とてもとても面白い。
こんなに面白いと嫉妬したくなってくるほど面白い本である。
伏線も巧みに張られていて、読者サービスも盛りだくさんである。こういう本を書きたいものである。
数度は紹介することにしたいので、今日は、私たち物書きや、物書きならずとも悩ませてくれる困った存在のことにとどめる。
「超自我」だ。スーパーエゴである。
このスランプの理由は実ははっきりしている。私はビビり始めているのだ。
書き進めるにしたがって、朝起きた瞬間に恩師たちの苦虫を噛み潰したような顔が浮かぶようになった。
「人間ああなったらおしまいやな」
どこからかそういう声が聞こえてくるのである。これが怖ろしい。精神分析の世界では、そういう自分を見張る自分のことを超自我と呼ぶ。
この引用部分だけでも、十二分に面白い
うまく茶化されている。
ばかばかしい話なのだ。
私の頭の中にも、超自我はいる。以前はもっと強力な存在だったが、最近はこけおどしだということがばれつつある。
超自我というのは、至る所で、あらゆるやり方で、あらゆる分野の人を悩ませています。
たとえば私の「盟友」であるやままさんは、じつに超自我に悩まされる名人(?)です。
あんまり上手ではない文章
が、流通しているわけです。きっと超少額なギャラなんでしょう。とはいえこの文章に対価が発生しているのか!と驚かされることがあります。
なんとも、もやもやします。彼らはなぜライターを名乗れるのだろう!?プンプン!
しかしこの気持ちは、またしても私の特技である「ガマンの押しつけ」が原因なのではないかという気がしてきました。
もちろん彼女の超自我が、怒っているわけです。
超自我は常にえばっています。そして万能です。何を言ってもゆるされます。常に上から目線です。そして当人のことを何もかも知っていて、もっとも弱いところを、徹底的に攻撃してきます。
「そんなこともわからへんのか!」
すいません、超自我さま。
「ドイツ語版ユング全集を写経して、出直してきい!」
すいません、ドイツ語は親友に答えを見せてもらってようやく単位が取れただけなんで、ほとんど何もわからないんです。
「バカモン!」
波平・・・。
なにしろ、自分の中にいて、自分の見張り番だけが仕事なのですから、気楽なものなのです。
私は超自我と付き合う上で、付き合いたくなんかないのですが付き合わざるを得ないので付き合う上で、こいつをとにかくちゃんと認識し、絶対に外部に投影しないように、それだけは気をつけるべきだと思っています。
自分の親のことを超自我だと思ったり、仕事の関係者を超自我だと混同すると、ろくなことにならないのです。