佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のライフハックを中心とした生活ブログです

なぜ「アウトライナーで設計したとおり」に文章が書けないか?

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こちらを聞いて、非常にいろいろ思うところがありましたから書いておきます。

Tak.さんは「アウトラインが鬼のように好き」な方で、何でもかんでもアウトラインでやっちゃうというイメージがあります。

しかしというか、別にしかしではありませんが、よくよく話を聞いていると、私がたすくまとTodoistなんかでやっていることと、アウトラインでやられていることとが、非常によく似ています。

たとえば、タスク管理においてTak.さんは「やろうと思ったことの全てはできないから、何かしら選択基準が必要になる。それがアウトライナーを使う理由」という趣旨のことを述べられていて、それはまさにタスクシュートで私がやっていることです。

できないタスクを振り切る基準が必要だから、リソースとしての時間がその切り捨てを後押しするわけです。

 

他にインタビュー中Tak.さんが「アウトライナーを使っても、そのデザインどおりに文章が書けることは決してなく、むしろ書けるようであってはいけない」ことを再三にわたって強調しておられますが、これはもちろんTak.さんの言うとおりなのであり、「アウトラインどおりに文章を上から書いていく」という話をする人に出会うたび、いったいなにがどうなっているのか、混沌の沼に突き落とされるような気持ちになったものです。

 人の頭というのは、連想ゲームにひた走ります。言葉というものがそういうものなのだから、これは避けようがないのです。

でなければ、「ダジャレ」などというものを思いつくはずがありません。「アウトライナー」と「ライナー急行」と「オリエント急行殺人事件」の間にはまったく何の関係もないけれど、人の頭は連想するようにできている。

文章というのは言葉の海を生み出すのですから、連想連想連想で、カオスが展開するのが当然なのです。「アウトライナー」は、結果としてカオスの中の道しるべを残すものであって、文章はカオスを生み出すために書くようなものなのですから、アウトライナーに沿って書けば、カオスがまったく展開しないというのでは、文章を書く意味がなくなります。

そんな文章では、読む必要そのものがなくなるでしょう。アウトラインだけを読めば全部分かる、ということになってしまいます。