも、本当に手に入れなければならないのは、「母親との間で満足のいかない情緒的関係」に代わる、本当の満足のいく情緒的関係にあるはずだ。

そしてフェアバーンは、「母親との間で満足のいかない情緒的関係が生まれると、それによって決定されることになる、一つの退行現象」こそが分裂的状態と考えているのである。

つまり、「セックスさせてくれるお母さんを求めている」というかの有名な非難は、もちろんフェミニズム的に世の多くの男性に向けられている非難なのだろうが、フェアバーンに言わせればその種の男性は(そして結局は女性も)分裂的特徴を備えているに過ぎず、可能ならば精神分析によって治癒されるべき対象なのである。

蛇足すると、マンガの中で永田カビさんは「私それ求めてる〜〜〜!!」と目をバッテンにして顔から汗を拭きだしているが、こういうところに外的現実がすぐ内的現実と入れ替わしまう分裂症特有のあやうさが顔を出していて気に掛かる。

べつに、求めていたっていいのである。たとえば私なりがセックスさせてくれるお母さんを求めていたところで、求めていること自体は、犯罪でも何でもないし、ことさらバッシングされるいわれもない。意見は意見であり、法律でも社会的権威でもないからだ。

しかも永田カビさんに至っては男性でもなく、「セックスさせてくれるお母さんを求めている」と批判されている範疇にすらいない。それなのにこのようにショックを受けてしまうのは、本来永田さんの心の中にあるものが、外部の声を使って自分を叱責しているように感じてしまうからだ。