作家のライフハック

ビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のライフハックを中心とした生活ブログです

自分はどうも人間関係が苦手だと思ったときに考えておきたいこと

 のきばトークを受けてのご感想なのですが、補足してみたいと思います。

まず次の引用から。

こういう退行をとくに生み出しやすい母親のタイプと言えば、自然でまじり気のない愛情表現を通じて、子どもに、自分は子どもを1人の人間として愛しているのだということをはっきりわからせてやることのできない母親である。

子どもを自分の言いなりにしたがる独占欲の強い母親とか子供に無関心な母親などは、どちらもこのカテゴリに入る。

何と言っても最悪なのは、子供にたいする独占欲の強さと無関心とを一身に集めたような印象を与えてしまう母親だろう。

 

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

人格の精神分析学 (講談社学術文庫 (1173))

 

 まずここで「なぜ母親ばかりが問題になるのか?父親はどうなのか?」という疑問が発せられるかもしれませんが、それに対しては「子どもは今のところみな母親から生まれるから」としか答えようがありません。これは生後0〜7日目とかいった段階において重要な話だからです。

今後、父親から子供が生まれる、あるいはAIから生まれるといった段階に移行すれば、当然この論文には補足が必要となります。

さて「子供にたいする独占欲の強さと無関心とを一身に集めた」というのは、いかにも矛盾しています。しかし、実際にはこういうケースはあり得るし、また、こうしたケースの原形のようなパターンが、事態を一気に難しくするのです。

そういうのはたとえば「あなたは好きな人と結婚していいのよ。私がいいと思った人なら」といったように、完全に自主性を重んじるようなことをいいつつ、いっさいの自由を許さないという言い方に現れてきます。

これをもっと極端にいえば、「あなたは好きにしていいのよ。私が好きなやり方なら!」ということになります。

非常に巧みな人であれば、こういう針の穴を通すような条件に対しても、うまいことくぐり抜けてしまいますが、子供にそんなまねはできません。そこで子供がやることとしては、単純化なのです。そして単純化とは、人間関係における退行になります。

つまり、考えなくてはならないことがあまりに複雑なため、思考を停止し、単純化が基本戦略になってしまうのです。「僕はこんご、お母さんの好きだということを、自分の好きだということとイコールにみなそう」というような自己操作がそれです。

これに我慢がならなくなると、正反対の単純な戦略をとろうとします。「僕は今後、お母さんの好きだということは、全部無視することにした!」というように。

フェアバーンは、「子供にたいする独占欲の強さと無関心」という表現でこのことを述べています。男の子とを男の子らしく(時には女の子すらも男の子らしく)育てようとするとき、教育方針としてはあまりに早すぎるアンビバレントを押しつけたりするわけです。

たとえば、一人息子を甘やかして骨抜きにしてしまうようなことだけは決してすまいと心に誓っているといった、そういう人一倍教育熱心な母親などがそのよい例である。

教育熱心だけど、とてもドライ。教育熱心ということは、「ああなって欲しい、こうなって欲しい」という情熱を子供に注いでいるという意味において、母子の一体感がとても強く働いているのですが、その一方で「ベタベタした、依存心の強い子にしたくない」という気持ちが強く働くために、子供をはねつけたがってしまう。

こんなアンビバレントを、生後一週間足らずのうちに態度としてでも示されたら、子供としては何が何だかわけがわからず、「それ以前」に帰りたくなってしまいますが、それ以前の時期なんてないわけです。

私たちは、幼いころほど万能です。いちばん万能だったのは、母の胎内にいたときです。そこにおいて「私の問題」などというものはあり得ず、食事も排泄もなにもかもが思いのままです。

生まれて間もなくにしたって、似たようなものでしょうが、そうは言っても「うち」と「外」では大きな違いがすでに始まってしまいます。やがてその違いはどんどん複雑になっていき、好きなようにしていいのよ、でも、おっぱい噛まないでね、とか、好きにしていいのよ、でもうんちはトイレでね、とかいった、「複雑な要求」が突きつけられていきます。

それがやがて「好きにしていいのよ。でも勉強だけに関心を持ってね」といったことになってしまう。その途中のどこかで、あるいはどこでも、私たちはいったいなにをしていいのか、何を望んでいいのか、わけがわからなくなってしまい、考えるのはやめて、物事を単純化したいという誘惑に強く引きつけられるのです。

この種の難しさに人生のあまりに早い段階から直面した人は、その後の人生においても、特に人間関係で悩むリスクが大きい。一番最初の人間関係であったところの母子関係があれほど複雑だった(私が全部世話をしてあげるから、速く一人前になってね)のですから、他人とはいったいどんな風に関係すればいいのか。他人には何を望むことができるのか。何をしようとしていいのか。どこからが依存とみなされるのか。

その悩みを解決することができないままに、さも解決したかのような態度を取るというのが、1つの単純な戦略となります。すなわち、「私は誰もとも関係しようという気はないからね。私とあなたが(どんな関係にもせよ)関係しているのはただ、そっちから望んだ結果なんですからね。いつでも関係解消には応じますから」という「戦略」です。

こうして一見したところとても孤独に強い、ただ、どんな関係を結んでもどこか淋しいという心理的態度の基礎が築かれるわけです。どんな人間関係であっても関係の解消を念頭に置くのであれば孤独に強くならねばならないし、その人の結ぶ関係は、どこかさびしいものにならざるを得ないわけです。

いちおう以前にも似たような話を書いています。

nokiba.hatenablog.jp