佐々木正悟のライフハック心理学

ビジネス書作家・佐々木正悟の公式ブログです。なるべくならお役立ち情報を出していきたいと思っています。

気がつけば壁の花になってしまっているのです

サークルもゼミもがんばらず、適度にアルバイトをしてデートして、なにも突飛なことをせずに過ごしてしまった学生時代は、魅力的な自己PRをするための材料が明らかに不足していました。

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しかし私は大学時代、まさにこういうことをしたくてしたくて全力を尽くしていたのについにできなかったのだよな、と思い出しました。(リンク先は有料記事となります)。

人は他人のことをうらやましがる。

このような「絵に描いたようなキャンパスライフ」を送る人になるには、私は学生時代から、どこか完全にズレていて、そのズレに必要以上に苦しんだ時代がありました。

いまはそれに苦しむことがすっかりなくなったのですが、先日、「もう少し考えねばいかんか」と思って、倉園佳三さんに「公開収録」の場でお悩み相談してみたのです。

nokiba.doorkeeper.jp

(こちらはすでに終了しました。)

「倉園さん。どうも私はイベントやパーティ会場で、「壁の花」になってしまうんですよね・・・」

それの何がいけないのか、というのが倉園さんをはじめ、その場にいた方のコンセンサスだったし、やっぱりそういうものなのだと思ったのですが、いけなくはないのですが、どうもやっぱり何か「仕事をさぼっている」気がしてしまうのですね。

思い返せば私は「一人が好き」と言うよりも、お風呂に入るのが面倒だという人の気持ちがまったく理解できないほど、「気がつけばお風呂に入っている」(しずかちゃんか?)性質であるように、「気がつけば一人になっている」人間なのです。

そしてなんと私は最近、まさに自分の娘が、私とまったく同じ性質を持っているらしいことを知り、「そっか。これに性別はなく、好き嫌いは関係なく、友達の有無も関係なく、基本的な気質としか言いようのないモノか」と納得したのです。

(娘は友達も多く、私よりずっと社交的で、気も利くし、一人が好きとは到底見えないのに、気づけば一人になっているのです)。

一人が好き、なのではなく、一人になってしまっている、のです。しかもそのことにしばらく気がつきもしないという。一人でいることに寂しさとか苦痛を覚えたことは、考えてみると一秒もありません。

ただ、自分が主催もしくは特に共催の時、ゲストではなくホストとしては、大橋悦夫さんとか倉園佳三さんとかが「頑張っている」(というのは私の勝手な憶測ですが)のに、私だけ部屋のはじで(背後に誰かに立たれるのは好かない。ゴルゴ13とは関係ない)突っ立って、ウーロン茶持ちながら(何か持ってないといけない気がして)、ツナ(好物)ののったタルト(立食パーティ定番)のようなものをかじって落ち着いているのは、自分だけ気持ちよくお湯につかっているような後ろめたさを感じるわけです。

これに加えて以前は、「自分を売り込まないフリーランスは死ぬ」というデタラメな教訓に「恐れと不安」でいっぱいだったため、名刺を配りまくっては「iPhoneはお持ちですか?」から会話を始めるという、意味のあるのないのか(ないのだ)わからんようなことをずーっと繰り返して

脳内はただひたすらに「つまんねーーーーーーー!!」。

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最近はさすがにこういうことは止めましたが、会話を始めると、何かしら本題に入ることができずにいると、結局似たり寄ったりというか、「努力」が減ったぶん沈黙が増えるわけです。しかも自分は「沈黙」がまったく苦になってないため、相手にだけ苦痛をしいているのかもしれないという、やはり後ろめたさが。

そりゃサークルとかコミュニティーとかキャンパスライフとかができないわけです。 だいたいそもそもやりたかったのではなく「やらねばならない」という強迫観念を抱いていただけなのですから。