佐々木正悟のメンタルハック

メンタルハックをテーマにおいたビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のワークスタイルを中心に書いていきます

【精神分析】調子に乗ったらダメですか?

「調子に乗るな!」という心の声にひどく悩まされている人が、一定数いる。

日本人はなぜこの叱責をずいぶん小さな子どもにまで浴びせがちでありつつ、これの結果としてどういう事が起きるかについて、こんなに分析を怠っているのか、私としては不可解に思う。

この言葉を幼いうちから聞かされ続けると、かなり有能な人であっても、実につまらない人間関係で不必要に思い悩む結果になる。『アンナ・カレーニナ』の中でトルストイは、そういう不幸な人物の心理状態を実に的確に描いている。

「そうだ、おれには何かしら嫌なところ、反感を呼ぶようなところがあるんだ」シチェルバツキー家から出てきたリョーヴィンはそんなことを思いながら兄のもとを目指して歩き出した。

「おまけにおれは他人の役に立たない。人々に言わせればプライドが高いそうだ。でも、おれにはプライドなんてない。もしもプライドがあれば、わざわざこんな破目に陥るようなまねはしないだろう」

そこで彼はヴロンスキーを思い浮かべた。幸運で、善良で、賢くて、落ち着いたヴロンスキー──彼ならば今夜のリョーヴィンのような情けない状況とは、おそらくまったく無縁なはずだ。

「そう、彼女は彼を選んで当然だった。当たり前の話で、こちらは誰に対しても何ひとつ文句を言える筋合いではない。おれ自身が悪いんだ。そもそもおれは何の権利があって、彼女がこのおれと人生を共にしようと望むなんて思ったのだろう? いったい何さまのつもりだったんだ? まるっきり誰の役にも立たない、何の値打ちもない人間じゃないか」

 

アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 一番上の「おれには何かしら嫌なところ、反感を呼ぶようなところがある」が最重要のポイントで、それ以下は全部事件にかこつけた理由づけに過ぎない。自分にはなにか人に好かれない部分があるという思い込みが、すべての元凶にある。

その結果として「人々に言わせればプライドが高いそうだが、おれにはプライドなんてない」ということにもなる。この「プライド」の不可解さを自分で戸惑っている人は、リョービン以外にもたくさんいるはずだ。

そして最後には「おれは何の権利があって、彼女がこのおれと人生を共にしようと望むなんて思ったのだろう? いったい何さまのつもりだったんだ? まるっきり誰の役にも立たない、何の値打ちもない人間」などとまくしたてる。「調子に乗るな!」というわけである。

この種の不幸な人の陥っている状態は「一つの退行現象」だと精神分析家のフェアバーンは言っている。たしかにリョービンのような自虐演説は『モテキ』の主人公がいっつもやっているような子供っぽさが感じられる。

 

モテキ(1) (イブニングコミックス)

モテキ(1) (イブニングコミックス)

 

 

そしてこういうタイプの人を生み出してしまうのはやっぱり、養育歴にあると、少なくとも精神分析的には考えるだろう。「調子に乗るな!」と自分自身でいつでも言えるような人を作りだす教育に問題がある。

こういう退行をとくに生み出しやすい母親のタイプと言えば、自然でまじり気のない愛情表現を通じて、子どもに、自分は子どもを1人の人間として愛しているのだということをはっきりわからせてやることのできない母親である。(略)

たとえば、一人息子を甘やかして骨抜きにしてしまうようなことだけは決してすまいと心に誓っているといった、そういう人一倍教育熱心な母親などがそのよい例である。(p41)

 

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

 

 この引用はすでに1950年代のイギリスの話であり、そういうお母さんだっていただろう。あの過酷な第2次大戦でナチスと戦ってまだ数年の時代だ。

しかし、現代の日本で文化的圧力をかけてまで子どもを甘やかして骨抜きにしないことを誓うメリットがあるだろうか? むしろデメリットのほうがはるかに大きい。そうやって「調子に乗る」ことができないような人々が、「自己肯定感」とか「承認欲求」とか自分で自分を抱きしめるとかいった、変なストレッチみたいな努力を続けさせられるはめになる。

せめて、これは教育的文化を下地にした圧力がかかっているせいで、情緒的問題にぶつかったとき退行が起きているのだと説明されれば、まだ対処の仕方があるはずだ。

「おれには何かしら嫌なところ、反感を呼ぶようなところがある」のではなくて、自分が愛情を素直に表現したら、誰もまともに受け止めるはずがないという思い込みに、0歳の時からしばられているだけにすぎないのである。

こういう状態の下で生ずるのは、前期口唇期(生後1歳半くらいまで)の最初の外傷的状況が、情緒的な形で再び活性化してきて、また元の状態にまで戻ってしまう、ということである。

そうなると子どもは、母親が自分を愛してくれないように見えるのも、元はと言えば自分のほうから母親のやさしい愛情を破壊してこれを消滅させてしまったからだと思うようになり、また母親が自分の愛情を受け入れてくれないように見えるのも、もともと自分の愛情が破壊的で悪いものだからだと思うようになってしまうのである。(p64)

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

 特定の対象に好意を抱いたり、あまつさえそれを表明したりするには、特に相手が結果としていささか迷惑がるようなケースにおいては「調子に乗る」ことが欠かせない。少なくとも悪い結果で終わったら、「調子に乗っていた」と気恥ずかしく内省するはめにならざるを得ないだろう。

それを幼少のうちに何度も何度も経験させられたら、最善のケースにおいてすら、過度な引っ込み思案を作る結果にしかならないというのは常識ではないだろうか。