佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟のブログです。ビジネス書作家のライフハックを中心とした生活ブログです

私たちはいつだって最高の判断をしているけれども、それだけで生きていくことは許されていない

こちら昨日の記事へのコメントをいただきました。ありがとうございます。

確かにこのようにまとめていただいてみると、この通りです。しかしやはり私の感覚が伝わってない感じです。きちんと読んでいただいても伝わらないのは、書き方がまずいので私が悪いんですけども、同時に「自分の判断は常にベストである」という感覚への根強い不信感のようなものが、そう、根強いのですね。社会全体にあるというか。

タスクシュートをつらつら見返していてつくづく思うのは、どの項目を取ってもベストの判断をしている。したがって、これを改善する余地はあり得ない。ベストは改善できない。

「リアルタイムで最も必要だった行動」とは、そのことを指されているのに違いはないのですが、「最善」が「必要」に何か「格下げ」されている感じがするのは、「最善」と感じられない(もしくは信じられない)からなのですが、最善なのです。この感覚が大切です。

自分はいつも最善の判断で動いているという感覚を見失わないためにこそ、タスクシュートの記録があるのです。だから瞬時レビューもやっぱりいるのです。私には要るんですね。これが倉園佳三さんは「要らない」とまで言っておられて、理想を言えば私もそう思うのですが、私はまだそこまで行けなくて、「自分はベストの判断ができている」という確認作業を必要とするのです。それが私にとってのログとレビューなのです。

その時々の私の判断には「改善の余地はない」のですが、「改悪の余地」はあります。そして(倉園さんなんかはこれにも同意されないと思うのですが)私はまだ社会人としてやっていく上で「改悪する必要」を感じているのです。

例えば「仕事を予定通りに終わらせる」のはたいていの場合、私の理想の判断基準から言えば「改悪」になります。私が計画も記録もとらず、ただ思うままに動くなら、たくさんのアニメを見て、本も読むだけ読んで、ありとあらゆることをして、さらに休息をたっぷりとってから、それから娘と遊びまくってから、原稿を書くでしょう。

そうした場合には、おそらく日頃25分くらいで書いている原稿一節分を書くのに、25日はかかると思います。

この25日間かけるやり方こそ、私が本当に正しく判断して動いた場合です。倉園佳三さんが言う「フォース」はこういうことに限りなく近い。何もかもを手放せば、完全にうまくいくというのはしばしば言われていることで、信じられるかどうかの領域になります。

私はそれはやっぱり怖いのでここで自分の判断を放棄し、「計画」(つまり他人との約束=他人の判断が混じっている)にしたがって行動します。ここで自分ならできるベストの判断を信じず、次善の判断力に則って行動するわけです。(それは社会人としてしょうがないでしょう、と考えたり言ったりするとき、そのように本当にあらゆる可能性から吟味してそう言っているか、ただ社会的にそう口ずさんでいるだけか、よくよく検討する必要が本当はあるのです)。

そして油断していると、私の行動は本当に「改悪だらけ」「次善以下ばかり」になっていきます。驚くべきことに、自分のベスト未満のこうした行動ばかりにすると、周りの人はどんどん私を賞賛してくれるのです。

これは最終的にはろくな結末にならないので、「自分の判断はベストである」ことを確認し、「計画通りというのは妥協の産物である」ことを自分に言い聞かせるために、タスクシュートを必要としているわけです。

決して深い話をしてはいません。自分の判断を信じられないなら、いったい私たちは何をしたらいいのでしょう?